【水波霊魂学】現代人と祈り(3)

キャンドル

 

現代の神社には高い気が下りなくなってしまったので、高級霊魂はその場にいることができなくなり、入れ替わりにやって来たのが自称神様を名乗る霊魂とその仲間たちです。

 

彼らは霊的な成長が進んでいない、いわゆる『未熟な霊魂』です。

 

なにが未熟なのか説明することは難しいのですが、簡単に言えばその思考や価値観が地上で生きていた頃とほとんど変わっていない霊魂です。

 

ですから、別に邪霊や悪霊のたぐいではありませんが、高級な霊魂のように高い気を下せないばかりか低い気を放つ存在であり、出来れば関わらないほうがいい霊魂です。

 

 

さて、自称神様に占拠されてしまった神社で何が起こるのかといえば、それはそこにいる霊魂によってまちまちですが、ひとつ典型的な例を書きます。

 

自称神様の子分が鳥居の上に座っていると、人間がやって来ました。子分はその人を観察して、神殿にいる親分に「ちょっと面白そうなお客さんが来た」ことを知らせました。

 

お参りに来た人は神殿の前で祈りを捧げます。

 

祈りは幽体から発せられる強い思いですので、幽体の存在である霊魂は当然、その内容を理解できます。

 

仮に『良い就職先が見つかりますように』という願いだったとして、そこにいた霊魂の親分は何とか力になってやりたいと思い、子分に後を付いていってあれこれ助けてやれと言いました。

 

ところが、霊魂には肉体がありませんので、支援するといってもできることは限られます。

 

そうこうするうちに、その人は就職先を見つけましたが、そこはいわゆるブラック企業で心身ともに疲れ果て、結局辞めることになってしまいました。

 

その人は思いました。

 

「神社でお祈りしても何の効果もなかった。賽銭返せ。」

 

その強い怒りの思いは、その人の近くで一所懸命支援していた子分の霊魂に筒抜けでした。

 

子分の霊魂は「そんな言い方はないだろう。こっちも助けたいと思って一生懸命動いたんだ。」

 

その人はそれでも考えを改めるどころか、「あの神社に行っても無駄だ」とか言い続けて、悪口を止めませんでした。

 

子分から報告を受けた親分も堪忍袋の緒が切れたようで、あの手この手を使ってその人を懲らしめようとしましたが、残念ながら霊魂が人間に対して直接的に実力を行使することはできませんでした。

 

悪口を言った人も霊魂が干渉していることに全く気付きませんでした。

 

 

それから30年の月日が経ちました。

 

ある日、神社で悪口を言った人が山にハイキングに出かけました。

 

ところが、途中で足を滑らせて崖下に転落してしまい、大けがを負いました。

 

本人も周囲の人も「足腰も弱っているし、運が悪かっただけだ」と思いましたが、本当はそうではありませんでした。

 

じつは30年前に霊魂に干渉されたときに、その人の幽体に障害が起きていました。

 

それが長い月日をかけてゆっくりと進行し、やがて足の部分で幽体と肉体の接着が弱くなっていました。

 

肉体と幽体の接着が弱くなりますと、足のように大きく動く部分では肉体と幽体がズレるようになります。

 

ズレるとどうなるかと言いますと、肉体にも悪影響が出ます。

 

例えば、ちょっとしたことで転びやすくなったり、ふつうは転ぶだけで済むところが骨折したりして思わぬ大けがにつながることもあります。

 

この人は、本当は崖下に転落した主たる原因は『霊的な障害』なのですが、それに気づくことはなく、霊的な障害を抱えたままでいずれ他界することになります。他界後に行く場所は当然ながらいわゆる『上の世界』ではありません。

 

 

以上の話は、創作ですが、注意しないといけないことがあります。

 

それは、神社にわざわざ行って「ここの神様に祈っても無駄だ」とか、そういう発言を誰かにたしなめられて悔しまぎれに「バチを当てられるものなら当ててみろ」とか、そういうことを口に出すのはもちろん、心に思うだけでもやめておいた方がいいということです。

 

怒りはたいていの場合、『強い感情』です。

 

高級な霊魂はスルーするかもしれませんが、いわゆる未熟な霊魂の場合は本当に激怒することがあります。

 

何しろ自称であっても『神様』を自負する以上、効果がないとかバチを当ててみろなどという発言は挑発にしか聞こえません。

 

この手の霊魂が具体的に何をするのかはここでは割愛しますが、結果的に人間の幽体は傷つけられることも多いです。

 

もちろん、該当する人が全員、霊魂に狙われるというわけではありません。目立たなければ何も起こらないかもしれません。

 

しかし、神社などの宗教施設に行くと、運が悪ければそういうこともありえるということは知っておいて損はないと思います。

 

 

<参考文献>
『たましいの救い』水波一郎著