エイベックス の是正勧告から考える、労基法とやりがい搾取と利他的動機
<前回の記事>
エイベックス に対する是正勧告の経緯
12月13日、エイベックス・グループ・ホールディングスが、三田労働基準監督署から労働基準法に基づく是正勧告を受けていたことが報道されました。勧告は9日付けで、社員に違法な長時間労働をさせていたこと、残業代を適正に払っていないこと、実労働時間を管理していないなどを指摘されたそうです。
12月22日、同社の代表取締役社長CEOが自身のブログで労働基準法について持論を述べられました。いろいろな点について疑問を呈しておられるようですが、私が感じたポイントは、『勧告については真摯に受け止め対応はしているが、現行の労働基準法は「今の時代に合わない」ものである。望まない長時間労働を抑制する事は大事だが、好きで仕事をやっている人に対して労働時間だけを物差しとした規制には反対である』という部分ではないかと感じました。
さて、今から遡ることおよそ3ヶ月前の9月30日、厚生労働省は「平成28年度過重労働解消キャンペーン」の概要を発表しました。
その中に、重点監督の実施という項目があり、監督の対象とする事業場は、①長時間にわたる過重な労働による過労死等に係る労災請求が行われた事業場、②労働基準監督署及びハローワークに寄せられた相談等を端緒に、離職率が極端に高いなど若者の「使い捨て」が疑われる企業等について、時間外・休日労働が36協定の範囲内であるか、賃金不払残業がないか、不適切な労働時間管理がないかなどを確認するとしています。
仮にエイベックスの労基法違反がこのキャンペーンで確認されたものであるのでしたら、同社は労基署に目をつけられていたのかもしれません。
今回の労基署による是正勧告と勧告された企業のトップが抱いた疑問についてはいろいろ考えさせられる点がありました。まず労働基準法は強行法規でありながら刑法や特別刑法のような強い強制力がないという悲しい側面です。次にエイベックスのCEOは「好きで仕事をしている人」かもしれませんが、他の従業員も全員そうなのか(やりがいの搾取ではないか?)、そして日本型雇用の持つ集団的心理、特に労基法違反が利他的行動を動機として使用者単独ではなく、労使が協同して起こっているいるのではないかという点です。
次項以降にこのそれぞれについての私見を述べたいと思います。
労使から軽視される「労働基準法」
労働基準法は強行法規
労働基準法は労働者の保護のために制定され、民法の規定を修正した特別法で、当事者の意思に関係なく適用される強行法規です。労働法規では労働基準法のほかにも労働安全衛生法や最低賃金法も強行法規となります。
例えば、東京都の最低賃金は時間額932円(2016年10月1日より)ですが、「御社でどうしても働きたいのです!時給700円でも良いので働かせてください」と言って、仮に雇用契約が成立したとしても金額は無効となり932円以上払わないといけませんし、「御社の仕事が好きでたまりません!休日などいりません」と言ってもそのような契約は無効となります。
このように労働基準法は、契約者の同意があっても法律違反であれば無効になるくらいの本来は強い法律のはずなのですが、現実は軽犯罪法並みに軽視されています。
最近は過労死や求人詐欺、理不尽なリストラやハラスメントなど、被害者に遭った人のその後の人生が狂わされたりするような重大な事案が多発しているのにもかかわらず、労働者すら労働法規に信頼していないのではないかと感じられます。
それは、前述のように労働基準法は強行法規であってもあくまで民法の特別法であるのもその一因ではないかと思っています。
監督官庁と権限
労働基準法をはじめとする労働法規に基づいて使用者(事業主)に対する監督を行なうのは労働基準監督署であり、その指揮系統は厚生労働省労働基準局→都道府県労働局→労働基準監督署となります。これらの部署には労働基準監督官が配置され、特別司法警察職員として労働基準法令違反について捜査権、被疑者の逮捕権と送検を行う権限を持っていますが、彼らの一般的な業務の大部分は行政事務であり、大多数の業務は行政指導で完了します。
