『 未熟な霊魂 』について ~ 地上に関与する霊魂
地上に関与する霊魂
人は、他界すれば幽質界に行ってしまいますので、本来は地上にはいないはずなのですが、なぜかこの世に戻ってくる霊魂がたくさんいます。これは大きく分けて2つのグループです。ひとつは守護霊・指導霊ならびにそれらの指示を受けた霊魂、もうひとつ下の世界から戻ってきた霊魂です。このブログの記事でいう未熟な霊魂はむろん後者であり、戻ってこられては困る存在です。
守護霊や指導霊は地上の人間を霊的に支援する立場ですので何の問題もないのですが、下の世界から戻ってきたり逃げて来た霊魂は、人間に対して支援どころか害毒にしかなりません。彼らが地上に増えれば増えるほどこの世界の霊的環境は彼らに適した状態に低下していきます。霊的環境が悪くなりますと、空気と重なっている霊的な気(幽気)の質も低下し、それを吸い込みますと肉体と重なっている幽体の状態も悪くなります。
幽体の状態が悪くなりますと幽体の意識が荒くなっていきますので、その影響が肉体の表面の心に悪影響を与えることになり、その結果、世の中自体が殺伐としたものに変化していきます。
人々の心から寛容さが失われ、ちょっとしたことでキレる人が増えていきます。そうなりますと、ただでさえ苦労続きの人生がもっと辛いものになっていきます。
霊的なことは私達の日常生活にも間接的に影響を与えているわけです。
組織化した霊魂
さて、下の世界からやってくる未熟な霊魂達にも2つの流れがあるように思います。一つは組織化された霊魂たち、一つは単独または少人数で行動する霊魂です。組織化された霊魂はいわばプロの集団ですので、霊的な力が非常に強いのが特徴です。ボスに対しての忠誠心が極めて高く、地上の世界に関与する場合は、個人だけでなく集団とか国家といった大きな組織も対象となります。
ただ、霊魂集団にもそれぞれ目的がありますので、仮に人類全体に関与する目的の集団があったとすればそのボスの命令の下でこの世での活動内容はかなり大がかりなもの(戦争や民族紛争など)になるでしょうし、個人を不幸にするのが目的な集団ならば、宗教施設や学校、職場、病院、墓地などで人間の間気を抜く練習をしたり、人を遠隔で操る練習に精を出すことでしょう。
下の世界に落ちても幹部になれれば天国ではないかと思わる方もおられるかもしれませんが、彼らはそこで霊魂同士の無数の戦いを経て、死んだほうがましなくらいの辛酸を何度となく舐めてきています。そして幽体はボロボロになりさらに下の世界に落ちていきましたが、戦いの場数を踏んだ分だけ霊力は強くなり子分を持つようになっただけです。他界してまもない霊魂が太刀打ちできる存在ではありませんので、下の世界に落ちてもケンカが強ければ何とかなるなどとは考えないことです。
ぼっちの霊魂と仲間たち
対して、単独行動するタイプの霊魂もいるそうですが、下の霊魂の世界は弱肉強食ですのでよっぽど自分に力がない限りは無理だと思います。それでも集団が嫌いなタイプや、たまたま集団に取り込まれていないラッキーな場合もあるのかもしれません。したがいまして、地上の世界に逃げて来た時はもちろんひとりぼっちですが、他の霊魂と仲良くなって徒党を組むのが普通ではないかと思われます。
彼らにとって、地上の世界は自分より強い霊魂が目の前に現れない限り、この上ない楽園となります。他界後に行った場所があまりに辛すぎて、地上に逃げてきた霊魂たちですのでとりあえず苦しみから解放されたということに安堵するようです。
ただ、人間と同じで安心安全が担保されますと、逆にじっとしていることができません。ただ佇んでいるだけでは何の楽しみもやって来ません。彼らは食べることや飲むこと、ギャンブルなどの嗜好とも一切無縁です。ヒマでヒマで仕方が無くなっていずれは人間を相手にするしかなくなっていきます。対象は生前の血縁者かもしれませんし個人的に恨みを抱いている人間かもしれませんしたまたま目についた人間かもしれません。
これは善悪は別にしてもある意味仕方がないことかもしれません。やることがなくて辛いのは霊魂も同じです。地上に戻ってきて、生前住んでいた家はどうなっているか、家族や子孫はどうしているかと気にしたり、恨んでいる相手に仕返ししてやりたいと思うこともある意味自然な成り行きです。
しかしながら、霊魂は人間と話そうとしたり殴ったとしても、人間からは見えませんし感じませんので結局は徒労に終わってしまいます。時間が経てば経つほど何もやることがなくなっていきます。こちらの思いは何一つ伝わることはありません。イライラしようが悲しもうが時間だけはたっぷりあります。
そうなった時に、彼らが選択することはひとつです。それは地上の人間に霊的に関与しようということです。ところがここでひとつ問題が起こります。それは霊魂は肉体の目を持っていませんので、地上の世界にいても人間を「ものの見え方」が違っているということです。つまり、霊魂は幽体の目を通してこの世を見ています。肉体の目と同じように見えるわけがありません。それが時に悲劇をもたらすことあります。
人違いの悲劇
仮に小さい子どもを残して他界し地上に戻ってきた霊魂がいたとして、彼は自分の子どものことが気になっていたとします。
とりあえず自宅を探していたところ、向こうから何となく自分の子供に似ている人が歩いてきましたので、声を掛けました。しかしながら当然反応などあるはずはありません。それでも声を掛けながら付いていったのですが、その子は霊魂が見えませんので気づくわけがありません。
霊魂は自分の存在に気づいてくれないその子に怒りを感じるようになり、それが強い念となってその子に命中しました。
しかし、その子はこの霊魂の子どもではなく全くの別人でした。つまり人違いだったのです。
人違いであっても霊的障害は起こる
念を当てられた子どもはとんだ災難ですが、霊魂は人間をきちんと判別することは困難です。したがって、よく似ているとか、この場所にいるのはたぶんアイツだろうとか、そんな理由でも念をバンバン飛ばすことがあります。人違いであろうとなんだろうと念を当てられれば幽体が不調になる恐れがあります。
これが1回きりであればまだしも、ターゲットにされてしまうと執拗に絡まれることになります。しかも、それが霊的技術を身につけているややこしい霊魂だったりすると、霊魂自身の幽気をターゲットの人間に付着させれば常にそばにいる必要もありませんし、いずれターゲットの幽体の脳を操作すればその人間を操ることも可能になります。
その頃になって霊障かもしれないと霊能力者のところに駆け込んでも、当の霊魂はそばに居るわけでもなく憑依しているわけでもありません。実際には遠隔操作ですし、このクラスの霊魂で霊能者のところにわざわざ顔を出すバカはいません。したがっていわゆる除霊の類も困難を極めるでしょう。
やはり、未熟な霊魂がこの世にいても百害あって一利なしだということです。