人は他人を誤解して生きている

他人は自分とは違う心を持っているのが当然です。生まれ育った環境も、経験してきたことや学んできたことも異なるわけですから当たり前のことなのですが、これを分かっていないのか忘れているのかは別として、正しく認識できていないと、大きな間違いを犯す恐れがあります。

 

昨今流行りのハウツー本を鵜呑みにして、例えば恋愛で自分に好意を持っている異性はこういう反応をすると書いてあって、相手がその通りの反応をしたので告白したら撃沈した、なんてことがふつうに起こります。

つまり、必ずこう反応するとか、必ずこうなるというのは物事の一面でしかありません。そういう反応をする人もいますが全員ではないということを認識しないで、一面を見て全体を評価しようとすると大きな間違いを犯してしまいます。

 

例えば、これも昨今問題となっている原子力発電所ですが、ある原子力発電所を再稼働させるか否かについて、AさんとBさんが共に反対を唱えたとします。ところが、じつは同じ反対でもAさんとBさんでは前提が異なっていました。

Aさんは原子力発電そのものに反対していました。Bさんは原子力発電は反対ではないが、再稼働させようとしている発電所の場所が活断層に近いからという理由で反対していました。

この場合、その発電所で反対運動を共にしていても、互いに意気投合したと思って居酒屋でお互いの主張を話したとたんに大喧嘩になるでしょう。

 

お互いに同じことを語っていても、前提となる考え方が違っていると、互いに相手を誤解することがあり得るのです。他の人が自分と同じ意見だからその人が自分と同じことを考えているとは限りませんし、自分と違う意見を主張した人でも、考え方が合わないと決めつけることは早計なのです。

 

原発の例えを続けますと、原発賛成のCさんがいたとします。当然、Cさんはその発電所の再稼働に賛成しますので、AさんもBさんも、Cさんとは意見が合わないと思うでしょう。

しかし、Bさんは原発そのものには反対していないのですから、Cさんとは場所の問題で意見を異にしているだけで、もしかしたらBさんとは同じ価値を共有できる可能性があるかもしれません。

 

人はお互いに相手が見えていないという前提でいたほうがいいかもしれません。人は誰でも自分の物差しでしか相手を見ていませんので、さまざまに誤解しながら人生を生きているのです。

ただ、誤解がもとで本当は自分のとって大切な人を人生の敵にしてしまっては悲劇です。

 

自分は仲良しだと思っていても相手は何とも思っていなかったり、自分のことを嫌っていると思っている人がじつは自分のことを本気で心配しているかもしれません。

 

人はそれぞれ価値観が異なるをいうことは、仮に同じ体験をしたとしてもその評価も異なるということです。

他人の心を知りたい時は誰にでも訪れますが、そんな時にハウツー本などで決めつけてしまうことのないように、あくまでその相手を理解しようとすれば、その人とコミュニケーションをはかるというのが一番の近道だと言えます。