『 善悪 』を知ったがゆえの苦悩

善悪

 

 

「 善悪 」は魅力

 

エデンの園の中央には命の木と善悪を知る木が生えていました。

 

アダムとエバは食べてはいけないといわれていた善悪の知る木から実を取って食べてしまいました。

 

創世記という書物には、ヘビに騙されたと書かれていますが、本当はどうだったのでしょうか。この話は神話ですのでストーリー自体が重要ではないのですが、人間の本性を窺い知る上でこの部分の記述は実に興味深いものがあると感じています。

 

これは私の推測ですが、エバは蛇に何も言われなくてもいずれ木の実を食べたのではないかと思っています。神に憧れたとかそういうことではなく、してはいけないと言われたことをしたいと思うのは人間の本性ではないかと思うのです。

 

命の木から実を取ることは許されていたのに、駄目だと言われている善悪を知る木から実を取ったということは、人間にとって「善悪」を知ることとが魅力的だったからかもしれません。

 

エデンの園とは、水波霊魂学にあてはめれば「幽質の世界」です。私たちが死後の世界と呼んでいる場所ですが、これは卵が先か鶏が先かという話で、人間を肉体という側面からみれば死後の世界ですが、幽体という側面で見れば生前の世界です。

 

いずれにしましても、最初に幽質の世界があって、そのあとに物質の世界が造られたのですから、アダムとエバは幽質の世界にいた最初の人間の象徴だと言うことができます。

 

幽質の世界にいた人間の霊魂は、物質の世界にある「不自由」を望み、その世界を支配したいと考えました。また、正邪善悪の基準を主体的に持つことを望みました。

 

善悪を知る木は人間の霊魂が望んだから植えられたかもしれません。

 

 

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善悪を知ったことで苦悩が始まった

 

エデンの園から出て行った人間達は、新たな土地で生活を始めました。

 

新たな土地では、これまで経験したことがないことばかりでした。肉体という身体はこれまで使用していた幽体に比べて、はるかに繊細で壊れやすい身体でした。

 

ちょっと油断すると病気になったり、ケガをしたりします。運が悪いと肉体の機能が停止してしまって、再びエデンの園に舞い戻ってしまいました。

 

それでいて、その場所にもう一度戻りたいと思っても、それがいつになるのかは分かりませんし、仮に戻ったとしても、なぜなのかは分かりませんが自分はエデンの園に取り残されたままでした。つまり、新たな土地に戻ったのは自分から分裂した一部だったわけです。

 

新たな土地に長い時間が流れました。いつの頃からこの新たな土地がある場所は地球と呼ばれるようになり、そこに暮らす人間も生まれたところによって肌の色が違いました。それだけではなく、地域に独特の風習が生まれ、そこに暮らす人々は神を知るという者に従って生きていました。

 

さらに時が流れ、この世界に科学というものが生まれました。科学を知る者は賢者と呼ばれ、科学を知らず神を知る者は愚者と呼ばれるようになりました。

 

科学は人々の暮らしを豊かにしました。飛行機や電車によって遠い所に楽に移動できるようになり、不治の病が治るようになりました。雨風や寒暖を凌げる空間に住むことが可能になり、多くの人がその恩恵を受けることになり、科学の発達は人々にとって最も大切なことになりました。

 

その結果、科学を崇拝するがごとしに絶対視する人達が増え、神を信じる者はますます愚か者の烙印を押されることになりました。

 

善悪を知ってしまった人間という存在は、他者を悪として裁くようになりました。自分は善であなたは悪、私は正しくてあなたは間違い。

 

人間は善悪を知る木の隣にあった木(=命の木)のことをすっかり忘れてしまったのです。これが人間が苦悩を抱えてしまった一番の原因です。

 

命の木を忘れてしまったことで救いが得られなくなってしまいました。これは地上の世界の法則と霊的世界の法則の違いを教えてくれる存在を愚か者と言って拒絶したり無視して結果です。

 

しかし、拒絶しようと無視しようと他界すれば霊的世界の法則は例外なく働きます。

 

 

人間の『 自由意志 』は神さえも干渉できない

 

地上の世界の法則に忠実に生きた結果、他界後に下の世界に落ちてしまった人間は、自ら拒絶したり無視したことを棚に上げて、困った時に何もしてくれない神に勝手に怒ったり逆恨みをします。

 

そして、地上の世界で神を信じていた愚か者を上の世界に行かせることに対して、ますます怒りと憎悪を募らせます。

 

「私は科学で証明できないものを信じなかっただけだ。それが常識だった。それなのに、神や仏などと訳の分からないものを信じていた者がそれだけで上の世界に行くなんて到底納得できない。神は私が生前どれだけ社会に貢献してきたのかまったく知らないくせに、神を信じなかっただけで下の世界に追いやった。神こそ偏狭で差別主義な愚か者である。」

 

他界後の世界で神に対して怒ったり憎悪している霊魂はたくさんいるそうです。しかし、それは神の責任ではありません。生前に自分自身で生き方を選択したのです、神を信じないと。

 

人間の自由意志は神さえも干渉できない権利です。神は自分を求める人にしか何かをしてあげられません。これは差別なのではありません。

 

「信じる者は救われる」、「汝の神を愛せよ」、「求めよ、されば与えられん」

 

昔から神を求めよと言われていたのに、それを拒絶したり無視したのはほかならぬ人間なのです。自由意志を行使した結果は自分が負うしかありません。

 

善悪を知りたいと願ったのは人間なのです。そして善悪を知ったが故に人間は苦悩することになりました。その苦悩を絶つのか連鎖させるのかを決めるのは人間に課せられた最大の自由意志の行使です。

 

そして、普通に生きて普通に死ねば苦悩の連鎖を自らの自由意志で選んだということになります。