心とは何か ~誰にでもある 霊体 が持つ『高貴な心』

霊体

 

 

霊体 とは何か

 
これまで人間の心について述べてきましたが、今回は『霊体の心』について書いていきます。

まず、霊体という霊的な身体はこの世に生まれた当初は存在していませんが、個人差もありますがだいたい小学校高学年くらいの年齢になりますと発生してくるようです。
霊体は幽体とは違って、肉体と密着していません。密着していないのになぜ私たちの『心の一部』を構成しているのかは分かりませんが、この身体の心は幽体よりも霊的な性質も高いそうで、救われる側ではなくむしろ救う側に属するような心を持っているようなのです。

したがいまして、未熟な肉体の心や幽体の心とはまったく違う心の働きをします。そして、この心が強く自己主張すると幽体の心と同じように表面の心に影響を及ぼしますが、その影響の及ぼし方が幽体とは全く違うわけです。

霊体の心とは高貴な心といいますが、そもそも霊体とはいったい何なのでしょうか?

 

そこで霊魂に聞きました。霊体は何の為にあるのですか、と。
霊魂が答えました。
「霊体は高貴です。それは、人間が将来、霊魂の世界で成長し、進歩した時、更に高貴な世界に入る時の身体になるのです。それが物質の世界にいる時から生じているのです。霊体が物質の世界で生きている時に、成長している人はほとんどいません。
ですから、霊体が成長すれば、魂としては、大きな進歩と言えます。」

水波一郎著 たましいの救い 第三章 心の種類 P.43

 
霊体は肉体や幽体と同じように同じ人生を歩んでいますので、同じ経験を共有しています。しかしながら、3つの心で感じていることが一致するとは限りませんし、霊体の心は肉体の表面の心よりもはるかに高級でかつ霊的な心ですので、肉体の表面の心が感じたことと全く違うことを考えている確率が高くなると思われます。

 

 

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肉体の心と全く違う霊体の心

 
例えば、私たちが映画やテレビを観て感動している場面を想像してみてください。主人公が誰かを救う場面を見て感動するのは当たり前なのですが、この時霊体の心は大きな感動に包まれている肉体の表面の心を見て何を思っているのでしょうか。一例ですが、例えばこんなことを思っているのかもしれません。

 

「確かに良い映画です。ですが、人が生きるとは何ですか。なぜ生きるのかが分からなければ、命の意味が分かりません。命の意味を知らないで、命を助けたとしても、どんな価値があったのか、本当の意味が分かりますか。分かりませんよね。
先に学ぶべきことがあるはずです。
感動的な映画を観たら、次は、自分の生きる意味や、価値について考えてください。
そして、今、何をしなければならないのか、それを勉強してください。私も知りたいのです。」

水波一郎著 たましいの救い 第四章 涙 P.69

 

 

霊体 の心は情報を求めている

 
映画を観て感動している時に、誰かからこんなことを言われたら興ざめするでしょう。しかし、これは他人に言われたことではなく、自分の心の中で起こっている思いだということが重要です。肉体の表面の心はそのことに気が付かないかもしれませんが、霊体の心の主張が強ければ、表面の心にも『何となく』伝わるかもしれません。

 
霊体という霊的な身体は確かに高貴なのですが、この世に生まれた後に発生してくるものですので、幽体のように元は幽質界にいたというわけではありません。つまり、人間の霊体は霊的には高貴な器ですが中に情報を入れてあげなければ「ただの器」でしかありません。宝の持ち腐れです。

 
人間の霊体が求める情報とは、『霊的な知識』です。私たちが日常生活を送っている中で霊的な知識を霊体が得られるようにしませんと、霊体の心はいつまで経っても満足しません。ということは、霊体の心も人間の心の一部なのですから、霊体の心が満足しない状態では、心全体が満足することはできないということになります。

 

 

人間のたましいとは

 
このように、人間のたましいとはとても複雑で巨大なものなのです。肉体の心など『たましいのほんの一部分』でしかありません。しかし、私たちは肉体の心が主導権を握っています。現代は医学が発達したこともあって、肉体の心を薬物である程度コントロールすることは可能です。しかし、粗暴な人に薬物を投与して穏やかになったとしてもそれは肉体の表面の心にしか効いていません。その人の心の奥は何ひとつ変わっていません。

 
昨今流行りの自己啓発やスピリチュアル系のセミナーで、「考え方を変えれば幸せになる」とか「心を変化させれば願望が叶う」などとおっしゃる方がおられますが、仮に変化したとしてもそれは氷山の一角を少しばかり変化させたということに過ぎません。

 
肉体の表面の心を少しばかり変えたところで、心の全体からみればほとんど何も変化していません。物の見方、感情の扱い方、思考法を肉体のレベルで変更したところで、奥に隠れている幽体の意識は何ひとつ変わらないどころか、訳の分からない変化をした肉体の心に対して反発し激しい怒りを持っているかもしれません。。

 
もしもそうだとすれば、肉体の表面の心が優勢なときはそれなりに変わったように見えたとしても、酒に酔った時やボーっとしている時、怒りや悲しみに支配された時、あるいは気分が落ち込んだ時など肉体の表面の心が弱くなって理性が抑制されてしまえば、ふだんは奥に隠れている幽体の意識が表面に現れてくることがあります。そして、それは肉体の意識と違って、誰にも教育されていない、この世のルールなど歯牙にもかけない、欲望の塊のような意識です。

人は、このような時に魔がさしたと言われるような行動をしてしまうのです。

 
したがいまして、心の全体を考えないで心を救うとか、たましいを救うなどということはありえないということです。
もしも本当に心の救いやたましいの救いを得たいと願うのでしたら、肉体だけではなく、幽体や霊体といった霊的な身体のことにも目を向けることが不可欠なのです。