レッテル貼りする人は自分の心を知らない人かもしれない

レッテル貼り

 

レッテル貼り は人間の持つ性質

 
人間の心にはいくつもの領域があるためにとても複雑にできています。

 
自分の心ですら、その全体を把握できていないのに他人の心など理解できるはずがありません。それでも他人との関わりは生きていく上で避けて通れないことですので、どうにかして目の前の相手がどんな人なのかを知りたいと思うのは至極当然のことです。

 
しかし、そこで分かるのはその人が発する言葉や態度といった外見でしかありません。ある程度深い仲になれば内面の感情に触れることができるかもしれませんが、巡り合う人達全員と深い仲になれるわけではありませんので、どうしても外見で判断せざるを得ない状況が多々発生します。

 
その時、自分から見て判断が難しい人だと感じた場合、人は無意識のうちに自分の価値観や偏見に見合う型にその人をあてはめようとします。「この人はこういう人だ」という分かりやすい答えを自分のために用意します。

 
これがいわゆる「レッテル貼り」といわれるものです。

 
他人に何かしらのレッテルを貼るという行為自体は、人間が持つ性質ともいえますのでそれ自体が悪いことではないのですが、デメリットはきちんと認識しておくべきだと思います。

 
それは、相手を一つの物事あるいは一つの側面しか見ずに全体を評価してしまうということです。

 
仮にすぐ怒る人がいるとして、「あの人は怖い人」というレッテルを貼って、その人と関わるのを避けているとします。その人は確かに短気ですぐに怒るかもしれませんが、心の中はとても暖かいかもしれません。相手のことを真剣に考えているから怒っているのかもしれません。

 
レッテルを貼るということは、相手の多様性を認めないという態度であることは間違いありません。それはもしかしたら貴重な人間関係を構築するチャンスを逃してしまうことになるかもしれません。

 
ただ、江戸時代の人達と違って現代に生きる人は直接巡り合う人もいればテレビで見かける人もたくさんいますので、一人一人の多様性を慮る時間的余裕がありませんので、そういう意味ではある程度のカテゴリ分け(レッテル)は仕方がないという面もあります。

 
個人が個人に貼るレッテルについては仕方がない面があるのですが、問題は集団が個人に対して行うレッテル貼りです。これは仕方がないでは済まないことが多く、中には犯罪や差別といったものも含まれます。

 

 

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犯罪や差別の温床となる レッテル貼り

 
レッテル貼りは人間が持つ性質だと言いましても、やってはいけないことがあります。その代表例が集団が個人に対して行なう行為です。

 
集団が個人を評価するためにレッテルを貼るというのは、大抵の場合その人をその集団から排除することが目的の場合が多いのです。例えば社員をあるカテゴリーに分けたい場合、評価の良い人と悪い人に分かれますが、これは評価の良い人を厚遇するという意思よりも評価の悪い人をどうやって排除しようかという意思のほうが強く働くことが多いです。

 
例えば、人事セミナーなどで多用されるものに、「ジンザイ」には人財・人材・人在・人罪の4つの類型があるそうです。簡単に言いますと、人財は会社になくてはならない人で、人材は将来人財になる可能性を秘めた人で、人在は居るのか居ないのか分からない消極的な人で、人罪は同僚や業績の足を引っ張るだけで会社にとって必要のない人だそうです。

 
この類型がどこから広まったのかは知りませんが、こういうのが差別的なレッテル貼りの典型であるということに気が付かなければいけません。

なぜなら、このレッテルは誰の目線なのかと言われれば会社の目線であり、評価者の目線です。前述しましたように人間の多様性を理解して尊重することは簡単なことではありません。しかし、ある組織や集団でリーダーシップをとる立場の人に必要なのは、簡単ではなくともできるだけ人間の多様性を理解してそれを尊重する態度です。

 
それなのに、人をレッテル貼りして思考停止することを奨励するようなセミナーが開かれ、それを何の疑いもなく取り入れている人たちがいることも、ブラック企業やブラック職場の問題がこれだけ深刻になっている一因ではないかと思います。

 

 

安易なレッテル貼りを避けるために自分の心を知る

 
人は他人の気持ちが分からないから苦悩していることがありますが、同じ人間なのです。多少価値観が異なったとしても、鳥と魚ほどの差はないはずです。

 
他人であっても同じ人間なのですから、自分と同じように心が動いているのだということを知った時、私たちはその人の心を多少なりとも理解できます。

 
したがいまして、他人の心を知りたいと思うのならば、まずは自分の気持ちを知ることが肝要です。例えば、「私はどういった時に喜びや悲しみや怒りの感情が湧いてくるのか。」といったことを冷静に分析することが、本当の自分を知るための第一歩になります。

 
そして次のステップとして、「私はこれはできるがこれはできない」ということを分かった上で、それ自体は善でも悪でもないことを知ります。つまり、「出来ない自分」を悪にしてはいけないことを知れば、「出来ない相手」も悪にしてはいけないことが理解できます。

 
とは言いましても、自分のことがある程度分かったからといって他人のことがすべて分かるわけではありませんが、少なくとも他人も私と同じようにさまざまな感情を持っている『人間』なのだということは理解できるはずです。

 
対人関係の躓きは、他人をいつのまにか『人間』ではなく何やら得体のしれない、理解不能な存在だと感じてしまったことから起こっているのかもしれません。

 
そうした時にこそ、他人を私と同じ『人間』なのだと再認識するためにも、自分という存在、自分の心をいうものを折に触れて分析しておくのが良いかもしれません。自分の心を知ることは他者の心を知るためにも重要なのです。