死後の世界(16) 『 囚われ 』-肉体が消えたあとに残るもの

囚われ

 

死後の世界で幽体は変化していく

仮に死後の世界が存在した場合、そこで生活するための身体が必要となりますが、肉体は既にありませんので水波霊魂学でいう「幽体」と呼ばれる霊的な身体を使用することになります。

これまで触れてきましたように、幽体はこの世にいる間は肉体と重なっていますので肉体と全く同じ姿かたちをしています。もっともこれは物質ではありませんので見ることはできませんが、仮に見ることができれば表面的な姿かたちだけではなく、肉体内部の臓器の一つ一つ、筋肉、血管といったものまですべて肉体と同じかたちをしています。

ただ、これは肉体と重なっているからそうなっているだけで、肉体と離れて死後の世界で生活するようになりますと、食べる必要がありませんので消化器など不要ですし、歩いたり走ったりする際にも筋肉を使用しているわけでありませんのでそれらも不要になります。つまり、肉体を維持するために必要だったものは概ね不要になるわけです。

ということは、死後間もない幽体は肉体と同じかたちをしているのですが、死後の世界で何百年と生活している幽体は必要のないものは消失しています。ですので、仮に喧嘩になって念の飛ばし合いになり、強烈な念が命中して幽体が引き裂かれたとした場合、それが死後間もない幽体であれば肉体と同じように中から臓器が飛び出してくるかもしれません。

嘘つきは地獄に入って鬼から舌を抜かれるといった話を聞いたことがある方もおられるかもしれませんが、もちろん死んでいきなり幽質界の最下層に落ちるわけではありませんが、下の世界に入ってしまってそこで喧嘩をしますと舌を抜こうとする人がいるかもしれません。

 

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不要なものが無くなったあとに残るもの

肉体を維持するために必要だったものが不要になったあとに残るもの、それは『意識』です。

この世に生まれてから死ぬまで、肉体と幽体は重なって同じ経験を共有しています。詳しい仕組みはわかりませんが、他界した後に肉体の表面の意識は幽体の表面意識に移行します。ですから、他界後もこの世にいた頃の記憶はそのまま残っていますし、価値観も変わりません。しかし、この世にいた頃に感情や欲求を抑制するために働いていた『理性』というものが死後の世界でも機能するのかと言えばそれは難しいのです。

なぜなら、死後の世界は想念の世界であり、前に触れましたように心の中で強く思ったことは『念』となって相手にストレートに届いてしまうからです。また、他人に対する思いではなくても、例えば後悔していることや昔に戻りたいという自身に対する思いについてもそれがストレートに出てきてしまいます。

私も若い人を見て「あの頃に戻りたいな」と思うことはありますが、その思いをずっと抱き続けているわけではありません。この世の人はみんな忙しいので一つのことをずっと思い続けることなどできません。明日学校や会社がある人は宿題をしたり、会議の資料を作らないといけません。何もすることがないと言って暇を持て余している人であっても、お腹が空いたら食事の用意するかどこかに食べに行かなければいけませんし、眠くなれば寝なければいけません。

つまり、この世で生活している間は、同じ思いを延々と抱き続けることは不可能なのです。

しかし、死後の世界は違います。寝る必要もない、食べる必要もない、働く必要もない、他人に迷惑をかけない限り何をしても自由な世界です。こういう環境で「あの頃に戻りたいな」という強い思いが湧いてきた時、その思いを止めるものは何もありません。その思いが強ければ強いほどずっと思い悩むことになります。何も遮るものがないために何年にも亘って一つの思いをずっと抱き続けることは、まさに『地獄』のような苦しみです。

下の世界に入ってしまったからといって、そこにいるのは『鬼』ではありません。鬼のような心を持った人がいれば念を飛ばされたりして苦痛を味わうことはあります。これも遮るものがないために相手が飽きるまでずっと続く苦痛ですのでこれも『地獄』の苦しみです。しかし、心理的に過去のことばかりに囚われたりしますと、永遠にその場所から抜け出すことができなくなってしまいます。

「なぜ自分はこんな場所に来てしまったんだろう。」
「この世(物質の世界)に帰りたい。」

これらはすべて過去の出来事です。もう戻ることはできないのです。

 

『 囚われ 』は霊的な進歩の道を閉ざしてしまう

これまで死後の世界、とりわけ下の世界に落ちてしまった「三郎さん」の例を書いてきましたが、これを読んだ頂いた方は下の世界といってもいろいろな場所が無数に存在し、そこでトラブルを起こさずに静かに生活していれば特に何も困らないのではないかと思われた方もおられるかもしれません。

しかし、他人とトラブルを起こさなくても、自身の心理的な問題は何も解決しません。他界した後に心理的な問題を解決することは大変困難です。心理的な安定はこの世にいる時は肉体の脳が問題となっていましたが、他界した後は幽体の問題になります。

死後の世界の「ある場所」にいる人たちは、幽体の状況が似通っている人たちばかりです。これは外見的な幽体の具合(不調や損傷等)だけではなく、意識も関係します。例えば、「無神論者がたくさん集まる場所」も存在するようです。

幽体を成長させるためには質の高い幽気を吸収する必要があるのですが、「無神論者の集まる場所」にはそれがありません。質の高い幽気を下ろしうるのは神ではなく上の世界の霊魂です。そして、上の世界の霊魂は神霊に気持ちが向いています。逆に無神論者は神霊に気持ちが向いていません。つまり、無神論者は神や神霊を拒絶するという自由意思を行使している人たちです。上の世界の霊魂は各人の自由意思に反する行為をしませんので、無神論者の街には質の高い幽気が下りないということになります。

「三郎さん」はたまたま上の霊魂が関与できたので何とかなりましたが、それがない状態ですと上の階層へ一段一段登っていくことは不可能に近くなってしまいます。

死後の世界を信じていなかった人も、他界後に生きているわけですから考えを改めざるを得ません。しかし、神についてはそう簡単ではありません。他界後も続く苦悩を前にして、「神などいない」とか「神の名の下にこき使われるのは嫌だ」と思い込んでいる霊魂は多いのです。こういう考えに凝り固まってしまいますと上の世界の霊魂はなんの手も打てなくなります。まさにこれが「救いようがない」状態なのです。

人間は誰もが未熟な存在です。いくら立派な行動をしても素晴らしい価値観を持っていたとしても、それは肉体の脳に限定されたものでしかありません。自分が以前とは全く異なる環境に置かれた時に、過去の栄光に囚われたり、これまでの価値観に固執したりして、柔軟な対応ができないことで生きづらい思いをするのは、この世も死後の世界も同じということなのでしょう。

 

 
【死後の世界についての記事一覧】

第1回 水波霊魂学での見解と死後の世界を知ることの意義
第2回 この世との連続性」と「捨て去るもの」
第3回 最初の関門を突破できるか
第4回 上の世界と下の世界とは何か
第5回 誰もが「夢の中の世界」を経験する
第6回 イメージ したことが実現する世界
第7回 ケンカをすると地獄になる場所
第8回 呼び覚ましてはいけない記憶
第9回 「生きがい」 が見い出せないという苦悩
第10回 霊的に成長 するのか、停滞するのか、それとも後退か
第11回 自分勝手な願い を叶えてくれる神などいない
第12回 相手との 不一致 が悲劇を招く
第13回 なぜ 下の世界 に落ちるのか
第14回 「 宗教の教え 」に隠された本質とは
第15回 思い込み がもたらす不幸
第16回 『 囚われ 』-肉体が消えたあとに残るもの
第17回 無信仰 の人達が集まる街