死後の世界 (14) 「 宗教の教え 」に隠された本質とは

宗教の教え

 

三郎さんは、死後の世界の住人になってこの世にいるうちに死後のための準備をすることの重要性に気づきました。それは幽体という死後の世界で使用する身体を健康な状態に保つということでした。そのためには幽体の栄養源である『幽気』という気を吸収することが必要なのですが、なるべく質の高いものを吸収しないと、排気ガスを吸って体を壊すように幽体の健康も損なってしまうのでした。

なおここでの 死後の世界 の見解については水波霊魂学に基づいており、水波先生の著書「死後の世界で恋をして–愛って?」で主人公が経験したことを参考にしています。

 

質の高い幽気を引き付けるために

三郎さんは親切な霊魂に幽体を成長させることの重要性を教えてもらいました。そして、そのための方法は質の高い『幽気』をたくさん吸収することで、それができれば他界後に下の世界に行かないで済むというのでした。方法は至極単純だったのです。

 

「そんなに簡単なんですか?」
三郎が驚くと、親切な霊魂はなおも続けた。
「簡単なんですけど、これが難しいのです。
霊魂の世界は、その地域の幽気に相応しい幽体が、その地域で暮らしているのです。という事は、そこには相応の幽気しかないのです。だから、いつまで経っても成長しないのです。
おまけに、上の地域に行きたいと思っても、簡単には行けません。幽体に適していませんからね。ですから、努力が要るのです。
上のレベルの幽気を、自分に接触できるのはどうすべきか、これが問題になります。人によっては神に祈ります。
でも、祈っても駄目な人もいます。」
「どうしてですか?」
その祈りが、上の幽気を引きつけないからです。

 

水波一郎著 「死後の世界で恋をしてーー愛って?」 P.144 (下線は引用者)

 

下の世界といいましても、それはひとつの場所ではなく無数にあるわけですが、その場所一つ一つで『幽気』の質が違います。そして、その場所に住むのに適している幽体が引き付けられるわけです。

ただ、ここで問題なのは、その場所にある『幽気』の質が低いということなのです。そしてその場所には一つの質の『幽気』しかないために、別の質の幽気(質の高い幽気)を引き付けることがとても困難なのです。ですから、死んだ後に慌てて神に祈ってもその祈りは届かないことが多いのです。

一方、この世(物質の世界)は違います。この世界はみんな肉体という衣を纏っているために、その中にある幽体の質がバラバラでも同じ場所に共存できる唯一の場所です。この世では幽体が健康な人は質の高い『幽気』を吸収して、反対に幽体が不健康な人は質の低い『幽気』を吸収しているわけです。つまり、質の異なる『幽気』が存在できているのです。

したがいまして、この世にいるうちにやらないといけないことは幽体を成長させて質の高い『幽気』を吸収できるようになることです。昔のように神社仏閣に上の世界の霊魂がいた時代であれば、このことを特段意識しなくても良かったのですが、現代は霊的状況が悪くなる一方であり、一人一人がこのことを意識しないといけない時代になっています。

<参考記事>

 

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神霊に気持ちが向くということ

それでは、下の世界に行かないために質の高い『幽気』を吸収すればいいのは分かりましたが、具体的にどうすればいいのかが三郎さんには分かりませんでした。

 

親切な霊魂が言った。
立派な霊魂方は皆、神霊のお役に立ちたいと考えていらっしゃいます。それがヒントです。下の世界の人達には、何を言っても聞く耳がないでしょう。ですが、それが真実なのです。」

 

同 P.145 (下線は引用者)

 

死後の世界には上と下がありますが、明確な境界線はありませんし、町に看板が立っているわけでもありません。したがいまして、上の世界とは何か、下の世界とは何かを厳密に定義することは難しいのですが、ここでは2つの視点から説明したいと思います。

まずは、これまで書いてきましたようにその場所にある『幽気』の質です。質が高くなればなるほどそこに集まる住人の幽体も健全になります。幽体が健全になりますと幽体の心理的な面も安定しますので、争いのない場所になります。こういう場所はいわゆる上の世界といってもいいと思います。

