心とは何か ~ 幽体の心 にも2つの部分がある

幽体の心

 

私たちの心には、3つの部分があります。一つは肉体の心、一つは幽体の心、一つは霊体の心です。人間は誰でも肉体、幽体、霊体という3つの身体を所持していますので、心もその各々に存在しています。

 

3つの心の概念図

 

心理学の世界では、心を顕在意識(表面意識)と潜在意識というふうな分け方をする学派もありますが、水波霊魂学では心の構造は上の概念図のようなかたちになります。心理学で言われる顕在意識は、上記の図で言いますと「肉体の意識にある表面の心」の部分に相当すると思われます。そして潜在意識は、上記の図でいいますと「表面の心」以外の領域ということになります。

 

前回は肉体の意識の深い部分について書きましたが、今回は幽体の意識について書いていきます。

 

 

幽体の心 の2つの部分

 

まず、肉体は両親から作られたいわば新品なのですが、幽体は精子と卵子が受精した時に幽質界(あの世)にいる霊魂からその一部が自動的に引き込まれたものですので、新品ではありません。

 

仮に幽質界の霊魂の全体が、受精卵に引き込まれたのならば、それは「生まれ変わり」なのかもしれませんが、実際には霊魂の一部が引き込まれます。つまりは細胞分裂によく似たかたちですので、「生まれ変わり」というよりは「再生」と表現するほうがより正確になると思われます。

 

幽体の意識にも肉体と同じように表面の心と深い心というものが存在していますが、どちらも肉体の表面の心から見れば心の奥にあるものですので、幽体の心というものを表面の心が実感することは非常に困難です。しかし、幽体の心が心の奥にある以上は、何らかの影響を表面の心に及ぼしているということは当然と言えば当然なことです。

 

したがいまして、幽体の心が持つ2つの部分についても知っておくに越したことはありません。

 

 

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幽体の表面の心

 

幽体は幽質界にいる霊魂の一部が再生したものですが、その意識はまだ本格的には目覚めていません。生まれて間もない赤ちゃんの頃は、肉体の意識も幽体の意識も表現できることは限られています。そして意識活動は主に「生きること」に費やされています。しかも、地上に再生した幽体は自分が幽質界にいた頃の記憶や能力のほとんどを忘れてしまった状態で肉体に重なっています。

 

やがて、肉体は成長して社会のルールを学んでいきます。幽体も肉体と常に重なっていますからある程度理解はできるようですし、この世で起こることは共通して経験しているわけです。しかしながら、心の働きは別々ですので、ある経験をどのように感じたかについて、必ず一致するわけではありません。

 

肉体の表面の心は「まずは宿題をすませて明日の予習をしなければ」と思っていたとしても、幽体の心は「勉強ばかりしてないでテレビとかゲームとか、何か楽しいことをしようよ」と思っているかもしれませんし、会社の上司に怒られて表面の心は「また怒られた。なんで自分はこんなこともできないのかなあ」と落ち込んでいたとしても、幽体の心は「お前の指示がわかりにくいんだよ!自分のことを棚に上げて何を偉そうに!」と思っているかもしれません。

 

幽体の表面の心は、この世で経験することに対して何かを感じるという意味では、肉体の表面の心とよく似ている部分もあると思いますが、それでも幽体の心自体が「心のずっと奥」にありますので、それを表現する術がない幽体の心はこの世に生きている時間が長くなればなるほどストレスと溜めていく一方という哀しい心なのです。

 

 

幽体の深い心

 
私たちはテレビニュースで悲しい報道を目にした時には悲しい気持ちになり、映画で残酷なシーンを観れば動揺したり、恐怖心を覚えたりします。理不尽な扱いをされれば怒りますし、親切にされれば感激もします。

 
私たちはこの世を生きることで、心にさまざまな刺激を受けているわけです。それは肉体の心も幽体の心も同じで肉体の心が何かを感じているように幽体の心も何かを感じています。肉体の心は、目の前で起こった出来事がきっかけで過去の辛い記憶を思い出すことがあります。同様に幽体の心も過去の辛い出来事を思い出すことがあります。

 
ただ、肉体と幽体の違いは、肉体はこの世で使用するために新たに作られた身体であるのに対して、幽体は幽質界に既に存在していた身体からできています。肉体が思い出す過去の記憶は最大でも「生まれてから現在まで」なのですが、幽体の場合はそうではありません。

 
幽体にとっての過去の記憶というのは、肉体のような短い期間ではありません。なぜなら、幽体は地上に何回も再生しているからです。肉体にとってこの世の人生は1回きりですが、幽体はこの世の人生を過去に何回も経験してきています。この世に何回再生しているのか正確には分かりませんが、複数回この世に再生しているのがふつうです。

