『 未熟な霊魂 』について ~ 霊能力を授ける霊魂

霊能力を授ける霊魂

いつの時代も『霊が見える』といってどや顔する人達

世の中には霊が見えると公言する人たちがいます。当然ながらニセモノ・インチキの類は論外ですし、枯れ枝を幽霊だと錯覚する人は対象外なのですが、これらを差し引いても実際に何かしら見えている人はいるようです。

じつは霊を見たり感じたりすること自体は、幼児期に限って言えば不思議なことではありません。この時期は肉体の意識よりも幽体の意識が優っていますので、霊的な存在を見たり感じたりすることはあります。しかし、成長とともに肉体の意識が強くなりますし、さらには教育という名の「矯正」を受けて非科学的なものが見えたり感じたりすることを肉体の脳が否定しますので、いずれ見ることはなくなります。

ところが、大人になっても霊的な存在が見えると言う人は一定数おられます。彼ら彼女らはある日突然、霊魂が見えるようになったと言うことが多いように思います。

これはどういうことなのでしょうか?

今回はこの件に関する私的な考察をしていこうと思います。まずはこういう事象を考える上でのポイントをいくつか挙げていきたいと思います。

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霊的な存在を感知するために考えられること

1.肉体の機能に備わっているから?

そもそも肉体には霊的な存在を認知できる機能が備わっていません。

肉体の五感ではそれらが見えない・感じないが当たり前なのです。それなのに、見える人がいます。肉体の目でふつうに見えるという人もいれば頭の中に浮かぶという人、目を閉じれば見えるという人もいて、霊魂の見え方はさまざまですが、いずれにしましても何かしら見えているようです。

さて、これらを認知できるかどうかはともかくとして、霊魂はそこらじゅうにいます。ふつうに道を歩いていますし、公園のベンチにも座っていますし、電車やバスにも乗っています。

それだけではなく、ライブ会場やテーマパーク、レジャー施設といった、大勢の人が集まる所には必ずと言っていいほど居ます。

大多数の人は霊魂など見えませんし、そんな存在を気にしながら生活している人はまずいませんが、肉体の目は見えないだけでじつは幽体の目には見えています。幽体が見ているものと肉体が見ているものは必ずしも一致しません。それは誰に対してもあてはまることです。

つまり、霊が見える人というのは、本来ならば幽体を感知できないはずの肉体の脳が、何かしら感知しているということです。それはなぜなのでしょうか?結論は後ほど書きますが、ここでは、少なくともこういうことが自然発生的に起こることはふつう考えられないということだけを述べておきます。

2.守護霊といった高級霊魂が関与してくれたから?

人間には誰でも守護霊がいます。守護霊は幽質界の存在ですが、霊的に非常に進歩しています。守護霊が人間を担当する理由は霊的な側面での支援であって、現世利益を授ける為ではありません。

したがいまして、霊的に進歩した霊魂が人間に霊能力を与えるわけがありません。なぜならそんな能力を身に付けたところで霊的に何の進歩ももたらさないだけではなく、日常生活にもさまざまな支障をもたらすからです。

本当に霊魂が見えているのならば、クルマの運転など怖くてできません。霊魂が横断歩道で律儀に信号が変わるのを待っているはずもなく、いきなり道を横切ってきたりすれば運転などままならないですし、四六時中話しかけられれば勉強や仕事に集中できませんし、眠ることもできません。

自分の都合に合わせて霊魂だけをフィルタリングできるスイッチでもあれば別ですが、そんなものは肉体には備わっていません。

守護霊は担当する人間の一生をいわば俯瞰して、「霊的に正しい道」を歩めるように段取りをしているのです。
ですから、道を踏み外したり、人生そのものを潰してしまう危険が非常に高い霊能力などというものを人間に与えるわけがありません。したがって、守護霊は無関係ということになります。

3.神が授けてくれたから?

