天使の心 ~心の中で囁く気難しい先生の正体

天使の心

 

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前回は悪魔の心について書きましたが、今回はその続きで 天使の心 についてです。

 

霊体という霊的身体について

 

水波霊魂学では、肉体は幽体という霊的身体が重なっていることはこれまで何回も触れていますが、じつは人間にはさらに別な霊的身体があります。これを「霊体(れいたい)」と呼んでいます。

 

霊体という霊的身体は、生まれてすぐには存在していませんが、個人差はありますが小学生くらいになりますと発生してくるようです。

 

なぜ霊体という霊的身体がいきなり登場してくるのかといった細かい話は割愛しますが、この霊体という霊的身体には特徴があります。

 

まず、幽体は肉体と重なっていますから、肉体と同じ経験、同じ記憶を共有しています。肉体が怒っているときは幽体も同じように怒っています。そういう意味では肉体と幽体は運命共同体のような側面があるのかもしれません。

 

しかし、霊体は違います。まず、肉体と重なっていません。ということは、幽体とも重なっていません。そして、決定的なのが、肉体と記憶を共有していないので肉体の細かな事情が分からないということです。

 

水波霊魂学では、霊体という身体を使用するのは霊質の世界に入った時だと言っています。霊質の世界とは、幽質の世界の次の段階にある世界です。したがいまして、物質の世界(この世)とじかに接している世界ではないので、地上の様子などほとんど分からないのです。

 

 

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霊的な性質が高い霊体は、 天使の心 で肉体と幽体を救う

 

さて、ここで心の問題となりますが、仮に霊体という身体が単に発生するだけならば、心に何の変化も与えないのかもしれません。しかし、まことに残念ながら霊体の意識も独立しており、肉体や幽体と同様に自己主張を行います。そして、その主張というのは、肉体の事情などほとんど考慮しない、極めて倫理的、理性的、論理的なものです。

しかし、それは肉体と幽体を苦しめようとするのでなく、逆に苦悩を抱える肉体と幽体を救いたいと心を痛めている存在でもあるということは重要です。霊的性質が高い身体ですので、この世だけではなく他界後の人生を含めていろいろ考えていますので、肉体や幽体からみれば説教ばかりしているように感じてしまうのは仕方がないことなのです。

 

霊体から何か言われますと、幽体はストレスが溜まるだけかもしれませんが、一方、肉体は親のしつけや学校教育を受けて、この社会に適合するスキルを身につけていきます。それは、わがままを言わずに協調性しましょうとか、理性的な行動をしましょうとか、物事は論理的に考えましょうとか、いろいろありますが、どちらかと言えば霊体の主張と親和性が高いと言えます。

 

したがいまして、肉体から見れば、霊体の自己主張は本来取らなければならない行動のように思えますし、幽体の主張は本音すぎて生々しく感じます。当然、幽体の主張のままに行動していてはこの社会で生きていけませんので、そのような思いが両方浮かんできた時、人は「私の心には悪魔がいる」とか「天使の私と悪魔の私がけんかしている」と感じるのです。

 

人は成人していれば、ほぼ例外なく肉体、幽体、霊体という3つの身体と3つの意識を持っています。そしてその意識はそれぞれに自己主張を行いますが、最終決定は肉体の意識が行います。

 

この思考パターンを死ぬまで繰り返しているのが人間なのです。

 

人間の心の中にはさまざまな思いが去来していますが、こんなことを考える私は嫌いとか、消してしまいたいとか、そう思いたい気持ちが起こっても当然なのですが、そう思う「私」も私の一部分であって、排除することよりもそれを認めたうえで共存することが、ある日突然、心が爆発するといった悲劇を避けるための一つの方法であると考えています。

 

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