苦しい時の 神頼み が間違いな理由

神頼み

 

 

苦しい時の 神頼み という虫のいい考え方

 

苦しい時の神頼み

ふだんは不信心の者も、困窮したり災難に出合ったりすると、助けを求めて神仏に祈るということ。

(明鏡ことわざ成句使い方辞典より)

「苦しい時の神頼み」、「叶わぬ時の神叩き」、「困った時の神頼み」・・・、いずれも同じ意味です。辞書にある通り、不信心な人が困った時や苦しい時に神様に頼んで助けてもらおうという虫のいい考え方のことを指します。

 
常日頃から不信心な人は、物事が順調に進んでいる時は自分の力でそれが得られたのだと思い込んでいますが、何かの拍子で失敗をしたり病気になったりすると、「自分は何も悪いことをしていないのになんでこんな目に遭わないといけないんだ」と嘆き悲しみ、自分に起こっていることは理不尽なことでありそれを起こしたのがまるで神であるかのように助けや赦しを乞うのでしょう。

 
これは当然ながら正しいことではありませんし、結論を言ってしまえば、「そんなわがままな人の都合に合わせる神などいない」のです。ましてや、もっと早い段階で対策を打っているのならば何とかなったかもしれないことでも、あまりに切羽詰まった状況で縋られても、もはや助けようもありません。

 
なぜ苦しい時の神頼みは正しくないのでしょうか。それはそもそも神に縋ることが『筋違い』なことだからです。これを知るためには過去に霊的世界で起こったことを知る必要があるのですが、簡単に次項で説明します。

 

 

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神に縋るのが『筋違い』な理由

 
仮に神様が実在したとしても、神様は人間に一切関与しません。実際に人間を支援する立場にあるのは守護霊、指導霊、そしてこれらの霊魂を補助する霊魂といった上の世界にいる霊魂です。上の世界の霊魂は人間の自由意思を犯してはならないという取り決めがあります。それは神が人間に与えた権限です。

 
私たち人類は、もともと幽質界に住む霊魂でした。私たちは「死後の世界」と呼んでいますが、それは肉体から見た時の話であり、最初に霊魂が居て物質界ができて現人類ができたのです。そして、最初の人間の霊魂は自分の意思で物質の世界に移動しました。つまり現人類の肉体に入ったわけです。

 
幽質界という場所は、意識中心の場所です。物質の世界ではありませんし、肉体という物質の身体を使用しませんので、肉体の健康を維持するための食事や睡眠の必要はありません。誰かのために働いてお金を稼ぐ必要もありません。必要なものがあれば心の中で念じればそれが実現します。誰かと競争する必要もありませんし、家族や会社やマイホームに縛られていませんので、イヤな人がいればその場を去ればいいだけです。

 
そのまま自由な世界にずっと暮らしていれば、貧富の差や健康、人間関係に苦しむことはなかったのに、自分たちの意思であえて不自由な世界に生きることを選択しました。それが、今の私たちの「過去世の自分」です。

 
物質界が不自由な世界なのは承知の上でしたし、むしろ自由な世界(幽質界)にいた人間の霊魂が不自由を求めて下りたのです。病気で苦しんだり、食料が乏しい地域に生まれて飢えたり、戦争をしている地域ではいつ爆弾が落ちてくるのか分かりませんが、不自由を望んで下りてみたら想像以上に辛かったということなのかもしれません。

 
しかし、神から見れば、それは自分たちで勝手に物質界に移動するという自由意思を行使したのですから、それに対する不満は単なるわがままにすぎないということです。ですから、どんなに縋られてもそれはわがままでしかなく、神は自ら物質の世界を選択した「人間」の自由意思を侵さないという約束を守っているというにすぎないのです。

 

 

「過去の自分」なんて知らない!

 
肉体は永遠ではありません。いつかは必ず死ぬ時がやってきます。肉体が滅びれば、肉体に入っていた「自分」は再び幽質界に戻ってきます。それを何回となく繰り返しているのが私たち一人一人だということです。

 
私たちは何回も何回も物質界の世界に生まれてさまざまな人生を送ってきました。ある人生では誰かを殺したかもしれませんし、殺されたかもしれません。他人に騙されたかもしれません。そして、その時に感じた激しい感情は「たましい」に刻まれていて、消えることなく蓄積してします。

 
私たちはほぼ例外なく、過去世で罪を犯しています。それは法律に触れる触れないの話ではありません。警察に捕まらないようなことでも、他人を不幸にしたり泣かせたりすることなどいくらでもあります。
『過去の自分のことなど知らない!』と思いたくなるのかもしれませんが、肉体を使用していた時間は断続的であったとして、霊的生命体としての歴史は一本の糸のように繋がっています。肉体の脳はそれを知らなくても幽体の脳には残っています。

 
過去世のことは知らなくても、過去に味わった激しい心情は心の奥に残っていますので、それが何かの拍子に蘇ってきた時に今回の人生を不幸の方向に引っ張ってしまいます。そうならないために、幽体の心情を安定させる必要があるのですが、その手段の一つとして『神に祈る』ということが必要なのです。

 
『神に祈る』ということを常日頃から行って、守護霊や指導霊といった自分を支援してくれる霊魂を呼んでくれないと、彼らは何もできません。それなのに、神はいないとか、神に祈るのは弱い者だと勝手に決めつけておいて、自分が死にかけた時にはじめて神に縋ったところで、助けてあげたいと思う霊魂などいません。

 
上の世界の霊魂は至上の神や神霊といった存在にそれこそ命がけで仕えている存在です。そんな彼らが、神を馬鹿にしてきた人の願いを聞くわけがないのです。

 
『過去の自分』を知らなくても、守護霊は自分の担当する人間がどのような過去世を送ってきたかを調査していますので、今回の人生で何に注意するべきかということを知っており、支援する体制を整えています。しかし、肝心の人間の側がそれを拒絶しているのが現状です。

 
『過去の自分』は知らなくても仕方がありませんが、激しい心情が心の奥に隠れているということを知り、困った時にだけ神に縋るという態度ではなく、どうしても抵抗があるのならば特定の宗教に入らなくても、せめて一日一回でも素直な気持ちで祈るということの積み重ねが大切なのです。