目前の壁を越えるか否か?

人は生きていれば誰でも「人生の壁」なるものにぶち当たるものなのですが、この「人生の壁」を「転機」と同じ意味に捉えるのならば、「壁を越えるように一所懸命頑張りましょう」となります。

しかし、「人生の壁」と「転機」が果たして同一なのかというのは、私の中で常に疑問に思っていることです。目の前に立ちはだかった「人生の壁」をただ闇雲に乗り越えようすることが本当に正しいのでしょうか?

 

これは何度も書いたことですが、人は誰でもいろいろな悩みを抱えて生きています。街を歩けばみんな着飾って楽しそうにしているのを見て、「不幸なのは私だけなのだ」と悲嘆したくなってしまったとしても、笑って歩いている人もほぼ間違いなく何らかの悩みは抱えていると思われます。
ということは、悩みというものは誰でも持っているという意味では珍しいことではなく、時には「悩むことは大事なことでそれを克服することで人は成長する」という方もいらっしゃるように、世間的には現状の困難は将来への糧だという解釈される傾向があるのかもしれません。

 

ところが、「人生の壁」なるものは、目には見えませんが人によって横幅も高さも違うもののようで、ある日突然目の前に現れることも珍しくありません。さらには、客観的に見て同じ種類の「人生の壁」に見えたとしても、ある人にとっては楽勝、ある人にとっては命がけということもあります。
例えば、壁にぶち当たって自ら命を絶った人のニュースなどを見て、「何でそんな程度のことで自殺するのか」と感じた経験があるかもしれませんが、これは感じた側の人にとっては自殺するほどの問題じゃないと思っているわけです。

しかし、自殺した人にとってはどうにもならない問題だったわけで、大切なのは「壁」そのものではなく、その壁にぶち当たった当事者がその「壁」をどう評価するかということです。

 

当然のことながら、人がどう感じてどう行動したかについて、法律や倫理の問題から逸脱しない限り、正しいも間違いも善も悪もありません。

 

人の一生は、目には見えませが、横幅も高さも違う「人生の壁」に何回も遭遇します。

その「壁」について私はこのような想像をするときがあります。「壁」にはチャレンジしていいものと避けなければいけないものがあって、人は時として避けなければいけない壁を無理に乗り越えようとして消耗して、不幸な結果を招くということもあるのではないか・・・。

 

「越えていい壁」と「越えずに避けなければならない壁」が実際に存在するかどうかは分かりませんが、頭の片隅に置いておけば役に立つ場面がもしかしたらやって来るかもしれません。