瞑想はなぜ危険か(2) ~自分の身体に起こる 瞑想の危険性
瞑想の危険性 についての続きです。
前回は霊魂の干渉について書きましたが、今回は自分の身体に起こることについてです。
<前回の記事>
瞑想の危険性 ~肉体と重なっている幽体の意識を知る
肉体は幽体と重なっているということはこれまで何度も書いてきました。この2つの身体は意識が別々に存在しており、同じ経験、記憶を共有しています。
肉体はこの世にルールを遵守するように教育されますし、理性も身につけますが、常に肉体の陰にいる幽体の意識は直接教育されているわけではありません。したがって幽体の意識は自分の欲求をストレートに主張する意識であり続けます。
じつはこれが原因で困ったことが起こることがあるのです。
目を閉じますと肉体の意識は少し落ち着いた状態になっていきます。瞑想というのは、それに加えて呼吸や意識に意図的に注意を向けます。
そうなりますと、肉体の意識はどんどん沈静化していくのですが、それとともに、ふだんは奥に隠れている幽体の意識が表に出てきやすくなってしまうのです。
どんどん肉体の意識を静めていくと、やがて幽体の意識が表面意識を占領したかのような状態になります。俗にいう「トランス状態」になりますと、何やら神様が話しかけてきたとか、眩い光のようなものが降り注いだとかそんなことを感じる方もおられます。
それは幽体の意識が前に出すぎて、いわば暴発しているようなもので、神様とか光とかを現実に起こったとと真に受けて、「私は神の使者だ!」とか「私は悟った!」などと言いだしますと、人生を踏み外すことになりかねませんし、自分だけならまだしも関係ない人々にまで迷惑をかけるようになってしまっては困りものです。
幽体を知らないで瞑想するから悲劇が起こる
これは間違った瞑想を行ったことで起こる悲劇です。
正しい指導者から、瞑想で起こることの注意点をきちんと学んだうえで行わないと精神に異常をきたす恐れがあります。自分の中には幽体という別の意識があって、これは常に不満を抱えていて、これが表面意識を占領してしまったときの恐ろしさを知るべきなのです。
もちろん、幽体の意識は悪い意識ではありません。ただ、ストレートすぎるだけです。肉体の意識が優勢ならば我慢できることでも、幽体の意識が表にグッと出てきてしまいますと、欲求のまま行動してしまうというだけのことです。
水波霊魂学で伝授される霊的技法は神伝禊法と神伝鎮魂法がありますが、瞑想は技法として独立していません。
瞑想は技法の中の一部として行なうことはありますが、基本は神伝禊法や神伝鎮魂法を行なえば、単に瞑想を行なうよりもはるかに効果がありますので、私は自宅で瞑想だけを単体で行なうことはしません。
世の中は瞑想がブームですが、その危険性を知らないで安易に行っている方が多すぎると感じています。
何を行なうのにも正しい指導者から学ぶことが大前提です。
ジムでトレーニングをされている方はお分かりだと思いますが、本を見たからといって何十キロのベンチプレスをやっているといつか怪我をするのと同じです。
どんな分野でも「我流」は危険なのです。
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