苦しみの連鎖
このブログでも何回か触れましたが、肉体は幽体という別の身体と重なっています。そして、ただ重なっているだけではなく、肉体に意識があるように幽体にも意識があります。
肉体の成長とともに幽体も成長します。それとともに幽体の脳には過去の人生で経験したさまざまな心情が蘇ってきます。
幽体は何度も地上に世界に再生していますので、その数だけ過去に人生を送っています。
幽体は地上に生まれてしばらくは、過去のことをほとんど忘れたような状態になっていますが、今回の人生での経験を肉体と共有して過ごしているうちに、それをきっかけとして少しずつ過去の人生で味わった心情を思い出していきます。
そして思い出した心情が激しいものであったとすると、それが時に心の奥からの強い衝動となって表面意識に影響を与えはじめます。
幽体は自身に沸き起こる激しい心情を肉体に懸命に伝えようとします。しかし、肉体の意識は成長するにつれて人間社会での規範を学び、知性や理性を身につけることで意思決定の主導権を強めています。
ところが、幽体のほうは、地上の世界では霊的な栄養を十分に摂れないために力が弱くなってしまっている場合が多くて、結果的に肉体の意識からは幽体の意識をはっきり認識できなくなっています。それはせいぜい「何となく感じる」といった程度でしかありません。
じつはこれが大変大きな問題となります。
仮に、おなかが痛いとします。
肉体の症状ならば、医師が原因をさぐるためにどこがどのように痛むのかそれはいつ頃からなのかなど具体的に情報を聞いたり、専門の機械で検査をしたりして病名を特定し治療にあたってもらうことができます。
しかし、幽体の場合は、そもそも幽体を診てくれる医師などいませんし、ましてや自分の相棒の肉体ですらその苦しみを分かってくれません。
ということは、幽体自身が自分で自分を治療することができないと、それはただ果てしなく続く苦しみということになります。
そして果てしなく続く苦しみがどんどん強くなってどうにもならなくなった時、肉体の意識の一瞬のスキをついて一気に表面に現れることがあります。
仮に、キレたとか、魔がさしたとかいわれることの原因の一端が、幽体の意識の爆発であったとしたら、それは誰の身に起こっても不思議ではありません。
なぜなら、ストレスを感じていない幽体はいないからです。
自我を持った意識体なのに、肉体とやらに何十年もくっつけられて、何の自由もなく、意見や希望も何一つ聞いてもらえないのです。
多くの人は自分が幽体の立場なら到底耐えられないと感じると思います。
しかし、遠い将来にじっくり体験できるかもしれません。
なぜなら人は必ず死にますので、いずれは自分が幽体の存在になります。
自分の幽体の一部はいつかの日か地上に再生し、どこの誰かも分からない肉体にくっつきます。そして肉体が死ぬまでの何十年を「幽体の立場」で過ごすことになります。
それを何回も何回も、少なくとも地上に人類がいる限り、繰り返していきます。
救いを求めてもだめです。
人々が勝手に思い描くような「神」などどこにも存在しません。
したがって、状況を変えたいのなら自分自分で何とかしようと思わないと、この苦しみの連鎖を断ち切ることはできません。