『 怒り 』 ~発散する場所を間違えると愛する人を不幸にする
愚痴をこぼすことは心の安定のために一役買っている
現代のように社会が複雑になり、かつ価値観が多様な時代では、人はどうしても対立してしまうことが多く愚痴の一つもこぼしたくなります。
自分の欲望を押し通すことばかりを考えていては、他人から怒りや恨みを買うばかりで結果的に安定した生活を送ることは困難ですし、かといってずっと我慢ばかりしては心理的な問題を抱える恐れもあります。
したがいまして、最適なのは適度に自分の欲望を主張し、適度に我慢できれば良しとして、あまりに我慢を強いられることは避けたいということではないかと思います。
あまりに辛い時には、腹に溜めるよりも愚痴のひとつもこぼした方が心の安定に繋がります。
ただし、愚痴をこぼすのは一人でいる時にするべきです。これは心の安定のためということではなく、霊的な意味です。ここからは水波霊魂学での知見による内容となります。
理性が弱くなり心の奥の心情が噴き出すと悲劇が起こる
よく、酒を飲みながら愚痴をこぼす人がいますが、これはやめておいた方が無難です。
なぜなら、酔うことで、表面意識のレベルが低下してしまうからです。
表面意識のレベルが低下しますと、表面の心が持っている理性が抑制されてしまい、代わりに心の奥の心情が表面に出やすくなります。
つまり、理性が弱くなりますと、ふだん腹の中に溜め込んでいる諸々のストレスがちょっとしたきっかけでどっと表に噴き出しやすくなってしまうわけです。
これは酒癖が良いとか悪いとかという問題ではなく、心の奥の心情は表面の心と違ってストレートすぎますので、それが表面に出てきますと、人間関係が壊れかねないほどのパワーを持っているということです。
普段はおとなしい人でも、酒席で相手が言った何気ない一言で、心の奥が刺激されてそれが感情としてどっと表面に出てくることもあります。
心の奥は、とても曲者(くせもの)で、当人すら自覚できない部分もあります。
仮に相手とけんかになった時、「お前は腹の中でそんなふうに思っていたのか!」などと言われましても、本人は「そんなことを思ったことなどない」ということが往々にしてあるということです。
理性が抑制されてしまった状態でどんな行動をするのかは、その時になってみないと分からないのです。
たとえ今日は何も起こらなかったかもしれませんが、次回はどうなるのかは分かりません。
怒り の感情がいつ出るかによって被害者が変わる
接客業をされている方は、「お客様は神様だ」と勘違いしている人に出くわした時に大きなストレスを抱えてしまうことがあります。
クレーム処理に対する窓口がない場合は、自分がその顧客の矢面に絶たざるを得ない場合もありますし、正当なクレームならまだしも訳の分からない因縁の類を延々と聞かされたあとは、心身ともにヘトヘトになってしまいます。
このような場合、霊的な観点でどのようなことが起こっているのでしょうか?
もちろん個人差もあるのですが、起こりうるパターンを以下に記します。
相手からの「念」が自分に命中して、霊的障害の原因になる
相手が怒りの心情をこちらにぶつけてきている場合、ほぼ確実に水波霊魂学でいう「念」が飛んでいます。「念」は肉体と重なっている幽体が発するのですが、じつはそんなに精度が高くありません。正確な距離は個人差がありますが、4,5メートルくらい離れれば命中する確率はかなり低くなります。
しかし、窓口や店頭などで対面するくらいの距離ですと、相手の念に直撃される可能性が高くなります。相手の念は肉体には直接的に影響を及ぼすことはないのですが、肉体に重なっている幽体にとっては、あたかもピストルで撃たれたとかナイフで刺されたような状態になります。
幽体の損傷は霊的な障害となりますので、重傷ですと地上をうろついている不道徳な霊魂に見つけられて悪戯される危険がありますし、長い時間をかけて肉体にも悪影響(病気や怪我)を及ぼす恐れがあります。
自分の出した念が関係ない人を傷つける
先程の例で説明しますと、クレーム客の応対が終わった時に、心はヘトヘトになっているのですが、それは肉体の表面の心だけです。肉体の表面の心には理性がありますし教育も受けていますので、よっぽどのことがない限り、相手に反撃することは少ないはずです。
しかしながら、心の奥はまったく別の反応をしていることがあります。特に肉体と重なっている幽体にも心があります。幽体の心は肉体の表面の心のように教育を受けていませんし、理性もありません。ですから、肉体の表面の心と違ってクレームや因縁をつけられて猛烈に怒っている場合もあります。
それでも肉体の表面の心がきちんと機能している時は、怒りが湧いてきたとしても理性でそれを抑えることもできるのですが、問題は理性が効かなくなった時です。
例えば、その日の仕事が終わって帰宅したとします。家族と夕食をとってリビングでテレビを観ている時、例のクレームのことを思い出したとします。その時に怒りの感情が沸々と湧いてきたのですが、家族に八つ当たりするわけにはいかないので、表面的には黙ってテレビを観ていました。隣には家族もいました。
この時、あの時のクレーム客のことを思い出して幽体の心は激しく怒っています。そして、知らない間に幽体から「念」が出ていました。その念が隣にいる家族の誰かに命中してしまいますとその家族の幽体を傷つけてしまうことになります。
つまり、怒りの矛先であるクレーマーではなく、自分の愛する家族を霊的に傷つけることになってしまうわけです。
激しい感情は相手を霊的に不幸にしてしまう
日常生活を送っていれば、怒りを感じる場面は多々ありますが、あまりに激しい怒りや恨みは相手を傷つけてしまうことになります。
例えば、嫌いな上司に注意されている時は表面の心は「申し訳ございません」と謝罪しているとしても、その上司がこちらに背を向けて去っていく時にその上司に対して念が飛んだとしますと、その上司の後頭部に念が刺さることが多いようです。なぜなら、相手の後ろ姿を追う時は相手の頭部を見ていることが多いからです。
また、面と向かって喧嘩している時は、顔面に念が刺さることが多いです。これも理由は同じでケンカしている時に相手の顔を見ているからです。
さらに憎悪の感情が激しい時には、心臓に念が刺さるようです。これは相手に対して「死ね」と思っているからかもしれません。
いずれにしましても、「念」は特定の人に飛ぶものではありませんので、嫌いな人を思い出して念が飛んだとしても、そこがリビングであれば被害を受けるのは家族ですし、電車の中であれば隣に座っている人や正面に立っている赤の他人です。
一発で人を死なせたり、肉体の病気や怪我を誘発するような強烈な念を飛ばせる人は、そんなにいないと思いますが、塵も積もれば山となるという言葉がありますように、このような状態が何十年も続きますと、霊的にも肉体的にも不幸になる確率は高くなります。
したがいまして、相手からの「念」を避けることはできないので、「念」を受けた時の対処を知る必要があるのです。