自分の放つ『念』が相手を不幸にしてしまう

弾痕

 

<前回の記事>

 

理性は表面の心には効果があるが内面に効果はない

 

人はいつでも自分の目線から物事を判断していますので、正しいとか間違いとか善とか悪は、あくまでもその人の主観によって決まります

 

客観的に見れば、逆恨みにしか見えない場合であっても、恨んでいる人は大真面目に自分が正しくて相手が間違っていると思っています。

 

人には理性がありますので、内心では相手に激しく憎悪を抱いていても表面的にはニコニコしていることも可能かもしれません。

 

ニコニコしていれば、相手がこちらの本心に気づかない限り人間関係を維持できるでしょう。

 

しかし、霊的な側面で見た場合はとても深刻なことが起こっている可能性があります。

 

 

スポンサーリンク

「念」は幽体から出るもの

 

人が人を恨む時、恨む側は激しい思いを心の内に抱きます。

 

この時、その強い思いが水波霊魂学でいう『念』となって幽体から相手に飛ぶことがあります。

 

『念』は物質ではありません。仮に『念』が肉体の脳から出るのであれば、科学で解明することができるかもしれませんが、残念ながら『念』は幽体から飛んでいきます。

 

『念』の命中精度は高くありませんが、至近距離であれば相手に命中することもあります。

 

『念』が命中しますと、当てられた人の幽体が傷つくことになりますので、それがもとで霊的な障害を起こることもあります。幽体が不調になりますと、他界後に行く世界(死後の世界=幽質界)で落ち着く場所がいわゆる「下の世界」と呼ばれるところになります。

 

他界後に落ち着く場所は、幽体の状態の良し悪しによって決まります。幽体が健康であれば周りの住人は幽体が健康な人ばかりですし、反対に幽体がボロボロであれば周囲の住人のみんな同じように幽体がボロボロの人たちばかりです。

 

幽体がボロボロの人が悪人とは限りませんが、この世に生きていた間に何かしらの要因で幽体に不調が出た人たちです。こういうタイプの人たちが落ち着く世界というのは、周りも幽体が不調な人ばかりですので幽体の心情も不安定な場合も多く、何かにつけてトラブルが発生しやすい場所でもあります。詳しくは割愛しますが、かなり辛い思いをすることも多いようです。

 

 

「 念 」の本当の恐ろしさ

 

そして、幽体が傷つく原因はいくつもありますが、最も大きな原因が、他人から『念』を当てられたことなのです。もしも幽体が痛みを感じれば『念』というものを真剣に考えて頂けると思うのですが、残念ながら痛くもかゆくもありませんので誰も意識していないのが現状です。

 

じつは、これは非常に深刻なことなのです。なぜかと言いますと、誰かが誰かに対して激しい怒りや恨みを抱くと、それが『念』となって外に出ていくと先ほど書きましたが、そもそもそれが勘違いだったり逆恨みだったとしても、『念』が飛ぶからです。

 

それだけではなく、職場の誰かに対する怒りや恨みの心情が湧いてきてイライラした場所が、自宅のリビングだったりして周りに家族がいれば、飛び出した『念』は何の関係もない家族に命中することになります。

 

『念』の恐ろしいところは、当てた側も当てられた側もまったく気づいていないだけではなく、時に何の関係のない人にも命中することがあるということです。

 

会社でイライラしたことを家に帰って思い出していたら、たまたま子どもが何か失敗して、思わず強い口調で怒ってしまったという経験がある人もいるかもしれませんが、その時に飛び出た『念』が運悪く我が子に突き刺さっていることがあります。

 

したがいまして、怒りや恨みはないに越したことはないのですが、それでも仕方がない時は、家族や友人がいる所ではなく、一人でいる時に発散したほうが良いと思います。

 

<次回の記事>