どれを選んでも間違いという悲しい現実
死後の世界を信じていても生き方は一つではない
「死後の世界があると思いますか」「霊魂は存在すると思いますか」と問われたとき、選択肢は「ある」「ない」「わからない」の3つです。
ただ、実際には、人生を送る上で死後の世界や霊魂というものをどの程度加味させるかによって、その選択肢は無数にあります。
これらを積極的に肯定して、「探求するために団体に入ってそこで学んだことを自分の人生に取り入れます」という方もおられるでしょうし、「悩みごとがあるときに限って神社やパワースポット巡りをします」というご都合主義派、あるいは「自分の人生は自分の力で切り開きます。」という否定気味派、あとはきっぱり否定する派。
生き方の選択肢はこれらの他にも無数にあります。
結局は、人は五感で感じられないことについては、各人の持つ基準によってその是非を判断するしかありません。
間違いを信じていてはむしろ有害
ただ、死後の世界や霊魂の存在を信じていたとしても、やっていることが先祖供養と笑顔と感謝だけなら、霊的世界の法則から見ればまったく意味がないことです。
仮に神仏を求めるにしても、正しく求めなければ結果は間違いとなります。
また、困った時だけ神に縋るような場合も、昔のように神社に高い気が下りている時代であれば参拝するだけでも少しは効果が期待できましたが、現代はそれもほとんど望み薄ですし、そもそも神仏は縋るものではなく求めるものですので基本が間違っていますと得られる結果もそれなりなのです。
たとえ慣習には従っていても、『そこに本来あるはずだったもの』がすでに消滅してしまったのであれば、一生懸命神社でお願いも何の意味もありませんので結果的には間違いとなります。
あと、死後の世界や神仏を否定するということは、神や神を信奉する霊魂たちから見れば、「自由意志を行使して神の関与を拒否した人」ですので、当然何もできません。そんな人が苦しい時だけ神頼みしても何の力もおりません。
現代は、『いずれの道を選んでも結果的に間違い』となってしまう確率が非常に高いというとても困った状況にあるといえます。