死後の世界(17) 無信仰 の人達が集まる街

無信仰

 

無神論と無宗教( 無信仰 )

無神論と無宗教あるいは無信仰の区別は何かについては、立場によってさまざまな見解があると思いますが、ごく単純に言えば、無神論とは神が存在しないことを積極的に主張することで、無宗教とは宗教を否定的または懐疑的にみていますが、神の存在を必ずしも否定しない場合が多いようです。無信仰 は神仏は存在は否定しないけれどもそれを信仰する気持ちはないという立場を示す意味合いが強いように思えます。

日本人は無宗教者の割合が多い国であるといわれていますが、その中でも神仏を信仰する気持ちを持っていない人が多いように感じます。神仏をおざなりにして先祖だけを敬うとか、苦しい時の神頼みというのは、正しい信仰とは程遠いものと言わざるを得ません。

先祖を大切にするのは良いことですが、これによって自分にご利益を貰おうとするのでしたら、苦しい時だけ神様に縋る人たちと変わりません。つまり動機が不純だということです。

 

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無信仰者の集まる街

前回の記事にも書きましたが、他界後にどの地域に行くのかは幽体の状況によって決まるのですが、幽体は肉体とは違って身体全体が大きな意識体のようなものでらしく、どのような意識を持つかによっても行く場所が左右されるようです。

今回は水波先生の著書『指導霊』の一節からこのことについて説明したいと思います。
この著書の主人公である『正枝さん』は他界後に上の世界に行った霊魂です。彼女は霊魂の先生からさまざまなことを学んでいくのですが、『下の世界を見学する』という課題を課せられました。

正枝さんの下りた場所は、『信仰心のない人が集まる街』でした。彼女はそこの住人である霊魂から話を聞きました。
その霊魂は正枝さんにいろいろなことを話しました。

 

喧嘩はご法度

自分も過去に1回だけ喧嘩をしたことがあるが、念の飛ばし合いが延々と続いて勝負がつかないらしく、その間二人ともずっと痛くて辛い思いをしなくてはならない。しかし、辞めようと思っても相手から自分を侮辱する思いが伝わって来てやめることができない。それ以来、決して喧嘩になることがないようにおとなしく暮らしている。

 

趣味が持てない

生前はサッカーと将棋が趣味だった。こちらに来てからサッカーボールを蹴ってみたいと思って、念でサッカーボールを出現させてボールを蹴ったら、どこか見えない所まで飛んでいってしまった。これは遊びにならない。
将棋もお互いに相手の考えていることが分かるので、ゲームとして成り立たないのでやめてしまった。

 

動物いじめをする人達

何もやる事がなくて暇を持て余した人たちの中には、動物をイジメる人がいる。人間同士の喧嘩は皆こりごりなので、絶対に負けない動物に矛先が向いてしまう。人間は念で武器を作ることができるので、動物相手なら束になってかかって来られても絶対に負けない。
この世界は思念の世界で念で何でも作る出すことはできるがそれはしょせん『虚像』である。一方、動物は霊魂として実在している。『実像』としての動物が泣き叫んでいることに意味がある。相手を一方的にやっつけて自分は痛くもかゆくもないのは最高だというらしい。それくらい、ここの世界には何の楽しみもない。

 

何もすることがない不幸

「下の世界の人間達はなんてひどいことをするんだろう」、「自分はこんな人達みたいには絶対にならない」と感じておられるかもしれませんが、この階層に落ちてしまえばかなり高い確率で弱い者いじめ(この場所ではイジメの対象が動物でしたが、別の場所では人間かもしれません)しかやることがなくなってしまうでしょう。

生前の意識は他界後も表面意識のままですので、苦悩はそのまま持続します。他界することで解決する問題、例えば経済的問題や自身の健康問題は解消するかもしれませんが、その時に負った感情は消えることはありません。

お金がないことで他人から馬鹿にされた悔しさ、病気のためにやりたいことができずに「なんで自分だけこんな目に」という心情・・・。

これらの感情は他界後も癒されることがありませんし、このような気持ちを他人に向けてしまいますとトラブルに発展しますので、これらの気持ちを持っていく場所がないのです。

そうなった時に何が起こるのかと言えば、他人との交流を絶って自分の殻に閉じこもってしまうか、自分よりも弱い者に向けて発散するかのいずれかしかありません。

正枝さんは、この霊魂に上の世界に入って努力すればどうかと提案しました。幽体の状況を良くすれば幽体の心理も安定していくからです。しかし、その霊魂はこう答えました。

 

「上の世界?とんでもないですよ。上の世界とやらに入って、強制的に神様の使命とやらの為に働かされるなんて、真っ平です。ここに長く居るとね、貴方みたいに、上に入れば救われるなんて言って、降りてくる人もいるんですよ。
でもね、長く何もしなかったんですよ。今更、神か何か知らないけれど、面倒な事に関わるなんて真っ平ごめんですよ。」

水波一郎著 「指導霊」第三章 霊魂の世界で 2 霊魂達の生活

 

信仰心のあるなしは、他界後の幸不幸に大きく関係しています。この霊魂はこの街でおとなしく住んでいけば痛い思いをすることはありませんが、『何もすることがない不幸』をずっと背負って苦悩し続けることになります。

無信仰とは、件の霊魂が言った「神様の使命とやらの為に働かされるなんでまっぴらごめんだ」に、「その通り!なんでそんなことしないといけないの?」と思われた方が該当すると思われます。

 
【死後の世界についての記事一覧】

第1回 水波霊魂学での見解と死後の世界を知ることの意義
第2回 この世との連続性」と「捨て去るもの」
第3回 最初の関門を突破できるか
第4回 上の世界と下の世界とは何か
第5回 誰もが「夢の中の世界」を経験する
第6回 イメージ したことが実現する世界
第7回 ケンカをすると地獄になる場所
第8回 呼び覚ましてはいけない記憶
第9回 「生きがい」 が見い出せないという苦悩
第10回 霊的に成長 するのか、停滞するのか、それとも後退か
第11回 自分勝手な願い を叶えてくれる神などいない
第12回 相手との 不一致 が悲劇を招く
第13回 なぜ 下の世界 に落ちるのか
第14回 「 宗教の教え 」に隠された本質とは
第15回 思い込み がもたらす不幸
第16回 『 囚われ 』-肉体が消えたあとに残るもの
第17回 無信仰 の人達が集まる街