自殺 ~霊的視点から見た否定的見解

自殺

 

 

『 自殺 』の現状

 

人間はいずれ必ず死を迎えますが、その死に方(死因)はいろいろあります。
思いついたまま列挙しますと、自然死(老衰)や病死、諸々の事故や中毒による死、天災による死、他殺、刑死(日本では絞首刑)、現代の日本では皆無ですが戦死・・・、そして自殺。

 

自殺は自分の意思で命を絶つという人間にしかできない行為です(レミングというネズミが集団自殺すると言われていますが真相は事故のようです)。

 

しかし自殺そのものは、ほぼ全員が否定的見解だと思います。
仮に身内や知り合いに自殺をほのめかされたら止めるでしょう。

 

では、自分が自殺したいと思ったらどうでしょう?
周囲に止められたからといって、「じゃあ、やめときます」と単純にはいかないと思います。
自殺を考えるからには、自己の意識の中ではもう万策尽きたと思い込むような心理状態になっていることが多いように思われます。
人に何を言われても耳に入らないくらい精神的に追いつめられているかもしれません。

 

平成29年版自殺対策白書によりますと、平成28年の自殺者数は2万1897人で平成22年以来減少傾向ですが15年振りに3万人を下回ったそうですが、15歳から39歳までの死因のトップは自殺で、特に15歳~34歳の若い世代の死因のトップが自殺なのは先進国で日本だけです。

 

 

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残された者の苦悩

 

仮に自殺を決意したとして、考えないといけないことはやはり残された家族や友人への責任でしょう。

 

自殺者を出した家族は現実問題として周囲から偏見を持たれることが多々あります。親に自殺された子はこれに加えて経済的ならびに精神的問題を抱えることも少なくありません。経済的事情で進学をあきらめざるを得ないかもしれませんし、面接等で両親のことや家族構成を尋ねるデリカシーのない者もいますから、精神的にも辛い経験をする可能性が高いです。

 

また、家族はもちろんのこと親しい友人でしたら、なんで気付いてやれなかったのかとか助けてやれなかったという自責の念に苦しめられるかもしれません。

 

自殺というのは、残された者を生涯苦しめるような原因を作ってしまうのですから、たとえ自分のことでいっぱいいっぱいだとしても、これを無視することはできません。

 

さて、ここまで書きますとこのように思われる方もおられるかもしれません。

 

天涯孤独の人は誰にも迷惑をかけないのだから自殺してもいいの?

 

誰にも迷惑を掛けないのなら自殺していいのかという問題は、霊的な視点を加えて考える必要があります。

 

 

一方的な決定に納得いかない

 

人間は幽体を所持しています。そして、幽体の意識の中には何回かこの世に生まれた時に抱いてしまった心情をいくつも持っています。

 

これはいわゆるカルマですが、これはこの世にいる間に解消しなければならない心情です。しかし、過去世の心情に中には未熟なものだけではなく、いわゆる高級な心情もあります。高級な心情はなかなか表面に浮いてきません。なぜなら、この世で生活するということは悩みの連続であり、どうしても未熟な心情が湧いてくるようになっているからです。

 

また、このブログではあまり触れていませんが、人間の成長とともに霊体という別の霊的身体が発生しますが、こちらの意識には過去の心情などはなく高級な心情のかたまりです。

 

自殺という行為を幽体の心情の高級な部分や霊体の心情から見た時、いくらこの世での決定権が肉体にあるとはいえ、自ら命を絶つという決定を一方的に下されることは、これらの意識にとっては到底納得できるものではないのです。

 

人間は他界すれば誰でも幽質界の住人になります。この時、肉体の心は消滅していません。それどころか肉体の心は幽質界でもいずれ主導権を握ります。
(このあたりの詳しい内容は、水波先生の著書「幽体の悲劇」に詳しく書かれています。)

 