今回のエイベックスへの是正勧告は行政指導で、法的強制力はありませんので、「違反なんてしていない」と思うのであれば別に是正する義務はないのですが、くり返し勧告されて是正しない場合や悪質であると判断されれば書類送検される恐れはあります。
労働基準監督署が関与できないトラブル
労働基準法は強行法規であり、労働基準監督官は特別司法警察職員であるにもかかわらず、刑法や特別刑法に違反した場合のように電話一本で警察官が飛んできて、自動的に捜査や逮捕、送検にならないのにはわけがあります。
それは前述したように労働基準法は民法の特別法です。民法は私人間での関係についての取り決めです。「民事不介入」という言葉がありますが、警察はそれが刑事事案にならない限り介入しません。ですので、労働関係のトラブルも私人間の争いですので不介入となります。
労働トラブルの場合は労働基準監督官の出番となるのですが、じつはここにも限界があって、労働基準法令に違反していることが原因となっているトラブルについては対応できますが、それ以外の私人間で解決するべき「民事上のトラブル」については基本的に関与しません。
例えば、未払い賃金は法令違反ですから対応してくれますが、解雇の有効性といった問題については基本的にはお互いに話し合ってくださいというスタンスですし、それでも解決できなければ労働あっせんや労働審判や民事裁判で決着をつけるしかありません。
理不尽なリストラや解雇といった問題は、労働者にとって人生を左右する重要なことなのですが、こういう肝心なところで労基署は何の役にも立たないところが、労働基準行政全般について、特にブラック経営者は舐めてかかり、労働者は軽視してしまう最大の原因ではないかと感じています。
労働基準法が一人前になるために必要なこと
そもそも、人はなぜ法律を尊重し、その規定を守ろうとするのかについては、昔からいろいろな議論があります。
その中で、最も素朴な考え方は、「法には強制力(罰)があるから」というものです。これは「罰の重さ」と「法を破った時に得られる利益」の関係で、罰 > 利益であれば法を守り、逆であれば法を破るという考え方です。これは当てはまる所もあるかしれませんが、仮に傷害罪を死刑にすれば傷害罪を犯す人がいなくなるかといえばそう簡単ではありませんので、この考え方ですべてを説明できるわけではありません。
もう一つの考え方は、罰の種類という視点です。強制力の罰(ふつうは国家であることが多い)とは別の罰というものがあるという考え方で、その代表的なものは社会的制裁です。
罪を犯すことで、社会的評価や評判を落としてしまうと、自分の利益を損なってしまうので罪を犯すのを控えます。さらに権力側が「みせしめ」にすることで犯罪への抑止を期待することもあります。
これらを総合しますと、労働基準法は強制力の罰則機能を強化して、社会的制裁の目的で企業名をみせしめとして公表すれば、法律を守らない人は根絶できるということになりますが、残念ながら罰則だけを強化しても法律を破る人はいなくなることはありません。なぜなら人にはそれぞれ価値観や道徳観があるからです。
心理学的には、法律や条例を制定する機関(議会)、法を執行する機関(政府や自治体、警察などの行政機関)の信頼度が、法律を遵守の度合いに関係するというものがあります。
これは「法の正当性」の議論と絡めてされることがあるのですが、行政機関や立法機関について正当性や信頼性が低いと、そこで制定された法律に対する遵守意識も低下するらしいのです。
さらにもう一つ重要なことがあります。それは法律が策定される過程で、当事者として自分の意見が尊重され、かつ手続的にも適切であった法律は遵守意識が高くなるということです。
エイベックス社長の怒りも恐らくこの部分にあるのではないかと推測します。たぶん、こちらの事情を何も知らず、何も反映されていない古臭い法律を使って、ブラック企業のレッテルを貼られることに納得いかれていないように感じられました。
「好きで仕事をやっている人」って誰?
