守護霊(14)~著書「指導霊」より10

指導霊

 

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守護霊とはいえない霊魂

 

水波霊魂学で定義する守護霊や指導霊は、上位の霊魂から任命された霊魂ですので、巷で言われるような数年前に死んだおじいちゃんおばあちゃんが、仮に孫のそばにずっと居て見守っていたとしても、彼らのことを水波霊魂学では守護霊とは呼びません。

また、お金を出したら守護霊が授けられると主張される方もおられるかもしれませんが、水波霊魂学の定義による守護霊ではありません。そもそも霊魂にとってお金など何の価値もありませんし、仮にお金をもらっても使い道がありません。

 

あるいは、歴史上の有名人が守護霊だと言われたら嬉しいかもしれませんが、これも何の意味もありません。なぜなら、歴史上の有名人が他界後に上の世界に入っているかどうかは誰も分かりませんし、たいていの霊魂は他界してある程度時間が経てば地上時代に使っていた名前など忘れてしまうことが多いようです。

 

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過去世の心情について

 

人は誰でもこの世に生まれて死んでいくということを何回も繰り返しています。世間ではこれを生まれ変わりと表現される方もおられますが、水波霊魂学では世間で言われるような生まれ変わりの概念は誤りだと主張していますので、過去に生きた人生をいう意味で「過去世」と呼んでいます。

 

私たちは過去に体験した出来事は何も覚えていません。なぜなら、肉体の脳は今回の人生にだけ使用するものだからです。過去の人生での体験を全部ではありませんがある程度知っているのは幽体と呼ばれる霊的な身体です。

 

私たちは肉体に幽体が重なっています。当然ながら肉体の脳には幽体の脳が重なっているわけです。肉体の意識が表面にあり、幽体の意識はその奥に存在しています。

誰でもこの世に生まれてさまざまな経験をしています。その経験を肉体の意識と幽体の意識は共有していますが、何かしら嫌な経験をした時に「そういえば過去にも同じようなことがあったなあ」と思い出すのと同様に、幽体の意識も「過去の人生でこんな辛いことがあったなあ」と思い出します。

 

幽体が思い出すことは、たいていの場合、過去に人生で経験した辛い、苦しい、悔しい、怖い、といった類いのことです。

 

守護霊は、担当の人間が背負っている過去世のいろいろな心情を、あらかじめ調査しておりその解消のための策をいろいろ考えています。

 

ということは、守護霊は地上の人間のことを肉親よりも深く見抜いている存在だということになります。

 

ですから、きちんと守護霊と交流ができていれば、どのような人生を歩もうとも、大事な局面で霊的に最善な策を想念として送ってもらうことも可能です。

 

仮にAさんの守護霊は、Aさんに思春期になると挫折を味わう可能性があると知っていたとします。守護霊はAさんが挫折してそれを乗り越えるのが霊的成長になるのか、過去世の心情自体が湧いてこないようにこの人生を歩むべきかが分かっています。

 

Aさんが守護霊と繋がっていれば霊的な想念を受け取ることができますので、Aさんにそれを受け取れるだけの霊的な感性があれば霊的な不幸に見舞われずに済むかもしれません。

 

実際は、昔のように同じ土地に住み続け、知らない人はずっと知らない人のままで一生を終えていた時代であれば、過去世の心情もそんなに刺激されることもなかったのかもしれません。
しかし、現代のように行動範囲が広がってテレビや映画、インターネットの発展とともに、知っているのか知らないのかよく分からない人たちを見たり、実際に絡まざるを得ない時代では、表面意識もたくさんの刺激を受けますし、表面意識と経験を共有している幽体の意識もたくさんの刺激を受けています。

 

したがいまして、現代は過去世の心情が浮いてきてしまう機会が確実に増えましたし、信仰心がない人々も増えたこともあって、浮いてきた過去世の心情に翻弄される人生を歩んでしまう方が多くなっていると思われます。

 

守護霊は、担当する人間が持っている過去世の心情や、今回生まれてから経験するさまざまな苦難に翻弄されることなく、今回がたとえ悩み苦しみの連続する人生であったとしても、霊的に正しい道を示し続ける存在であり、私たちが繋がりたいと祈念する限り、仮に地球上の全ての人を敵に回したとしても最後まで味方となってくれる存在なのです。

 

私たちにとって、守護霊と繋がることがいかに大切かということを考えていただければと願っています。

 

(続く)

 


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