マインドフルネスを重視した瞑想とは

波紋

 

<前回の記事>

 

気分が落ち込んだ時の「堂々巡り」

 

人間は起きている間、意識の中でずっとさまざまな思いが巡っています。

 

それが心配ごとや悩みごとであれば、同じことを何度も何度も繰り返して思い続けます。

 

これを心理学では「反すう(rumination)」と言い、抑うつ状態にある人は認知行動療法でいう非機能的思考(誤った思考)に支配されていることが多いです。

 

例えば、心理的に落ち込んだ時、「なぜこんな事になってしまったんだろう?」とか「なぜあんなことをしてしまったんだろう?」と自問し、それに対して非機能的な答えを探します。

 

「自分の性格に問題があるから」とか「自分が無能だから」といった種類の答えを出して、さらに自問を繰り返します。

 

「なぜ自分はこんな性格になってしまったんだろう?」とか「なぜ自分はこんなに無能なんだろう?」といった問いです。

 

そして、それに対する非機能的な答えを探し、それについてさらに自問を繰り返していきます。

 

 

スポンサーリンク

瞑想時における意識の保ち方

 

こういう状態になりますと、困ったことが起こります。

 

それは、脳の思考回路(情報を処理する場所)は、あらかじめ処理できる容量が決まっていて、非機能的思考を反すうすることによって、容量の全てがこれに使われてしまい、その他のことが全く考えられなくなってしまうということです。

 

パソコンに例えれば、一つの処理でCPUの使用率が100%になってしまって、他の処理が何もできないためにパソコンが固まった状態になるようなものです。

 

マインドフルネスの考え方は、一つの思考に引きずられるのではなく、今という瞬間から次の瞬間へ連なっていく一つ一つの瞬間を自覚して、それらに注意を向けるということが基本です。

 

したがいまして、マインドフルネスを重視した瞑想を行なう際に大事なことは、何か一つのことに集中することでも、目を閉じてじっと座っていることでもなく、頭の中にさまざまな思考が巡っても、雑念だらけになっても、今という瞬間に注意を向けることを忘れることなく、心の中はまるで波一つない水面のように静かでなければなりません

 

そして、頭の中だけではなく、心全体が澄み切って、感覚も研ぎ澄まされた状態となることが必要です。

 

仮に池があって、植物が生えていたとします。

 

葉の上に水滴が一つあって、葉の先に転がっていき、やがて水面に落ちます。

 

一滴の水が波ひとつない池に落ちたことによって、波紋が広がっていきます。

 

瞑想とは、この波紋に気づくことができなければいけません。

 

体全体があたかも触角になったように、今起きたことを感知できる。

 

文章にするのは簡単ですが、実際にやってみますとなかなか難しいことに気づいていただけると思います。

 

瞑想を使う流派(?)はたくさんあり、その一つ一つについて私は熟知しているわけではありませんが、少なくともここに書いている瞑想は、超能力を開発するとか、神秘体験をするとか、チャクラを開くとか、願望を実現するためのものではありません。

 

この記事では現代人がストレスを低減するために行なう瞑想ならば、これが基本と思われることを書いています。

 

 

しつこく警告:独学独習は危険です!

 

ただし、これは何度も書いてきていますが、一人で自己流の瞑想を行なうことは危険ですので、正しい瞑想指導者のもとで行なうべきですし、もしも瞑想をやってみたいと思われて瞑想教室などを探されるのでしたら、その教室は何の目的で瞑想を行なっているのか、宗教団体の偽装教室ではないか、そういったことはあらかじめリサーチしておくべきです。

 

さらに付け加えれば、瞑想を行なうための「場」を整えている教室である必要があります。

 

どんなに宗教と無関係だと言い張ろうとも、瞑想は宗教儀式に他なりませんので、場を清めるという発想がないということは、場を清めていない神社に参拝するのと同じです。

 

神社というところは、場を清めているから値打ちがあるのであって、レベルが自宅と変わらないのならばわざわざ神社に行かなくても自宅で拝めば事足ります。

 

いずれにしましても、瞑想で成果を挙げるためには、きちんとした教室と指導者を見つけることが大切です。

 

<続きの記事>