 
つまり、幽体にとっての過去の記憶というのは、この世に再生した時に経験したことと幽質界にいた頃すべてを含んでいるという事になります。そして、これら一つ一つの人生で経験した思いが幽体の深い心の部分に沈んでいるわけです。
水波霊魂学では、過去にこの世を生きた人生のことを「過去世」と呼んでいます。

 

 

幽体の深い心が今に影響を及ぼすと今回の人生を不幸な方向に引っ張ってしまう

 
私たちがこの世を生きる上で経験したある出来事が、幽体の表面の心に強い刺激を与えたとします。そして、それがきっかけで幽体の深い心の「どこか」が刺激されて、その影響がどんどん大きくなってきたとしますと、幽体の表面の心にも多くな影響を及ぼすだけではなく結果的に肉体の心にも影響を及ぼすことになります。

 
幽体の深い心にあるものは、大抵が苦悩に分類される思いです。人間は楽しかったことは忘れやすく苦悩はいつまでも心の傷となって残っているものです。現代の日本は簡単に殺したり殺されたりする社会ではありませんが、人権に対する意識が希薄だった大昔の社会では今よりも簡単に人を殺したり、逆に殺されたりしていました。

 
つまり、この世に何回も再生しているということは、その中に誰かを殺した人生があったり、逆に誰かに殺された人生があったとしても何の不思議もありません。ということは、誰でも人を殺した時の思いや殺された時の思いを幽体の深い部分に持ち合わせているということになります。

 
とはいいましても、誰かを殺した人生に感じた思いがそのまま表面の心に浮かび上がって、今回の人生でも誰かを殺すという単純な図式ではありません。そんなに単純ならばこの世は人殺しだらけになってしまいます。

 
仮に人を殺した人生を持っているとしましても、人を殺して後悔したのと、人を殺して悦びを感じたのとでは、人を殺したという事実は同じでも心に残っている思いは全く違います。この場合、仮にこの時に思いが表面の心に浮いてきた場合、人を殺して後悔した人は、対人トラブルというものを極端に恐れて人と関わるのを避けようと行動するかもしれませんし、人を殺して悦びを感じた人であれば、今回の人生でも人を殺したくてたまらなくなるかもしれません。

 
ですので、幽体の心の奥にどういう思いが沈んでいて、それが何をきっかけとして騒ぎ出すのかといったことを事前に知っていれば、今回の人生を不幸な方向に向けるのを避けることも可能なのです。

 
幽体は肉体の陰に隠れているので普段は全く意識できませんが、じつは人生を送るうえで大事な役割を持った存在であり、何よりこの世での生活を終えて霊魂の世界に帰れば、幽体を使用するわけですから、肉体の健康に気を遣うのと同様に幽体についても対策をしておかなければならないのです。

 
幽体の深い心の中には今回の人生を不幸な方向へ引きずりかねない思いがいくつも眠っています。幽体の表面の心が乱れますとこの部分を刺激することになってしまいます。それを防ぐためにも幽体の表面の心が安定することが重要です。

肉体の心を安定させるための技術は本を読んだり専門家に教われば分かるかもしれませんが、幽体については何の情報もありませんし、その存在を知らない人が多いので、直感でも何でもいいですが「気づいた人」が自主的に情報を集めるしかありません。

 
幽体は見えませんが、「見えないから無い」わけではないのです。少なくとも死後の世界があると信じている方や霊魂の存在を信じている方は、幽体というものにも目を向けて頂きたいと思います。なぜなら、人が生まれて死ぬまでに幽体が何を思い、何を肉体に伝えようとしているのか、それを知るのと知らないのとでは死んだ後に大きな差になって現れるからです。

 
しかし、現実は誠に残念なことですが、テレビを観ていますと、霊魂は人を怖がらせて喜んでいるだけの存在として描かれたり、心がきれいな人にはとても素敵な霊魂が寄り添ってずっと助けてくれるとか訳のわからない解釈が流行ったりして、本当に正しく考えてくれる人がいないのが現状です。

 
現代は刺激の多い社会です。それは400年前の日本と比べれば当然です。当時の日本人はインターネットもスマホも持っていませんし、飛行機や新幹線にも乗っていません。仮に一生涯各地を放浪した人生であったとしても出会う人は限られますし入ってくる情報も現代に比べればはるかに少ないでしょう。

 
それでも何回もこの世に再生するということは、そんな人生であったしても重い心情を溜め込んでいるということです。現代に生きる私たちは過去の人生の数回分で受けるような刺激を一回の人生で受けているのかもしれません。

心のケアを考えるとき、肉体の心だけに焦点を合わせるだけでは根本的な解決は難しいと言わざるを得ません。幽体の心のケアと併せて行なってはじめて、心は真の意味で安定するものなのです。