瞑想 はなぜ危険か(1) ~霊的側面から見た危険性

瞑想

 

今回と次回の2回にわたって、瞑想の危険性について書きたいと思います。今回は霊的側面、主に霊魂からの干渉に危険性について書いています。まずは最近ブームになっているマインドフルネスについてです。

 

マインドフルネスとは?

 

最近は、「マインドフルネス」という言葉を耳にすることが多くなりました。これは意図的に今この瞬間に判断することなしに注意を向けることという意味です。

 

語源はパーリ語のサティ(Sati) という言葉の英訳で、1979年マインドフルネスストレス低減法(Mindfulness-based stress reduction:MBSR)をマサチューセッツ大学で開始したジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn)教授(当時)は、禅、インドのヴィパッサナー瞑想法からこのプログラムを着想しました。

 

マインドフルネスストレス低減法(MBSR)は、当初の慢性疼痛患者への適用だけではなくストレス対処に効果があると認められ、90年代にはマインドフルネス認知療法へと展開し、マインドフルネス認知療法は第三世代の認知行動療法の一つとして臨床心理学での一領域を成しています。

 

「マインドフルネス」の基本は、沈着冷静な心を保ち、自分の呼吸に注意を向けて、集中力を養い、思い浮かぶマイナス的な思考や非現実な思い込みに囚われずに客観的にとらえ、そしてまた自分の呼吸に意識を戻すということを、マインドフルネス瞑想として一日一定の時間(約50分)行ないます。さらには瞑想だけではなくボディスキャンと呼ばれる体の部位に注意を向ける技法や、日常生活におけるマインドフルネスの態度を養うための技法などがあります。

 

「マインドフルネス」は、誰でも知っているような外資系企業(代表的なのはgoogle)でも採用されており、今後もしばらくブームは続きそうです。

 

 

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瞑想 は霊魂の目に付きやすい

 

さて、「マインドフルネス」とおしゃれな言い方をしましても、その起源がインドの瞑想法や仏教の禅にあるのならば、これは宗教的行為以外の何物でもありません。

 

それが、ストレス軽減や脳の活性化に効果があるとか、チームワークや生産性の向上、創造性の発揮に役立つとかいったことが科学的に立証されたとしても、あるいは「これは科学であり宗教とは何の関係もないんだ!」と自分に言い聞かせたとしても、起源が宗教ならばそれは宗教的行為が発展したものでしかありません。

 

何が言いたいのかいいますと、瞑想が持つ宗教的側面、とりわけ霊的な側面を無視するような宗教的行為は危険だということです。

 

霊的側面を無視するということは何かといいますと、それは霊魂の存在を無視するということです。

 

現代は科学を信仰する人が増えたこともあり、証明できないことについて「わからない」のではなく「ない」と断言する人が多くなっています。

 

霊魂の存在を否定している人は自分が瞑想している横に霊魂などいるわけがないと思っているわけですので、それはそれで個人の自由なのですが、本人は「マインドフルネス瞑想」を実践しているつもりであっても、もしかしたら霊魂が横にいてその霊魂が「ほう、瞑想しているのか。何か能力開発をしたいのか。なら手伝ってやろう」と思うかもしれません。

 

仮に霊魂がいるとして、2年前に他界した霊魂と200年前に他界した霊魂では瞑想を見たときに全く別の反応をするかもしれません。2年前に他界した霊魂は現代人ですので何の興味も示さないかもしれませんが、200年前の霊魂は高い関心を持つかもしれません。

 

死後の世界や霊魂を否定される方から見れば荒唐無稽にしか思えないでしょうけれども、じつは、不道徳な霊魂は無神論者や霊魂否定派が大好きなのです。なぜならば、自分の身に起こった不幸や災いを決して霊魂のせいにしないからです。とても仕事がやりやすいでしょう。

 

霊魂と死後の世界を少しでも理解すれば、霊魂を知る正しい指導者に学ばない瞑想など怖くてできません、というのが私の実感です。

 

ですので、瞑想は本を読んだだけで自宅で手軽にできると考えるのではなく、正しい指導者のもとで実践することが、危険を回避するために大切なのです。

 

さらに次回の記事では、自分自身の身体からみた危険性について触れていますので是非ともお読みいただければと思います。