守護霊(17)~霊的生命体としての幸福と不幸

階段

 

<前回の記事>

 

 人間は特別な生命体

 

守護霊、指導霊を理解するために知らなければならないことは、人間という生命体がいかに特別かということです。

 

人間は、幽体とは別に霊体という霊的身体を持っていますが、人間以外の動物には霊体はありません。

 

また、機能しているしていないにかかわらず、人間には必ず一人の守護霊と指導霊が担当していますが、これも人間のみですし、それ以外の部分に関しても人間は他の動物と違う部分はたくさんあります。

 

例えば、人間は大金持ちであろうと貧乏人であろうといつか『必ず死ぬこと』を知っていますから、生きている間に何らかの幸福を感じようとします。

 

そのために、個人差はありますが計画(人生設計)をたてます。

 

私たち人間は、いつかやってくる死をできるだけ先延ばしできるように、人生の中で幸福という満足を得るように、計画的に行動できる生命体です。しかし一方で、自分と他人を比較して自分が下だと思えば、不幸だと感じてしまう生命体です。

 

動物は、人生設計もなければ幸福感を感じることもありません。ライオンが今月のシマウマ捕獲目標など設定しませんし、野良猫が家猫を見て自分は不幸だと感じることもありません。

 

服を着せてもらっている犬を見て、素っ裸の自分を不幸だと感じる犬などいません。

 

このことを、単純に脳の出来が違うという肉体的要因のみではなく、霊的生命体としての性質も知らなければ人間の真の姿を知ることは永遠にできません。

 

 

スポンサーリンク

 この世の幸福とあの世の幸福は違う

 

人間は幸福になること以上に、不幸でいたくないと考えます。不幸とは何かといえば、代表的なものは病気であったり老いであったり死であったりします。そうしたことをできる限り避けながら、自己の幸福を追求していきます。

 

それはそれで良いのですが、それにいわゆる守護霊や指導霊が全面的に協力してくれると考えると間違えてしまいます。

 

人間は、生まれて死んだらそこで終わりで死後の世界などないと考えるのでしたら、例えば難関大学に合格したり、事業に成功したり、オリンピックで金メダルを獲ることはたいへん素晴らしいことです。長い間にわたって目標の実現のために必死に努力してきたのですから、成果をあげることができれば、それはたいへん幸せなことでしょう。

 

しかし、それは成果をあげた人に守護霊や指導霊が加勢したわけではありません。そもそも、難関大学への受験ならば、誰が合格してもおかしくないくらいのレベルの人が集まっています。オリンピックで金メダル候補といわれる人ならば、誰が金メダルを獲っても不思議ではありません。

 

ならば、その人だけに栄冠を与えられる理由はどこにあるのでしょうか?

 

それは霊的な要因ではなく、ただ単に周りと比べて実力が格段に上の人が勝つのは必然であり、実力伯仲で勝つのは蓋然だと言えるでしょう。

 

ただし、ここで知っておかなければならないのは、競争に勝った人は幸せで、負けた人は不幸だと簡単に切り捨てることができる程、人間という生命体の幸不幸は単純ではないということです。

 

死んだら終わりならば単純明快なのですが、水波霊魂学は死後の世界はあると主張しています。死後の世界があるのならば、この世で完結する「幸福」と、死後の世界での「幸福」は、世界が違うのですから文字は同じでも意味はまるで違うのは当たり前のことです。

 

 

仮に、ある親は幼稚園児である我が子に必死にお遊戯をさせたとします。子どもは親の期待に応えて真剣に努力した結果、幼稚園で一番上手にお遊戯ができました。

 

これは、お遊戯がすべての親子でしたら大満足かもしれませんが、それは見方の相違で、別の親はお遊戯なんかしているヒマがあるなら、今のうちに英語を習わせなければ、算数を習わせなければ、サッカーをやらせなければと考えているかもしれません。

 

これは、良い悪いの問題ではなく、この世で各々が自分の価値観にあった幸福を追求しているだけですが、それでも他人から見れば何の価値があるのかさっぱりわからないというだけです。

 

 

 魂は永遠に続く

 

いずれにしても、幼稚園だけで人生が終わるのでしたら、幼稚園の行事で大活躍する、例えばお遊戯ができる、これがいちばんです。

 

しかし、親は知っています。

 

幼稚園で終わりではなく、まだまだ先がずーっと続いていく。だから、我が子にはお遊戯だけではなく英語、サッカー、あるいは友達と仲良くできる能力を身につけてもらいたい・・・。

 

さまざまに価値観や考え方は違っても、親は我が子に対して幼稚園の先を見据えた指導をします。

 

ところが、現代人はみんな、この世に生まれて死ぬまでを幼稚園にたとえるならば、お遊戯に命を懸けています。

 

何とかという題のお遊戯で優勝しました。何とかというお遊戯ではあの子が一番で私は負けたといって自殺までしています。

 

受験や事業に失敗したから自殺する。

 

オリンピックで負けたから自殺する。

 

それはその人が人生のすべてを賭けたからです。

 

挫折感や絶望感そして無力感で心が折れてしまうこともあるでしょう。しかし、それは親から見れば、幼稚園のお遊戯で誰かさんに主役をとられたから私は自殺したと言われたようなもので、到底、承服できないことです。

 

何でお遊戯なんかのために自殺するの?

 

もっと先の事を考えてほしい・・・。

 

それでは守護霊・指導霊が受験やオリンピックのために力を入れるのでしょうか?

 

何のために?

 

それはあくまでも本人が希望して、本人がそれを幸福と感じて真剣に追求したいという気持ちが強いのならば、守護霊・指導霊もできるならその想いを叶えてあげたいと思っています。

 

親なら誰でも本人がそこまで好きでやりたいのなら、成果を出してもらいたい。

 

みんなそう思いますが、幼稚園のお遊戯のために『その先の人生』を捨てられては困ります。

 

受験や仕事やオリンピックで失敗したからといって自殺されたのでは、親はたまったものではありません。

 

守護霊・指導霊とはそうした立場です。

 

地上でいう幸福は、しょせん本人の価値観であり自己満足です。

 

それは他人から見ればどうでもいいことばかりです。

 

それでは、他界した後も延々続いているという前提の上での幸福とは何なのでしょうか?

 

それを考えない限り、守護霊も指導霊も何の力にはなりません。

 

ということは、今、自分はフリーターで人生の負け組だと思っている人は、自分を卑下する必要はありません。

 

確かに同じ年齢で金メダルを獲っている人もいますが、それはお遊戯が上手な人に過ぎません。

 

「私はお遊戯には何の価値も見出していない」、そう思っていればいいのです。そして、自分なりに長い長い霊魂としての人生をどう生きるのかを真剣に考えられるのであればそれで十分です。

 

自分と何の関係のない分野で成功している人に対して、引け目を感じる必要もなければ妬む必要もありません。

 

 

 玉石混淆から玉を探す

 

現代は誤った情報が氾濫しています。情報がなさすぎるのは困りますが、真偽の分からない情報が氾濫するのも困りものです。

 

しかし、守護霊・指導霊に関する情報に関して、正しいか誤りかを判断する一つの基準としては、子の都合で動く親などいないということから連想して頂ければいいかと思います。人間の都合で動く守護霊・指導霊などいませんし、もしそんな存在がいるのだとしたらそれは自称守護霊・自称指導霊を名乗る未熟な霊魂であるということです。

 

甘い言葉や優しさに騙されてはいけません。詐欺師は最初は必ず笑顔で寄ってくるものです。

 

霊的なことは人間の五感では分かりません。

 

したがって、ご自身で真偽を見極めるしかないのです。

 


<続きの記事>