マインドフルネスと瞑想

瞑想

 

1980年代以降のアメリカにおけるマインドフルネスブームの到来

 

最近注目を集めている『マインドフルネス』の本質は、禅宗をはじめとした仏教で大昔から広く行われてきた瞑想から宗教的要素を取り除いて、現代人が主にストレスの低減のために活用するためのプログラムのことです。

 

1979年にジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn)がマサチューセッツ大学のメディカルセンター内に『マインドフルネスに基づくストレス低減プログラムを実施するメディカル・クリニック』を開設したことがエポックメイキングとなりました。

 

カバットジン自身も1960年半ばから禅やヨーガそしてヴィパッサナー瞑想を実践しており、メディカル・クリニック開設の当初はこれらを医学的治療が困難な慢性疼痛を訴える人に対して適用したところ一定の成果を挙げたため、その後、適用範囲を心身的疾病や過食、不安、パニック障害に広げていきました。

 

これらの試みが成果を挙げ続けていることに認知行動療法を行なっている一部の人が着目し、認知療法からマインドフルネス認知療法、行動療法から弁証法的行動療法(DBT:Dialectical Behavioral Therapy)、行動活性化療法(BA:Behavioral Activation)、ACT(アクト:アクセプタンス&コミットメント・セラピー)などが開発され、これらは第三世代(最新)の認知行動療法と言われています。

 

さて、『マインドフルネス』とは、“今”という瞬間に完全に意識を集中する方法のことです。

 

とは言いましても、人は頭の中でいろいろなことを常に考えており、“今”に集中できている人は非常に少ないですし、そもそも無理な話です。

 

解決しないといけない問題を後回しにして、“今”に集中して、チャンスを逃したり損失を被ったりするのはまさに本末転倒です。

 

マインドフルネスのための瞑想とは、一日のうちある時間帯(カバットジンのメンタルクリニックでは50分程度)は、頭の中をグルグル巡る考えを切り離して呼吸に注意して、“今”という瞬間に集中することによって、心理的な苦しみや肉体的な痛みから自己をを切り離すというか客観的に見るという方法を実践していくということです。

 

 

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「科学的な瞑想」であっても独学独習は危険

 

それでは、マインドフルネス瞑想は、超能力を開発する方法でも悟りを得るための方法でも潜在意識に働きかけて願望実現をする方法でもないので安全ではと思われる方もおられるかもしれませんが、残念ながら安全ではありません。

 

安全ではないという要因はいくつかあります。

 

まず、起きているのに目を閉じて体がじっとしているという状態は、表面意識のレベルが低下しますので、普段は隠れている意識が表面に出てきやすい状況になります。その結果どうなるのかは人によって違いますが、特に一人で瞑想している時は制御不能状態に陥りやすいので非常に危険だといえます。

 

また、言葉の問題があります。例えば指導者から「集中してください」、「注意を向けてください」と言われたとして、その言葉をどう解釈するのかは受け取る人によって異なります。

 

仮に指導者は「集中されては困る」から「注意を向けてください」という表現を選んだとしても、受け取る側が「注意を向けるのか。注意するぞ、注意するぞ」と考えていたのでは、集中しているのと同じです。

 

瞑想に限らず、心の奥が動くかもしれない技法を行なう時に、「注意を向ける」、「感じる」、「それがあると知る」、「集中する」といった言葉の微妙なニュアンスが分からないと、命取りになりかねないのです。

 

これが瞑想は誰もが気軽に始められるほど安全ではない理由でもあり、正しい指導者のもとで瞑想をしないといけない理由でもあります。

 

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