現世利益を得られても幸せになれるとは限らない

煙

 

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人の心は脳の機能で変化する

 

スピリチュアルなことに関心がある方の多くは、死後は地獄ではなく天国へ行きたいものだと思っていましたが、最近はそうでもないようです。特に、「宗教と関係ありません」を標榜される場合は、現世利益を安易に得ることを目的としたものであるように思えます。

 

例えば、「笑顔」とか「感謝」というワードは、願望実現のパスポートのような扱いを受けています。もちろん、人と付き合う上でしかめっ面よりも笑顔のほうがいいに決まっていますし、感謝の心を持つことは良いことです。

 

しかし、いくら笑顔を浮かべても、すべてのことに感謝しても、人の心は脳の機能でいくらでも変化するという視点が欠けているように思えてなりません。いつも穏やかで笑顔あふれる人でも、老齢になれば怒りっぽくなったり、物忘れがひどくなります。さらに認知症を患えば「私のお金を盗んだのはお前だろう?」と言われるかもしれません。

 

果たしてこれはその人の人格が下がったということなのでしょうか。

 

当然、そんなわけはありません。あくまでも脳の機能が何かしら変化したために起こることです。

 

 

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表面意識を変化させても、心は変わらない

 

最近は、興奮している人をおとなしくさせたり、不安を抱いている人を楽にさせたりする薬もたくさん出てきました。

 

また、元野球選手や歌手が使用した覚せい剤についても同じことで、合法か違法かの違いはありますが、薬物を使用すれば心のありようは一時的にでも変えることが可能です。

 

前回の記事でも触れましたが、人の心は肉体の心だけではなく、とても複雑で巨大なものです。

 

したがって結論を言えば、肉体の心だけを変えても、それは心の全体からみればほんの一部分の変化にすぎません。つまりほとんど何も変わっていないということです。

 

笑顔を心がけるとか、万物に感謝するというのはあくまでも表面意識を変化させようとしているのにすぎません。仮に表面意識を多少変えられたとしましても、心の奥(いわゆる潜在する意識)は複雑かつ巨大であり、これはあたかも海の浅い部分は外部からの刺激によって変化できても、深海の部分は何も変えられないのと同じなのです。

 

 

現世利益を得る=幸せではない

 

さらに言えば、「幸せ」というのは個人の主観であり、心の状態を指すものです。つまり、「幸せ」という名のゴールは存在しません。

 

仮に念願のマイホームを購入して幸せを感じていたとしても、会社から転勤せよと言われればそんな気分は吹き飛んでしまいます。

 

もちろん努力の対価という意味においての現世利益は否定しません。努力することはとても大切なことです。しかし、「幸せ」という名のゴールは存在しないこと、そして、笑顔や感謝だけで何かを実現させようと思うことは間違いです。

 

これらは、人がこの社会をなるべくトラブルにならずに生き抜くため術にすぎません。

 

物欲であれ、名誉欲であれ、何かしらの欲望を達成したいと考えることは、人としての成長に繋がる面もありますので、他人をあからさまに陥れるような姿勢でない限り、それを追い求めること自体は悪いことではありません。ただし、「私はなぜそれを求めるのか?」という視点、つまり自分の心に向き合うということを忘れるべきではありません。自分の心の動きを知り、周囲の状況を分析して、自分が進むべき道は何かを冷静に考えることが大切です。

 

安易に手っ取り早く現世利益を得たいと考えていると、思わぬ落とし穴に落ちることになるかもしれません。どの分野でも「金メダル」が欲しければ、自身のモチベーションを保った上で正しい指導者について指導を受けないといけません。そして何よりも人一倍の努力が不可欠です。

 

笑顔や感謝で金メダルなど取れません。

 

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