『 心の強弱 』と霊的な幸不幸は連動しない
心の強弱 は善悪と連動しない
人は誰でも人生で一度くらいは失敗や挫折を経験するものです。
現代は競争社会ですから、勝ったり負けたりを繰り返していますが、その中でも人が失敗したとか挫折したと感じるような大きなライフイベントはいくつかあります。
例えば、受験や入社試験とか会社での出世競争、あるいはリストラされたといった経験です。
こうした事態に陥った時に、心の強弱が問題にされることがあります。
心の強い人は失敗を糧にして這い上がることができるが、心の弱い人は心が折れてしまって復活は難しいといった言い方をされることがあります。
確かに心理学の世界では、幼少期の育ち方が成人期以降のストレス耐性に影響を与えるという説があります。
それでは心の強いことが「善」で、弱いことが「悪」なのでしょうか?
水波霊魂学の知見では、心の強弱は物質界の生きやすさに影響はあるかもしれませんが、霊的生命体としての価値から見た時に、どちらが良くてどちらが悪いということはありません。
強い感情がもたらす厄災
心の強い人は逆境に強く、マイナスからゼロにする力、そしてゼロをプラスに持っていく力を持っていると思います。
しかし、ここで問題なのは、そういう人はたいていの場合、他人から妬まれたり恨まれることが多いということです。
這い上がる姿勢を見て共感したり応援したりする人がいる一方で、その力がない人からの妬みや競争に負けた人からの恨みを買うことがあります。
それは逆恨みかもしれませんが、恨みは恨みです。
恨みという感情はとても強いものですので、水波霊魂学でいう「念」となって相手に飛んでいきます。
そこで運悪く、その念が刺さってしまいますと幽体が傷ついてしまいます。
それならば、心が弱ければ都合が良いのかと言えばそんなことはなく、心の弱い人はそもそも念が出にくい人が多いそうで、恨みの念は出ないかもしれませんが守護霊を呼ぶ念も出ません。
そうなりますと、守護霊はその人を援助することができませんので、仮に挫折や失敗に霊的な要因が絡んでいた場合にも何も対策が出来ないことになります。
他人に念を飛ばす人がいなくなれば、霊的に不幸になる人はかなり少なくなると思いますが、現実は恨みや妬みをいった感情がそこらじゅうで飛んでいるような社会になっています。
そうなりますと、いくら頑張ったとしても、メディアが称賛するような業績を残したとしても、逆恨みや妬みといった思いを抱く人がいる限り、霊的に不幸になる可能性があります。
「念」は目に見えませんが、感情と連動しています。
学力を追求することも大切なのかもしれませんが、むやみに人を妬んだりしないといった感情に対する教育も必要なのではないかと思います。