霊的知識 を持たないが故に不幸になる人
専門分野は手軽にマスターできるものではない
過去の記事にも書いてきましたように、祓いや霊術は霊的な知識を持っているだけではなく、行なう人に霊力がなければ何の効果もないばかりか、受けた人を霊的に不幸にしてしまいます。
最近では「1日で誰でも○○ができる」といった情報が氾濫していますが、霊的な分野でも例外ではありません。こうした情報が氾濫する分野というのはたいてい科学で測定するのが難しかったり、そもそも科学が発見できていないものです。科学的に分からないからそういった情報を流す余地が生まれるのでしょう。
「誰でも1日でオリンピックで金メダルが取れる方法」とか「誰でも1日で空を飛べる方法」という情報があっても誰も見向きもしないでしょう。なぜなら、私たちは経験値からみても科学的な見地からみても、これらが不可能であることが分かるからです。
どの専門分野であっても、一日でマスターできるような簡単なものなどありません。霊的な分野においても当然ながら、座学としての知識や技法の実践を通して知見を深めていくという地道な努力が必要なのは言うまでもありません。
霊的知識 がない人が行なう霊術は百害あって一利なし
霊的な分野においては、科学で実証できないことを良いことに、いい加減な主張を行なっている人々が存在します。
なぜなのかは知りませんが、悪魔祓いとか除霊をするとか言って相手に暴行を加えて怪我をさせたり命を奪ったりする人がたびたび警察に逮捕されます。こういう人達は霊的な知識を全く持っていない典型です。
悪魔でも悪霊でもいいのですが、そういう存在が人間の中に入り込んだとしたらいったい何が起こっているのかが全く分かっていません。背中を激しく叩けば追い出せると思っているのでしょうが、お餅じゃあるまいし、そんなことをしても何の意味もありません。
正しい霊的な知識があれば、除霊を初めとする霊術を行なうために対象者の体に触れる必要などないことが理解できますので、このような悲劇に遭遇することはなくなります。
対象者の自由意思を無視した霊術は邪道
霊的な術であろうと何であろうと、習った後にそれがどれだけ効果があるのか試してみたいと思うのは人情です。
しかし、だからといって誰彼構わず勝手に技を行使するのはやってはいけないことです。人間には自由意思があります。本人が拒絶しているのに無理強いしても大きなお世話なのです。
それでも「貴方の為になるから」と霊術を受けることを説得する人がいるかもしれませんが、たとえ善意であってもやってはいけないことです。
霊的な分野には、「愛」によって相手を幸せにするとか魂を浄化すると主張する人達がたくさんおられますが、霊術や祓いに必要なのは霊力であって愛の心ではありません。
いくら愛の心が深くても、やっていることが霊的な世界の法則を無視した無茶苦茶なことであれば相手を霊的に不幸にしてしまうのです。
間違った思い込みが霊的な不幸を招く
仮に、何やら訳の分からないエネルギーを注入することによって魂を浄化でき、病気が治ったり、幸せな人生を歩むことができることができる主張する一派があったとします。
そこに属する人達はそこで習った技法を他人に施すことが善であり、正しい道であると信じているとします。大前提として彼らは詐欺師でもなく悪意もないとします。
彼らは人々に自分たちの主張を話してエネルギーを注入しようとしましたが、みんなに断られてしまったために、しかたなく電車に座って寝ている人や映画館で映画に熱中している人に対して、本人に了承を得ることなく無断でエネルギーを注入することにしました。
本人たちは善意でしています。この行為は相手を幸せにすると固く信じています。
しかし、これはしてはいけないことでした。なぜなら、相手の自由意思を無視していますし、それよりも深刻なのは注入していたエネルギーの中身でした。
霊的知識がない彼らは、霊的に何が起こっているのか分かりませんでした。何しろ霊的なことは五感で感知することができません。彼らは本当にエネルギーとやらを注入したと思っています。
じつはエネルギーだと思い込んで注入していたのは、自分の間気でした。
何で自分の間気を相手に入れることができるのかと言いますと、昨今の霊的状況の悪化によって幽体が本来必要となる量の間気を生産できない人がたくさんいます。そうなりますと間気が不足している人は、補充のために知らず知らずのうちに相手の間気を吸い込んでしまうことがあるのです。
間気という気は自分の意思である程度コントロールすることができます。体の特定部位に気持ちを集中すると間気もそこに集まってきたりします。間気が身体外部に漏れている人も「外に漏れるな」と思えば重傷でない限り流出が止まったりします。
ということは、エネルギーを注入すると強く思えば間気は外に出て行くことになります。そして、相手の間気が不足していますと吸い込まれるように相手の中に入っていきます。
そうなりますと、霊的に困ったことが起こります。エネルギーを注入したと思っている方はじつは間気が出ていますので、自身の間気が不足します。間気が不足しますと肉体と幽体の接着が弱くなります。それを知らずにエネルギーを注入し続けていますと、いずれ肉体を幽体が分離することになりますので、これはかなり困ります。
したがって、何とかしなければならないのですが、幽体が間気を生産する量をいきなり増やすことは困難ですので、ここで手っ取り早い方法を選択することになります。
それは、エネルギーを注入している人も他人から間気をもらうことです。
エネルギー注入を行なっている仲間からエネルギーを注入してもらえば、一時的に間気は増えますので霊的な状態は良くなったように見えます。しかし、間気は血液と似ていて型が違うといずれ拒否反応が出ますが、本当は血液型よりもシビアで自分以外の間気が幽体に入り込みますとそれだけで霊的な障害の原因になります。
霊的な障害が起こりますと、幽体の活力が低下しますので、死後は下の世界にいって苦しむことになりますし、この世に生きている間も不道徳な霊魂に見つけられてしまいますと人生が不幸の方向に引っ張られることになります。また、心理の面でも幽体の意識が不安定になり、それが表面の意識に悪影響を与えることにもなります。
霊的知識がないこと=「無知は不幸への道」
誰かを助けたいと思う心は崇高だと思いますが、方法が間違っていたり、そもそも知識すらないのに霊的な技を行なえば、自分だけではなく相手も霊的な不幸に見舞われることになります。
動機は良くても結果が悪ければそれは正しい行為とはいえません。
霊的な世界の法則は、地上の価値観と連動していません。
善人が天国に行って悪人が地獄に落ちるという単純な構図ではないことを知っておくべきだと思います。
少なくとも祓いと霊術の区別がつかない人は手を出すべきではありませんし、ましてや幽体を知らないのに他者に対して霊的な技を行なうなど論外です。
祓いも霊術も正しく行えば、この世を生きる上でもプラスになりますし、他界後も下の世界で苦しまずに済みます。しかし、生半可な知識で霊的な技法を受けたりしますと、お金と時間を無駄にするだけならまだしも、霊的生命体としての人生そのものを壊してしまうことになるのです。
現代は、大昔のように高い気を下ろしてくれる人がいて、それをどこかで吸収出来れば何とかなったという時代ではありません。高い気が下りている場所などどこにもないのですから、自分で何とかするしかありません。したがいまして、現代こそ正しい霊的な知識を持っていないといけない時代です。
霊的な無知は不幸への道なのです。