教育やしつけで心の本質は変わらない
私は常に正しい
私たちは、大抵の場合、自分を中心にして物事を判断するようにできています。
考えればそんなことは当たり前のことで、これまで歩んできた人生で下してきた判断がすべてが悪かったと思っている人はまずいません。
普通に生活していても何かしらの対立は起こりますし、その時には双方が自己の正当性を主張します。傍から見れば一方に明らかに落ち度があると思えるようなことであっても、当事者にとっては自分が正しいと本気で思っています。
例えばブラック企業の経営者は、残業代も払わず、休日も与えず、諸々の嫌がらせの末に社員が自殺してしまったとしても、自分たちが作っている劣悪な環境を棚にあげて、他の者は文句も言わずに働いているとか、こんなことくらいで死んでしまうのはメンタルが弱いからだと普通に思っています。
ブラック企業とかハラスメントの問題がこれだけ世間で騒がれていてもまったく一向に改善される様子が見えないのは、常に「私が正しくてあなたが間違っている」という、物事を善悪で単純化して考える人達が存在するという証でもあります。
序列が知りたい
ダーウィンの進化論によれば、人間は類人猿から進化したそうです。ということは、当然、その当時の脳も猿のような思考回路だったと思われます。
例えばチンパンジーは基本的には群れを作って生活しますが、トップが全て掌握しているのかどうかはともかく、序列はしっかり存在します。オスは自分の序列を上げるために競争を常にしていますし、他の群れとの争いの時には一致団結してこれにあたるなど、まるで人間のような行動をすることがあるようです。
人間の肉体が、チンパンジーのような身体から発達したとするのなら、肉体の脳も少しずつ発達させて現在に至っているということかもしれません。
けれども仮に人間の脳にチンパンジーのような身体を持っていた頃の部分が残っているのならば、人間というものは本質的に序列を作りたがるし強い者には無条件に従います。そして、自身の序列を上げるために一生を捧げます。当然、自分に戦いを挑んできた相手は完膚なきまでに叩きのめします。
猿と関係があるのかはともかく、人間は序列を作りたがる生命体です。これは上から何番目かという視点ではなくて、ある一定の層のどこに自分が属しているのかをとても気にする傾向があるように思えます。
ある一定の層とはごく簡単に言えば、上中下です。それが所得水準なら高所得(上)、標準的な所得(中)、低所得(下)ですし、階級社会ならば上流、中流、下流の区別となります。
同じ層にいる人同士はそこそこ上手くやっていけるようですが、自分から見て上の階層にいる人へは服従心や反対に攻撃心が高まって、下の階層にいる人には同情心や侮蔑心が高まるように思えます。
必要な矯正を受けて真っ当な人間になる?
さて、今日もたくさんの生命がこの世に誕生します。
当然ながら、みんな赤ちゃんです。
当たり前ですが人間はみんな赤ちゃんから始まります。そして肉体の脳も成長とともに少しずつ発達していきます。
そしてその成長の過程で親や学校によって、この世をまっとうに生きるために必要だとされる矯正を施されます。
この矯正のことを「しつけ」とか「教育」と言います。
他人を蹴落としてはいけないとか差別をしてはいけないとか、肉体としての人間が本質的に持っている部分に対して、教育という名の矯正によって人間は社会に適合していくようになります。
矯正に成功した人は人格者とか良識人とか賢い人と言われ、失敗した人はならず者とか無法者とかバカと言われます。
しかし、これは前述しましたように人間の本質に逆らって強引に身につけさせたものです。
言われたことをきちんと守らないと親に叱られる、先生に叱られる、警察に捕まる。
ですから必死でアタマとカラダに刻み込ませたのです。
それでも、本質的な部分を隠すことはできても消すことはできません。
合法であれば何をやっても構わないという考え方は、大なり小なり誰の心の中にもあるものです。そして人生の階段を少しでも踏み外したときによく出来心とか魔がさしたとか言いますが、それは人間の本質がちょこっと顔を出したとも言えるかもしれません。
人の心は肉体と幽体の心を合わせたもの
ここで誤解を避けるために一言書き添えますが、私はしつけや教育についてそれ自体が悪いと言っているのではありません。これらは人が少しでも生きやすい社会を作っていく上で必要不可欠なものだと思っています。
問題なのは、しつけや教育で人間の心を完全に変化させることができると盲信や過信をしている点です。
人間は肉体と幽体が重なっていますが、しつけや教育を受けるのは肉体だけです。幽体は肉体の陰に隠れて知らんぷりしています。
肉体はしつけや教育をアタマとカラダに覚え込ませますが、幽体はしつけや教育では何も変わりません。
人間の心とは、肉体の心と幽体の心が複合したものですので、結論としてはしつけや教育で人の心全体を完全に変化させることは不可能ということです。
人は法律や教育によって協調性を身につけたり道徳的な行動ができるようになったことは間違いないのですが、言い方を変えればただそれだけのことですので、心の底に眠っている人を殺してみたいとか人の物を盗ってみたいとか物を燃やしたいという思いは実は何も変わっていません。
変わっていませんので、何かしら魔が差したとか酒に酔って表面意識のタガが外れてしまえば、人は簡単に犯罪者になってしまいます。そして周囲の人は驚きます。「こんな大それたことをするような人には見えなかった。」
やはり肉体の面からどれだけ探究しても人間の真実は絶対に分からないということです。