これはある日突然、力を授かったという人に多いパターンです。いわゆる神の啓示というやつです。

何を以て「神」とするのかはさまざまな解釈がありますが、ここでは水波霊魂学の立場から考えてみます。

私たち人間は物質界(=地上)に住んでいます。そしていわゆる死後の世界と言われている幽質界は物質界と重なっている世界でそこには幽体という身体をもつ霊魂が住んでいます。そして幽質界の上には霊質界と呼ばれる世界があり、そこには霊体という身体をもつ霊魂が住んでいます。さらに霊質界の上には神質界と呼ばれる世界があり、そこには神体という身体をもつ霊魂が住んでいます。水波霊魂学でいう神霊はこの世界に住んでいます。

神と人間との関係を考える際に大切なことは、霊質界と神質界は、私たちが住んでいる物質界とは重なっていないということです。そして、霊的にとても遠い世界であるということです。

人間は肉体と幽体を持っています。肉体の成長とともに霊体も所持しますが、霊的な修行を全く行ったことがない人が霊体を成長させることは非常に困難です。ですから、ほとんどの人の霊体は赤ちゃんのように小さな存在でしかありません。

それでも幽体と霊体を所持しているという意味においては、幽質界と霊質界との霊的な交流は不可能ではないといえるでしょう。

しかし、神体という霊的身体は普通の人間は所持すらしていません。神体は霊体を十分成長させた上でさらに高度な霊的修行を行わないと所持することなど不可能なのです。

したがいまして、余程高度な霊的修行を行って神体を所持したのでない限り、神霊といわれる高貴な存在と霊的な交流などできるわけがありません。よって、霊的修行に無縁だった人がある日突然、というパターンは神の啓示などではないということになります。

4.霊能力を開発したから?

霊が見えるための訓練をした人は、それを霊能力開発と称します。これに関しましては、その手法の全てを把握しているわけではありませんので断定はできませんが、仮にある手法によって霊が見えるようになったとしても、それが水波霊魂学でいう霊体ならびに神体の成長に程遠い方法であれば、やはりそれは神の啓示でも守護霊が与えたものでもないと言わざるを得ません。

『 霊能力を授ける霊魂 』は未熟な霊魂だということ

自分の守護霊でもない、ましてや神の啓示でもない。ならば答えは一つです。霊能力を与えてくれたのは未熟な霊魂ということになります。

さらに言えば、人間に霊能力を与える技術を備えているということはシロウトでありません。その道のプロの可能性が高いです。

少し前に他界した霊魂が身に付けられるような能力ではありません。そうなりますとこれはかなりややこしい存在です。特に一部の「プロ」の霊魂は、幽体の脳と肉体の脳についての高い知識を持っているようで、肉体の脳を操作してある種のビジョンを見せることも可能なようです。

仮に霊能力を身につけたいと考えて本やネットを見ながら自宅で何やらやっている人がいて、たまたまこの手の霊魂に見つけられたら、たぶん霊能力を身につけることは可能です。しかし、待っているのはこの世での人生の破たんと他界後の不幸のみです。

霊能力のリスク

霊能力者と言われる人のもとには、苦しみを抱えている人がたくさんやって来ます。たいていの霊能力者は霊能力を自分自身の力だと勘違いしていますが、本当はバックにいる霊魂の力です。バックの霊魂の霊力が強ければ強いほど相談者の人生に悪影響を及ぼします。

なぜなら、こういう霊魂は人助けのふりをしながらじつは新しいカモを探していたり、こちら側に人々を引き寄せて正しい霊的な道を歩ませないように画策していることが多いからです。

もちろん未熟な霊魂すべてがそうではありませんが、たとえバックにいる霊魂が人助けだと真剣に思っていたとしても、存在自体が質の低い幽気を引き寄せていますので、相談に来る人達の幽体は確実に悪影響を受けることになります。

いずれにしても、同じ霊能者に何度も相談しているうちに、相談者の幽体の状況は悪くなる一方ですし、運が悪ければ霊能者のバックにいる霊魂の思うがままに操られる恐れすらあります。

未熟な霊魂、特に人間の体について熟知しているようなタチの悪い霊魂に幽体の脳を操作されてしまって、頭に鳴り響く声を神の声などと言い出したらもう終わりです。

神の啓示を受けたと思い込んでいる人はたいていの場合、自分は選ばれた人間だと思い込んでいますので、周囲の意見に耳を貸すわけがありません。神と対話できる私に対して人間ごときが何を言うかとなります。救いようがないとはこのような状態のことを言います。別に愛想を尽かしたのではなくて、良い状況に導きようがないのです。

以上のように、霊が見えても良いことは何一つありません。水波霊魂学では霊能力開発は行いません。霊的トレーニングもそのようなことが起きないように考えられています。万一、修行の途上でそのような能力が出てきたとしても、それは霊的障害として霊的技術の対象となります。

安易な霊能力開発は非常に危険です。なぜなら霊能力にはかならず霊魂が関与しているからです。その霊魂が霊的に正しい道を歩むにあたっての障害となる以上、私たちはそういう存在と縁が付かないようにしなければなりません。