死にたい と思っている人に必要なのは救いであって説教ではない

死にたい

 

 

いろいろなハラスメントが人を追い込む

 

ハラスメント(Harassment)には、不愉快にさせることや嫌がらせといった意味があります。

 

少し前まではセクシャルハラスメントくらいしか知りませんでしたが、最近になってハラスメントの種類がどんどん増えてきています。

 

これは行為自体は過去からあったのだけれども、今最近になって新たに『〇〇ハラスメント』という名前が付けられたものも含まれているようです。

 

ハラスメントというのは、する側に悪意がなくても、された側が不愉快に感じたり嫌がらせだと感じれば原則的に成立するものです。

 
ここのことが分かっていないと、仮に女性に対して、「そのヘアースタイルとてもお似合いですね。」と言った場合、その女性が言った人に対して好意があれば問題がなくても、大嫌いな会社の上司だった場合は立派なセクハラになります。

 

要は言われたりされたりした側が、どう感じるのかが重要だと言えるでしょう。

 

 

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励ましのように見える言葉が人を追い込む

 
とは言いましても、最近ではハラスメントの境界線スレスレどころか、明らかにハラスメントであり、しかも被害者が自殺しかねないところまで追い詰められているような例が増えていると感じます。

 
特に学校や職場といった閉鎖的な空間で行われるハラスメントは、悪質なものが多い上にそれがどんどんエスカレートする傾向が強いと思われます。

 
こういう時にしばしば見られるのが、被害者に対する次のような発言です。

 
「なんで我慢する必要があるのか、嫌なら転校(転職)すればいい。」

 
「そんなことぐらいで死にたいなんて言ってはいけない。親から貰った命を大切にしなさい。」

 
「こんな状況になったのはあなたにも原因があるのでは。何でも人のせいにしたらいけないよ。」

 
「なんで泣き寝入りしているのか。やられたらやりかえせ。もっと強くなれ。」

 
「世の中にはあなたより辛い思いをしている人がたくさんいます。そんな人たちに比べたらあなたは幸せです。」

 
「あなたはちょっと神経質かもね。本当は大したことではないことに過剰反応しているのではないの?」

 
「とにかく死んではダメ。生きていればそのうち良いことがあるさ。」

 

 

命は大切だけど・・・

 
人の命が本当に大切であるならば、クルマやトラックの事故で毎日確実に誰かが死んでいるのに、なんで今日も走り続けているのでしょうか。

 
明日も必ず誰か死ぬのが分かっているのに。

 
つまり、本当は他人の命など自分が損をしてまで守るほど大切だとは思っていないし、そもそも無関心だから、今日もクルマやトラックは走っているのです。

 
事故に自分や家族が巻き込まれることがない限り、見ず知らずの人の命が少々消えても何とも思いません。

 
現代社会はクルマやトラックがなくなれば人間の欲望を達成できないから、都合の悪いところには蓋をしているだけです。

 
トラックが事故を起こして人が死ねば可哀想だとは思うけれども、私がさっき発注した商品は明日届いてくれないと困る。

 
だから私の商品を積んだトラックは事故を起こさないで欲しい。

 
なぜならその商品を明日使いたいから。

 

 

偽善の世の中

 
本当に大切な命などこの世にはありません。

 
人は苦悩に耐えきれずに死を意識し始めたとき、このことに気づきます。

 
人を轢くかもしれないのにクルマは手放せません。排気ガスで呼吸器疾患に苦しんでいる人がいるのは知っていますが今日も運転します。

 
タバコの煙害を声高に叫んでいるくせに、自身はクルマやバスを平気で利用する人間は偽善者です。

 
人は人間関係に苦悩や挫折を経験すると、世の中の偽善がどんどん見えてきます。そしてさらなる苦悩に陥ることになります。

 
結局、周囲のご都合主義あるいは偽善的な発言が、苦悩する人をさらに苦悩させ孤立を深め絶望させていくのです。

 

 

死にたい と苦しんでいる人が望んでいるもの

 
他人の苦しみに関心のない人、特に偽善者と思わしき人々が大きな誤りをしていることがあります。

 

それは、人が本当に苦しんでいる時に必要なのは「救い」であって、「説教」ではないということです。

 
そもそも、「苦しいから」死にたいのです。命を粗末なものを考えているから死にたいのではありません。

 
命が大切なんて言われてもそんなことは分かっています。

 
核心はそんなところにはありません。

 

苦しくて耐えられないから救って欲しいのです。

 
人は、都合の良いことや自身の価値観に合致することには耳を貸しますが、都合の悪いことや自身の価値観に合わないと聞こえないふりをします。

 
死にたいほどの辛い心情をまずは認め、共感的な理解をし、話をしっかり聞いてあげるといった手間暇のかかることはせずに、世の中の常識と言われるようなものや個人の主観を一方的に押し付けるのも立派なハラスメントだと思います。

 
ハラスメントから正しい答えを得ることなど不可能なことです。

 
したがって、肉体の脳から出る価値観のみでは、真に人を救うことはできません。

 

肉体の意識をそのように操作したところで、幽体の意識は何も変わっていません。

 

仮に幸いにして苦悩を乗り越えて、現在はその時のことを忘れていたとしても、いずれ何かの拍子に意識の表面に現れる時が来ます。

 

小学校時代のイジメの記憶を中年期になって思い出し、それがその後の人生に悪い影響を与える可能性もあります。なぜなら、肉体の意識から忘れただけであって幽体の意識からは消えていないからです。

 
もちろん肉体の意識に目を向けた心理的療法や薬物療法については、倫理に基づいた使用法を遵守する限り、ある程度は有効でしょう。

 
しかし、人間の心はとても複雑なのです。

 
表面の心だけに目を向けても、その人の魂全体の救いにはならないこということを知っておくべきだと思います。