この時、他界した幽体の心情はいずれ激しく動揺することになりますが、幽体は道半ばで物質界を離れるつもりでこの世をす過ごしてきたわけではないからです。

人間は表面の心ではまったく気付きませんが、物質界にいる間に何かしら表現したいという心情が幽体の意識の中にはいくつも存在しています。

これらの思いを果たせないまま他界してしまった時、幽体の心の奥は動揺し憎悪のごとき感情を出します。相手はもちろん、自分の表面の心です。

 

人間は複数の意識が複合した生命体ですので、一つの意識が非常に不安定になると、他の意識も影響を受けてしまいます。

仮に自殺した時に幽体の不調がなければ上の世界に行けます。しかし、幽質界の上下と心の安定は比例するわけではありませんので、たとえ上の世界に入れたとしても、他界した当初は地上での苦労(病気や借金、対人関係など)が解消されてホッとしたとしましても、幽体の意識の動揺と憎悪の念は他の意識にも波及し、結局新たな苦しみを抱え込むことになります。
そして、これらの心情を和らげたり解消する術は幽質界にはないことを知り、深く後悔することになるのです。

 

 

不自由なこの世にわざわざ生まれるわけ

幽体のカルマは幽質界では何ともできないから、私たちは地上の世界に生まれてきているのです。

もしも幽体の持つ諸々の心情を幽質界ですべて表現することが可能ならば、上の世界に入ったうえに、寝る必要もなく、食べる必要もなく、働く必要もない幽質界という楽な世界を離れて、わざわざ不自由だらけの地上に生まれてくる必要はありません。

 

この世に生まれてしまったからには、人生を送る上で遭遇するさまざまな苦難に対して、原因がカルマならばその心情を和らげて引き摺られないようにしながら、未熟な心情を解消して高級な心情を伸ばすことをしなければなりません。

 

この国に生まれた人たちは、幼少期から倫理道徳を叩き込まれます。こうして型にはめられた人々は、何事も全力で取り組んで結果を出す人を善人、結果の出せない人やいわゆるチャランポランの人は悪人のごとき評価を下します。

肉体の意識がこの世での適合度を増していけばいくほど、幽体の意識とは距離が出来ていきます。なぜなら幽体はもともと自分中心でわがままな意識だからです。したがって肉体の意識が真面目であればあるほど、この世での生活は苦悩に満ちたものになりやすいです。そしてこの苦悩と霊的カルマが複合して、苦悩をさらに深くなるという悪循環にハマっていきます。

 

 

罪がない=幸福ではない

 

要するに真の幸福を目指したいのならば、まず幽体を知らないと実現できないということです。
人間が持つ自由意思という、神さえも手が出せない権利をどのように行使したところで誰も咎めることはありません。

私自身も死にたいと思ったことはいくらでもあります。
死が救いならば、今すぐにでも死んでしまいたいとすら思っています。
しかし、水波霊魂学を学んだ結果、現実は甘くはないと知りましたので今のところ自殺する予定はありません。

 

どんな死に方でも死ぬこと自体に罪はありません。しかし罪ではないからといって魂が幸福になれるのかはまったく別の問題です。

自殺が魂の救いになることはありません。それどころか他界してもさらなる苦しみを背負うのですから、やはりこの世にいるうちにやるべきことをやるほうがいいに決まっています。

 

苦悩はこの世を生きているうちはずっとついて回ります。辛い心情を和らげるためには、幽体の心を和らげることと肉体の心を和らげることを並行して行なう必要があります。

 

幽体の心を和らげるためには水波霊魂学の霊的技法を学ぶことがベストです。もしも世界のどこかに同様の効果が期待できる技法があるのならそちらを学んでも結構ですが、私自身は水波霊魂学以外に方法を知りません。

 

肉体の心を和らげるためには、当然ながら現代医学に力を借りることです。これを霊的に解決しようとするからインチキに引っかかるわけです。薬が必要なら服用するべきですし、運動や食事に気を使うことも大切です。

 

いずれにしましても、自殺は肉体の心の一部を和らげることがあるかもしれませんが、魂全体の救いにはなりません。