死後の世界(15) 思い込み がもたらす不幸

思い込み

 

死後の世界を信じる方に向けて連載を続けていますが、ここで大切なことを繰り返しになりますが書いていきたいと思います。それは 思い込み の恐ろしさです。私たちは自身の体験や見聞から人生観や価値観を構築しますが、その過程であまりに強固な考えを抱くことによって、後の人生が不幸になることがあります。したがいまして、状況が変われば考えも変えると言った柔軟性が要求されるのですが、これはこの世でも死後の世界でも同じなのです。
なおここでの 死後の世界 の見解については水波霊魂学に基づいています。

 

人生脚本と 思い込み

1957年にカナダ人の精神科医であるエリック・バーン(Eric Berne)によって1957年に提唱された心理学理論に交流分析(Transactional Analysis:TA)があります。

この理論の中に『人生脚本』という概念があります。これは、人は幼少期に体験した世界観や道徳観を基にして、自分というものを理解するために無意識のうちに作成されるもので、私たちはこの脚本に沿ったかたちで自分の人生を生きているという考え方です。これには「〇〇をするな!」とか「〇〇であるべきだ!」といった親や周囲からの躾けや教育が大きく影響していて、これらの影響から自分が求められているスタイルが作られます。

例えば、「私に幸せな家庭が築けるわけがない」と思っている人は、幼少期に家庭環境に恵まれなかったことが影響しているかもしれませんし、「私を信頼する人はいない」と思っている人は、人から裏切られた経験を持っているかもしれません。

ここで『人生脚本』という概念の是非についてあれこれ申し上げるつもりはありませんが、いずれにしましても人間は自身の体験したことや見聞きしたものを基にして、価値観や人生観を決定しているという面はありますし、それが強固な考えである場合はそのように思い込んでいるという状態になっていると考えられます。

思い込みが強い状態は、それ以外にはないと固く信じているために、それが良い方向に作用すれば挫折の連続であったとしても最終的には目的を達成できるという強みがありますが、逆に作用した場合は正しい方向に永遠に向かうことがないという悲劇をもたらします。

 

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復習:死後の世界は目的が得られにくい、暇で仕方がない場所

これまで書いてきましたように、死後の世界は思いが実現する世界です。欲しいものは心の中で念じれば目に前に現れますので住む所と着る物で困ることはありません。さらに死後の世界で使用する身体(幽体)は食べる必要がありませんので、この世に生きている私たちが苦労して得ている物(衣食住)については何の心配もいらない世界です。

また、欲しいものが難なく手に入る世界では泥棒はいませんし、働く必要のない世界では職場の人間関係に悩み必要もありません。また、土地に縛られることもありませんので町内会の役員を嫌々務める必要もなく、周囲の人たちが気に入らないのであれば、その場所から去れば良いだけです。

死後の世界では、この世で困っていた大半のことは、困る必要がないかそもそも問題にすらならないわけです。ここまで書きますと、死後の世界は何と素晴らしい世界だと思う人もいるかもしれませんが、何でも実現する世界では達成感を得ることができませんし、苦労して何かをすることもありません。初めのうちはそれでも満足かもしれませんが、いずれこのことが重くのしかかってっくることになります。

つまり、遅かれ早かれ「暇で暇で仕方がない」状態になってしまいます。

 

「神霊に気持ちが向く」イコール「宗教に熱心」ではない

ここで、神霊の方向に気持ちが向いている霊魂であれば、「神霊のお役に立ちたい」という目的があります。上の世界の霊魂はこの気持ちが一致していますので、「神霊のお役に立てるように自身の霊的向上に努めよう」とか、ある程度成長できた霊魂であれば、さらに上位の霊魂から「この世の人間の支援」ですとか、「下の世界の霊魂の救済」といった仕事が貰えます。

繰り返しますが、これらの仕事に従事しようと思うのでしたら、神霊に気持ちが向いていることと自身が霊的に成長していることが条件になります。したがいまして、これらの条件に合致しない霊魂が好き勝手に「私は人間を助けたい」と思って、地上に舞い戻ってきたとしましても、何もできないどころか結局は人間に悪戯するしかやる事がなくなってしまいます。

つまり、いくら「この世で辛い思いをしている人たちを救いたい」と思ったとしても、正しい方法を知らなければ何の役にも立たないですし、間違った方法を行えばそれは害毒以外の何物でもありません。

死後の世界という場所は、思ったことが何でも実現する世界ですので、それに飽きてしまった後に残るものは、結局のところ、「恋愛」と「宗教」になってしまいます。死後の世界の霊魂にも性別がありますので恋愛しますし、この世にいた頃の思想信条はそのままですので、霊魂を否定していた人は考えを改めるしかありませんが、無神論者であれば神はいないとさらに思い込むことになるかもしれませんし、特定の宗教教団に属していた人は「あんなにお布施をしたり真剣に祈っていたのに何でこんな世界に来たのか」と思いつつも、「もっと必死に祈らないといけない」とか「あっちの教団にいけば何とかなるかもしれない」と思って教団巡りに精を出したりして、結局は「宗教」というものに対する思い込みから脱却できない人が出て来ます。

上の世界には宗教教団を作って、そこの教えに凝り固まっている霊魂などいません。宗教の教えはこの世を生きるためには必要でしたが、死後の世界で必要になるのは別の価値観であることに気が付かないと、いつまで経っても同じ場所で成長することなく何百年も滞留することになります。

前回の繰り返しですが、宗教の教えで重要なのは『念の飛ばし合いになることを避ける』ということです。さらには大切なのは神霊に気持ちを向けることであり、神霊にはもともと名前などないということです。これが分からないでこの世での思い込みを持ち込んでいる人達は、下の世界で宗教教団に分かれて相手を互いに批判しています。そこに神霊からの気が下りることはありません。

 

 
【死後の世界についての記事一覧】

第1回 水波霊魂学での見解と死後の世界を知ることの意義
第2回 この世との連続性」と「捨て去るもの」
第3回 最初の関門を突破できるか
第4回 上の世界と下の世界とは何か
第5回 誰もが「夢の中の世界」を経験する
第6回 イメージ したことが実現する世界
第7回 ケンカをすると地獄になる場所
第8回 呼び覚ましてはいけない記憶
第9回 「生きがい」 が見い出せないという苦悩
第10回 霊的に成長 するのか、停滞するのか、それとも後退か
第11回 自分勝手な願い を叶えてくれる神などいない
第12回 相手との 不一致 が悲劇を招く
第13回 なぜ 下の世界 に落ちるのか
第14回 「 宗教の教え 」に隠された本質とは
第15回 思い込み がもたらす不幸
第16回 『 囚われ 』-肉体が消えたあとに残るもの
第17回 無信仰 の人達が集まる街