『 未熟な霊魂 』について ~ 感情的な霊魂

感情的な霊魂

 

 

感情に支配されるということ

 

最近は心の健康についてさまざまな議論が重ねられ、この世を生きていく上で非常に重要なことであるという認識を多くの人々が持つようになっています。

 

何らかの理由で心理的な問題が発生した場合、重症化しますと日常生活にも支障をきたすことになりますし、現代は特に人間関係に疲弊している人も増えているようで、一度は薬物療法や心理療法で寛解しても再発を繰り返すといったことも多いようです。

 

心理的な問題を抱えている人はとても辛い思いをしているのですが、24時間365日ずっと苦悩しているわけではありません。

 

人は生きるためにやらないといけないことがあります。食事を摂らないわけにもいきませんし、寝ることも必要です。よほどの重症でない限りは、その苦悩を一時的にでも意識しない時間というものは存在します。

 

さて、人はこの世だけを生きているのではないということが水波霊魂学の主張ですが、肉体が消失していわゆる霊魂と呼ばれる存在になった時、これまでの苦悩によって引き起こされてきた感情はどうなるのでしょうか?

 

当然ながら、霊魂となっても表面の心は生前の頃と変わりません。ただし、この世を離れることによって解決できる問題、例えば金銭問題や病苦などについては、表面の心からは消えていくかもしれません。

 

しかしながら、他界してもなお消えない感情があるのでしたら、それは消えるどころかどんどん大きくなってやがて表面の心を支配してしまうかもしれません。この世にいた頃のように寝る必要はありません。食べる必要もなければ働く必要もありません。

 

何もすることがないのです。

 

そうなった時に、これまでの心の中にくすぶっていた感情(悲しい、悔しい、恨めしい等)は、これらを一時的にでも忘れる機会がなくなってしまったことでどんどん肥大化していきます。そして最終的に表面の心全体を覆いつくし、その感情だけを表出させ続けるといった状況に陥る恐れがあります。

 

こうなってしまいますと、他者の意見に耳を貸すことはありません。文字通り「救いようがない」状態になってしまうのです。

 

 

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何もすることがないから感情に向き合うしかない

 

このような環境で、何らかの強い感情が湧いてきますと、それを遮るものがないということになります。そうなりますと、ある感情に支配されたようになって、何年経っても変わらないという酷いことが起こる恐れがあります。

 

時間に追われて生きている現代の人達は、これがどれだけ悲惨なことなのか想像することは非常に困難ですが、以下のたとえ話をお読みいただいてご想像してみて下さい。

 

 

 

 

ある人が理由はともかく走っているとして、喉が渇いたので水を摂ろうとしました。しかし水筒を家に忘れたことに気が付きました。しかたがないので水を買おうと思って売っている場所を探しました。ところが、走れども走れども自動販売機はおろかコンビニすら見つかりません。次第に焦ってきました。一刻も早く水を手に入れないと脱水症状で倒れてしまいます。そうするうちに喉の渇きは限界を超え、意識も朦朧となり、立っていることもできずにとうとう座り込んでしまいました。いよいよダメかと諦めかけた時に、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる人がいました。この人は意識が朦朧となりながらも必死で訴えました。「水、水!・・・」。この後は何を聞かれてもただ水をくれと言うのみでした。

 

 

このたとえ話で言いますと、水分を補給することに意識のすべてが占領されている人は、自分の素性や諸々の事情などどうでもよくて、ただ水が欲しいとしか言いません。表面の心が水が欲しいということに支配されてしまっているわけです。

 

何かの感情が表面の心全体を覆っているというたとえ話でしたが、こういうタイプの霊魂は実際にいるそうです。

 

 

『 感情的な霊魂 』を説得するなど時間のムダでしかない

 

すべての人が満足してこの世を去っていればいいのですが、若くしてこの世を去るしかなかった人は「悔しい」かもしれませんし、誰かに罠にはめられて殺された人は「憎い」かもしれません。

 

そういう感情を強く抱いたままで霊魂となりこの世に舞い戻ってきた時、自分の気持ちを聞いてくれる存在もなく、ましてや何もすることがないという状況に置かれた時に選択することはたいてい一つです。

 

それは、この世の人間に関与して出来ることなら自分と同じ目に遭わせてやりたいということです。

 

この手の霊魂に絡まれますと大変なことになります。絡まれる方はいい迷惑なのですが、霊魂から見れば相手は誰でもいいわけです。

 

テレビの心霊番組を観ていますと除霊とか浄霊と称して憑依している霊魂にいろいろ語りかけて憑依している人から離れるように説得したり、供養をしたからこの霊魂も救われました、などという筋書きが多いようですが、実際は何を聞かれても、ただひたすら「〇〇が憎い」とか「悔しい」です。

 

なぜなら、その霊魂の意識を占領しているのは憎悪とか悔しさなのですから、憎悪するに至った経緯や事情などを理路整然と説明する心の余裕などあるわけがありません。ですから、除霊する側が何を話しかけても無駄ですし、説明や説得が通じる相手ではないことがほとんどです。

 

水波霊魂学では、こういうタイプが人間に干渉している場合、説得も何もしません。問答無用で排除します。耳を貸さない霊魂に何を言っても無駄ですし、そもそも何の関係もない人に干渉するなどもっとのほかです。それに話し合いで納得するような物分かりの良い霊魂が、この世に舞い戻って人間に干渉することなどありません。「あっちへ行け」と言われて「はい、わかりました」と一時的には離れたとしても、結局は戻ってきて干渉し続けるのが関の山です。

 

だから問答無用で強制的に排除ということになるのです。ただし、これは干渉されている人がそれを望むのであればという前提があるのは言うまでもありません。

 

 

人格など何の関係もない

 

最近は特定の民族や国籍を持つ人に対する憎悪表現が問題となっていますが、例えば日本人に対する憎悪表現をしている人に、生前日本人だった霊魂が干渉するといった単純な構図を描いておられるのならばそれは間違いです。

 

未熟な霊魂は、過去に地上(物質界)で生きていた私達の先輩です。彼らはこの世で味わった差別をそのまま死後の世界に持ち込んでいます。そして地上の世界では残念なことに民族や宗教・政治・職業・その他で人が人を差別する現実があります。ということは、霊魂もまた同じですのでこれらの理由で勝手に寄って来る霊魂がいるのは確かなのですが、それでは人を差別しない人格者にはこれらの霊魂は寄って来ないということでもありません。

 

人格者には高級な霊魂が寄ってきて、ならず者には悪い霊魂が寄ってくるなどというアホみたいなことを主張する人がいる影響でこういう間違った認識を持つ人が多いかもしれませんが、間違いは間違いですので指摘しないわけにはいきません。

 

これは少し考えれば分かることです。人格者であっても「誰でも良いから殺したかった」という人が目の前に現れれば被害を被ります。この人は人格者のようだから殺さないでおこうなどということは通常はありえません。

 

無差別殺人者が「誰でも良いから殺したい」のと同じように、人間に干渉して不幸にしてやろうを思っている霊魂は、標的にした人間が干渉しやすかったり思うとおりに操れるような幽体を持っているから寄っているだけです。人格など何の関係もありません。

 

悔しいとか憎いという強い心情に支配されている霊魂は、それが八つ当たりであったとしても人間に干渉しないといられないほど心理的にどうにもならない状態になっているのかもしれません。

 

ですから、八つ当たりされないようにするためには、自身の幽体の状態を良好にするしか方法はありません。