守護霊(12)~著書「指導霊」より8『補助の霊魂』と守護霊の願い
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現代人にとって「補助の霊魂」は最後の望みの綱
『補助』という表現を使いますと格下感を感じてしまいがちなのですが、今の世の中、人間の側に寄れることができるのも、霊的な支援を行なえるのも、実際にはこのレベルの霊魂ですので、人間にとって重要な存在であり最後の望みの綱であることを知っていただきたいと思います。補助の霊魂にさじを投げられたら本当に終わりです。
さて、守護霊から依頼を受けた補助の霊魂は、担当する女子中学生の現状調査を始めました。周囲の人間関係などをじっくり観察した結果、その女子中学生に「念」を飛ばしている別の女子中学生がいて、その背後には不道徳な霊魂がいることが分かりました。
怒りや恨み、妬みといった種類の強い思いは、水波霊魂学で言う「念」となって幽体から外に飛んでいくことがあります。ただ、「念」自体は命中精度が低く相手の顔を思い浮かべていたとしても、物理的に距離が離れてしまいますとほとんど命中することはありません。それなのに、今回は念を飛ばした相手に正確に命中しています。こういう場合は霊魂がお手伝いしていることが多いのです。当然ながらそういうことをするのは道徳心のない霊魂です。
補助の霊魂は、不道徳な霊魂の存在に気が付きました。こういう場合、目の前に当の不道徳な霊魂が現れた時には、人間に関与しないように説得を試みますが、聞く耳を持たないことは、補助の霊魂も分かっています。それでもやるべきことはやらないといけないわけです。
この時に、人間がどんな神でも仏でもいいから呼んでくれれば、補助の霊魂は『この人間の守護霊から依頼されて活動しており、人間もそれを望んでいる』と堂々と宣言できますし、それでも悪さを止めない霊魂に対しては実力で排除することもできるのですが、人間が神や仏に見向きもしない場合は、何の大義名分も立ちませんので結局は黙って見ているしかありません。
いくら守護霊から依頼された霊魂であっても、人間がこちらを見てくれない場合は何もできないのが上の世界の決まり事ですので、仕方がありません。
下の世界の霊魂=不道徳な霊魂ではない
下の世界の霊魂達には、人間の自由意思を尊重するという考えは希薄ですから、自分が気になる人間がいれば勝手に関与してくることがあります。
ただし、下の世界に住む霊魂といっても悪い霊魂とは限りません。中には本当に愛情深い霊魂もいますので、人間に同情して勝手にお節介を焼いたりすることもあります。
霊魂の世界で上と下を決めるものは、『死んだときの幽体の状態』しかありませんので、博愛主義者や人格者であっても死んだ時の幽体がボロボロならば、ボロボロの幽体が一番住みやすい場所に勝手に移動してしまいます。愛情が深いとか義理人情に厚いなどというのは何の基準にもならないということです。
他界した時に、自分の幽体が一番快適に過ごせる場所が、結果的に下の世界だったというだけです。
ですから、下の世界にも愛情豊かな霊魂もいますし、人間の不幸を見て涙を流す霊魂もいます。
ならば、これらの霊魂が人間に関与すれば何か良いことがあるのではないかと考えがちですが、それは前述しましたように幽体の質の低い霊魂に接触されますと、接触された人間の幽体の質が落ちていくことになりますので、これは困ったことになってしまいます。
ですから、仮に親切心で人間に寄ってきた霊魂であっても、霊的な質が低ければ結局はその人間を不幸にしてしまいます。
したがいまして、私たちはまず、守護霊は無理でも補助の霊魂に側に来てもらうようになることが大切です。
欲望は悪ではない。しかし・・・
霊魂は物質の手足を持っているわけではありませんので、人間の悩みや苦しみを直接的に解決することはできませんが、人間の一生という長いスパンで見て霊的に不幸にならないようにさまざまな霊感を与えてくれます。
ただし、霊感といっても霊能力ではありません。
これは『直感』とか『インスピレーション』の類いで、人間が道を間違えないように何となくでも疑問を抱くようにするとか、この世で最も大切なものの一つである人間関係をさらに円滑なものにするとか、そういう想念を送るわけです。
仮に試験があるとして、たいていの人はどんな問題が出てその正解は何かを知りたいと思います。恋愛なら相手が自分に好意があるかを知りたいと思います。それが悪い訳ではないのですが、そればかり望むことが問題なのです。
人間は本質的に欲望の塊であり、現代は競争社会でもありますので、常に何かと競争しているわけです。競争すれば誰かが勝って誰かが負けるわけですから、自分が勝ちたいと願うのは当然です。
ただ、そこで勝つための正解を知ることにだけ囚われてしまいますと、結果的に道徳心のない霊魂を呼んでしまうことになります。
なぜなら、守護霊や指導霊の関心は、人間の幽体を成長させることとそれを実現するための生き方だけなので、その人が地上でどんな職業に就こうが誰と結婚しようがどこに住もうが基本的には人が自由に決めればいいと思っています。
これが何を示すのかといいますと、人間が物質的な欲望の発露の末に求めている答えを守護霊や指導霊は出すことができませんし、出すつもりもないということです。
ということは、現代の人々が守護霊や指導霊を求める可能性は低いということです。
守護霊や指導霊が人間の幽体の成長を願っていたとしても、人間の側がそれに無関心で試験の解答や幸せになる方法といった『答え』だけを求めるような人生を歩んでいれば、守護霊や指導霊はそれに関与することはありません。
そして、人間の欲望を叶えてやろうという霊魂が勝手に寄ってくることになります。
勝手に寄って来る霊魂は霊的に低い存在ですので、それに関与された人間は霊的な質を落とすことになり、守護霊や指導霊から見えなくなり、さらに最後の砦であった補助の霊魂からも見えなくなってしまいます。こうなりますと、結果は悲惨で、他界する頃には、例外なく幽体は傷つき不調な状態となっていますので、死後の生活は暗いものとなります。
下の世界に落ちてから、「神も仏もない!」と叫んだとしても、本当はこの世にいる時から神や仏を拒絶していたのが、まさしく自分なのですから・・・。
人は食べないと生きていけないわけですし、そういう意味では衣食住を整えることは大切です。良い大学に入りたい、大企業に入りたい、給料をたくさん欲しい、大きい家に住みたい、出世したい、人から尊敬されたい・・・。
人間の欲望には際限がありませんが、それは人間が持っている本性ですから悪いことではありません。
ただ、守護霊や指導霊は、それらの欲望の中に『幽体を成長させる』ということを加えてほしいと願っています。
(続く)
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