そしてもう一つは、そこにいる住人の意識の問題です。具体的には神霊に気持ちが向いている人が多い地域は上の世界と言えるでしょう。なぜなら、神霊に気持ちが向いているということは恐らく生前からその気持ちが強かったと考えられますし、そうなりますと守護霊とか補助の霊魂の支援を受けてきたことで彼らから質の高い『幽気』を貰っていた可能性もあります。そうなりますと、死後に変な場所に行く可能性は低くなりますので、結果的に上の世界の住人になるということです。

 

ここで『神霊』について簡単に触れておきたいと思います。

水波霊魂学でいう『神霊』とは、至上の存在が最初に造られた霊魂で「神質の世界」に住んでおられます。私たち人間が死後に行く世界は「幽質の世界」ですが、その上に「霊質の世界」があり、「神質の世界」はさらにその上にある世界になります。

『神霊』とは、私たち人間がいくらあれこれ想像を巡らせても決して分かることがない存在です。それは蟻が人間を理解できないのと同じです。そして神霊には名前などありませんし性別もありません。とにかく高貴すぎて何もかも分からない存在なのです。

幽質の世界にいる霊魂は、どれだけ成長しても『神霊』を知ることがありません。それでも気持ちは「神霊の役に立ちたい」ということで一致しています。

 

死後の世界は自由な世界です。衣食住の心配はいらないですし、強者が弱者を支配するような場所に行かない限り、何をしようと誰も文句を言いません。そんな世界で成長するとは何かといえば、それは神霊を信じることと質の高い幽気を引き付けるということなのでした。

そして、それはこの世(物質の世界)でも同じなのです。幽体を健康に保つために質の高い『幽気』を吸収できる環境に身を置くことが一番大切なことです。そのために神霊に気持ちが向けて守護霊が関与できるようにすれば、霊的な支援を受けることができますし、道徳心のない霊魂を確実に排除することができます。

 

大切なことは「 宗教の教え 」の中にあった

宗教の教えは、他の人達と念で攻撃し合う事を避けるためには必要だったのですが、それ以外は、どのような教えでも、あまり関係なかったのです。
大事なのは、神霊を信じる事、そして、上の世界の幽気だったのです。」

 

同 P.145 (下線は引用者)

 

現代は宗教が忌避されていますが、じつは幽体を健全に保つために必要なことを教えてくれていました。人を殺してはいけないとか、盗んではいけないとか、姦淫してはいけないとか、あるいは欲を捨てよといった教えの本質は、人間同士が念で攻撃し合うことを避けることだったのです。攻撃的な念は幽体を傷つけてしまいますし、念を出した当人も死後に上の世界に登っていく時にこれを罪と自覚して苦しむ時がやってきます。

確かに地下鉄に毒を撒いたり、救済と称して人の命を奪ったり、除霊と称して多額の金品を巻き上げたりする団体は存在しましたので、宗教アレルギーが蔓延するのも仕方がないのですが、それでも私は「本質を見失ってはいけない」と考えています。

神霊に名前などありませんしそのお姿すら分からないものです。名前や姿が必要となるのは他と識別できないと都合が悪い人間側の勝手な事情です。したがいまして、本来名前も姿のないものに好き勝手に名前を付けたり姿を作ったりして、それを神の代わりとして拝むことは間違いの元なのかもしれません。

 

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

 

マタイによる福音書 22:37~40 日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』より

 

「あなたの神である主」とは、自分が勝手に作り出す神ではないことは言うまでもありませんし、「隣人を自分のように愛する」ということも、攻撃的な念を飛ばさないという意味でとても重要なことであると私は考えています。

 

 
【死後の世界についての記事一覧】

第1回 水波霊魂学での見解と死後の世界を知ることの意義
第2回 この世との連続性」と「捨て去るもの」
第3回 最初の関門を突破できるか
第4回 上の世界と下の世界とは何か
第5回 誰もが「夢の中の世界」を経験する
第6回 イメージ したことが実現する世界
第7回 ケンカをすると地獄になる場所
第8回 呼び覚ましてはいけない記憶
第9回 「生きがい」 が見い出せないという苦悩
第10回 霊的に成長 するのか、停滞するのか、それとも後退か
第11回 自分勝手な願い を叶えてくれる神などいない
第12回 相手との 不一致 が悲劇を招く
第13回 なぜ 下の世界 に落ちるのか
第14回 「 宗教の教え 」に隠された本質とは
第15回 思い込み がもたらす不幸
第16回 『 囚われ 』-肉体が消えたあとに残るもの
第17回 無信仰 の人達が集まる街