守護霊(13)~著書「指導霊」より9『霊魂の世界での苦悩』
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水波一郎先生の著書『指導霊』の紹介も9回目になりました。今回は、私がとても大切だと感じていることを同書から引用して、自分なりの考えを書きたいと思います。
死後の世界を信じる方が知るべきこと
霊魂の実在と死後の世界を信じる人達が、一番知らなければならない事は、普通の人が普通に死ぬと、幸福になる可能性は小さいという点である。それを知らないから間違えるのである。
P.127 第七章 困難を越えて
これまで何回か触れました通り、現代は霊的環境が悪化の一途を辿っています。それは、この時代に生きる人々が極端な科学至上主義に走り、先人が伝えてきた伝統や風習を迷信とか根拠がないという理由で切り捨ててきたことで、高級な霊魂達が地上の人間に関与しにくくなったことが大きな原因です。
ということは、死後の世界や霊魂、あるいは神や仏がいるとかいないとかを論じる以前に、人間の側がそれらを一方的に遠ざけているわけです。
そんな中にあって、いろいろな名前が付いた神や仏を熱心に崇めている方が今もいるかもしれませんが、それでもこの世でしか通用しない教義や戒律に囚われすぎた結果、死後の世界が暗くなっている例もあるようです。
著書『指導霊』の中には、特定の宗教を熱心に信仰したのに、あまりに凝り固まりすぎて下の世界に落ちてしまった霊魂に関する記述もあります。信仰心が大切だといいましても間違った信仰では意味がありません。
他界しても人格は変わらない
いつの日か肉体の死を迎えて霊魂の世界に入りましても、現在の性格とか価値観を含めた人格が、そのまま霊魂としての表面意識になります。他人を蹴落とすことばかり考えていた人が他界して霊魂になった途端に聖人君子になるわけがありません。
この世と死後の世界で大きく変わることは、肉体が消滅して幽体の存在になりますと腹の中で思っていることが全部相手に伝わってしまうということです。顔で笑って腹の中で舌を出してばかりいる人は、霊魂の世界で平和に暮らせるわけがないのです。何しろ思ったことが相手にストレートに伝わりますので、相手が黙っているわけもなく必ず喧嘩になってしまいます。
人間というものは、人それぞれに個性を持っている。道徳的には善い人も悪い人もいる。しかしながら、大多数の人達は、善い面もあり悪い面もある。五十歩百歩である。こうした人達が死後の世界に入った時、そこが楽園であれば幸いである。しかし、現実は厳しい。なぜならば、そこは人間が個性をそのまま存続させているからである。
仮に、死後の世界に入った瞬間に、人格が変貌するのであれば別である。しかし、自分が自分のままで他界し、霊魂の世界に入るという時、そこがどんなに美しい世界であっても、上品そうな霊魂がいたとしても、それと、幸福になれる事とは別なのである。
人間の心の性質が変わらない限り、苦悩が待っているのである。P.127 第七章 困難を越えて
仮に電車が止まって足止めされたとします。人々の反応はさまざまで、ある人は駅員に罵声を浴びせ、ある人はスマホで時間を潰し、ある人はタクシーや別の交通機関をさっさと利用します。
どういう反応をしても、仮に霊的な善悪はないとしても、今現在、自分の持っている心の性質をきちんと見つめ、直すべきところは直す努力を怠って、『正しいのは自分で間違っているのは他人』で凝り固まってしまいますと、この世を生きるのが辛いだけではなく、他界後も同じ状況が永遠に続くことになります。
(続く)
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