守護霊(18)~私の守護霊
<前回の記事>
自分の守護霊を知ること
契山館では、会員限定で自分の守護霊がどのような方なのか調査することができます。
私は入会してすぐに申し込みました。
守護霊は一生を通じてお一人ですので、現在も私を担当して頂いています。日頃から迷惑ばかりかけている未熟者ですが、今も何とか生きていられるのは、間違いなく契山館を知り、霊的トレーニングを実践して守護霊と繋がることができたからだと確信しています。
守護霊の多くは、過去に地上の世界を生きた大先輩です。その際には今の私たちと同じようにさまざまな逆境を経験しています。
ただ、私のような凡人と違うところは、人生を送るなかで、人の生きる価値や世の中の理不尽・矛盾に着目して、自身で答えを探そうと行動されているところです。
私も大いに見習わないといけないのですが、現状はこのブログの執筆という微力な行動が精一杯で、何とも情けない限りです。
ここで私の守護霊の一生と私が戴いたお言葉を紹介します。
私の守護霊の一生
今の神奈川県に生まれたようで、時代は徳川家康が江戸に幕府を開いた頃に青春期だったようである。
この頃に漁業をしていたらしい。ところが、ある時、生活が立ち行かなくなったようで、仕方なく、町に出て職人になったそうである。そのため、結婚した女性も職人の娘だったようで、しばらくは平穏だったらしい。
ところが、息子が誰かに怪我をさせられたようで、その件で侍と対立することになってしまい、何かと嫌がらせを受け、とうとう転居せざるを得なくなり、今の東京都に移転したそうである。
それからは、生活が不安定になり、かなり苦しかったようだが、やがて、息子が成長すると生活も楽になり、それ以後は食べるには困らなかったようである。
そのうち、歳をとってくると、このまま人生が終わってしまうのでは、ただ、食べるためだけの人生だと感じるようになり、人生の価値を真剣に考えたらしい。
その結果、侍による新しい町造りは良いが、それまでに大勢の人達が殺されている、その人達はどうなったのかと考えるようになった。
僧侶や神主にも聞いたが、本当のことを知っているようには思えず、街の祈祷師などにも聞いてみたが要を得ず、結局、ある霊媒の弟子になったそうである。
息子が一人前になると、早々に隠居し、霊媒の弟子として死後の世界を探ったらしいが、師匠が時々インチキをしているように思えてならず、結局やめてしまい、今度は自分一人で霊媒の練習をしたらしい。
ところが、今度はあちらこちらに病気が出たり、夜にうなされたりするようになってしまい、『キツネに憑かれた』、ということになって、お祓いを受けたらしい。
何とか、症状は小さくなったらしいが、キツネに憑かれるのは修行が足りないからと神主に言われ、神主の紹介で、修行の先生についたそうである。
そのうち、修行の世界が好きになり、老いて他界する頃には先達として信用を得ていたそうである。
この人は他界後も霊魂としての進歩向上を目指し、一般の人よりも随分と早くに進歩し、やがて、地上の人間の守護霊となることが決まり、地上に降りたそうである。
この守護霊のメッセージを現代の言葉に直すとこうなる。
「今も昔も人が真実を知ることはなかなかできない。けれども、確実に言えるのは、専門家につかないとキツネではないまでも悪い霊魂に操られてしまう。
一番大切なことは、霊魂になってからも価値が出る修行であった。他のどんな技術や経験も霊魂になってみると価値がなかった。私が霊魂として進歩できたのは、安直な霊能力の開発から足を洗えたからであった。
仲間の中にはずっと、それを目指してそのまま下の世界に入った者もいる。
気付けるかどうかが分かれ目になる。それを考えて、今後とも、地道な努力を忘れないことが大切。」
誰にでも苦労がある
守護霊の一生がさらっと書かれていますが、少し丁寧に見ていきます
- 漁師をしていたが生活が立ち行かなくなり、仕方なく町に出て職人になった。
- 息子の怪我の件で侍と対立し、何かと嫌がらせを受けて転居せざるを得なくなった。
ここで少なくとも2回転居をしています。それも原因は貧困と嫌がらせです。転居に至るまでにおそらく数か月から数年にわたって悩み苦しんでいたと推測されます。
- このままだと食べるためだけの人生だと感じるようになり、人生の価値を真剣に考えた。
- これまでに大勢の人達が殺されている、その人達はどうなったのかと考えるようになった。
- 霊媒の弟子として死後の世界を探ったらしいが、師匠が時々インチキをしているように思えてならず、結局やめてしまい自分一人で霊媒の練習をした。
ここでは人生の価値、世の中の不合理に強く意識が向いています。そして、それを知るための活動を積極的に行っています。
- 我流の練習が祟って、『キツネに憑かれた』、ということになりお祓いを受けた。
- 我流はダメだと気づいて、神主の紹介で、修行の先生についた。
- 修行の世界が好きになり、老いて他界する頃には先達として信用を得た。
ここでは、最初の師匠のインチキ臭さに悩み、我流での練習を行いましたが、肉体に不調が出てしまいました。
自分の探し求める答えがなかなか見つからないことに加えて、正しい道を歩もうと試行しては挫折するという苦しい時期だったのではないでしょうか。
それでも、最後は信頼できる先生に出会い、修行することで周囲の信頼を得るほどに努力されました。
- 他界後も霊魂としての進歩向上を目指し、一般の人よりも随分と早くに進歩した。
他界後も霊的向上を目指して努力し続けるということは大変なことです。
継続は力なりといいますが、私はこれができないから苦労しています。
守護霊からのメッセージ
このメッセージは私に向けられたものです。
なぜこのような内容なのかと推測しますと、恐らく私は苦悩の救いを特殊な能力(例えば超能力や霊能力)に求めるような心情が隠されていたのだと思います。そして、自己流で能力開発しようとして転落する危険があったのでしょう。
そうなる前に、何としても専門家に巡り合うように必死に動いて頂いたのだろうと思います。
その結果、私は最高の専門家の先生(水波一郎師)に出会うことができ、少なくとも自分が間違えない限り、道を踏み外す危険はなくなりました。
そこで、守護霊のメッセージのもう一つの部分が重要になってくると感じています。
「一番大切なことは、霊魂になってからも価値が出る修行であった。他のどんな技術や経験も霊魂になってみると価値がなかった。」
この世を生きる上で、資格を取得したり業務スキルを向上させることは食べていくために重要なのは当然のことです。しかし、もっと大切なモノがある、それに気づいて地道に努力せよ、というメッセージは今後、私自身が実践していかなければいけない部分です。
正直言いまして、これは簡単なことではありません。絶対に実現しますと胸を張って宣言することもできません。私はそんなに出来た人間ではありません。
この世に生を受けて数十年、苦しいことも辛いこともたくさんありましたが、水波霊魂学に出会ってこれは本物であると確信して以来、その思いはいささかの揺るぎもありませんでした。
私は私のできる範囲のことしかできませんが、せっかく教えて頂いた霊的トレーニングを無駄にせず、霊的な活動も微力ですが少しずつでも行えるようにしようと考えています。
具合の良い時は走ればいいですし、具合が悪くてその場にしゃがみ込んだとしても、1センチでもいいから前に進む。
しょせん人は、自分のできる範囲のことしかできませんから、肩肘張らずに自分のペースで前を向いて歩いていこうと思っています。