最初に
まず最初に知っておかなければいけないことは、世の中には家族を養うために嫌な仕事であってもやらざるを得ない人がいるという事実です。悪質なブラック企業の経営者のなかには、従業員に余計な情報を入れさせないためにわざと長時間労働をさせている場合があります。長時間労働をさせて睡眠時間が少なくなれば、人は判断能力が低下しますし、慢性的な寝不足になれば幻覚や幻聴を起こすこともあります。
そういう個人的な事情を斟酌せずに、「嫌なら転職すればいい」というのは、他人を斜め上から見た無責任な態度だと言わざるを得ません。
多様性(ダイバーシティ)とは?
さて、エイベックスの社長は、「好きで仕事をしている」と公言されていますので、ご自身はそうなのかもしれませんが、問題は従業員が全員そう思っているのかということです。
人は誰でも価値観というものがあって、それぞれ尊重したいものが異なっていて当たり前です。
ある人は家族が第一で仕事は家族が幸せになるための手段かもしれませんし、ある人は仕事が第一で仕事を達成することは自己を実現することであるかもしれません。
このことを経営者が理解して、組織にはそれぞれ価値観の違う人がいて、そのそれぞれは性質が異なる人たちであり、そのような人材を活かすというのが本当の意味での多様性(ダイバーシティ)です。性別や国籍、人種をいった職務に関係のないもので分け隔てをするのではなく、個人の持つ「違い」を尊重して、組織に参画でき、個人がその能力を最大限に発揮することによって成長していくということです。
エイベックスの社長のブログを拝読させていただきましたが、この部分についてはあまり触れられていませんでしたので、実際どのようなお考えなのかは分かりませんでしたが、仮に、従業員一同に向かって「私は好きで仕事をしています。もちろん君たちもそうだよね?」という感覚を持っていたならば、いわゆる「やりがい搾取」の構図が存在する可能性があります。
やりがい搾取
これは東京大学の本田由紀教授が作られた言葉で、「やりがい」と労働者に強く意識させることで、賃金抑制や無償労働が常態化し、本人が自覚しないうちに労働を搾取されている状態を指します。
やりがい搾取を行う経営者が行なう仕掛けとして、①趣味性(好きなことを仕事にしている)、②ゲーム性(仕事の自己裁量性、自律性が高い)、③奉仕性(人の役に立ちたいという利他的動機)、④サークル性・カルト性といったものがあります。労働者は自ら進んで仕事にのめり込み、あたかも充実感や自己実現を得ているように感じますが、実際は経営者側の思惑(少ない対価で最大の労働効率を引き出す)に嵌っており、結果的に私生活の多くを犠牲にすることになります。
当然ながら、「やりがい」「成長」「自己実現」といった理念を掲げている企業のすべてがやりがい搾取を行っているわけではありません。
立場の強い者が弱い者に対して、自己の価値観を一方的に押し付けることなく、個人の価値観を認めている組織であれば、このような事態は起こりません。
利他的動機による違法行為
メンバーシップ型とジョブ型:2つの雇用形態
日本のほとんどの企業は、「人」を中心の管理されていますので、その人にどんな仕事をあてがうのかは、いつでも自由に変えられるようにしておきたいと考えています。このような雇用形態をメンバーシップ型と呼びます。一方、欧米ではまず「仕事」があって、そこに人を当てはめます。これをジョブ型といいます。
欧米が同一労働同一賃金を実現できているのは、ジョブ型の雇用形態だからです。ジョブ型は「仕事」に対する報酬が決まっていますので、同じ仕事を25歳の労働者が従事しても50歳の労働者が従事しても賃金は同じです。対して、日本はメンバーシップ型ですので、どんな仕事をするかよりもどの会社のメンバーになるのかが重視されます。
この2つの型は、賃金体系も決定的に異なります。
ジョブ型では1つの仕事について内容、標準所要時間と成果量、報酬が明確です。したがいまして、ある仕事の所要時間が1日当たり8時間で1万円であれば、その仕事で雇用された労働者は、その仕事だけを8時間こなせば1万円貰えるわけですし、管理者も標準量より優れているか劣っているかで評価することができますので、労使ともある意味透明な評価となります。
ところが、メンバーシップ型の場合、一人にさまざまな仕事を与えますので、一人一人が何をしているのかが分かりにくくなります。また、突発的に発生した仕事についてはジョブ型であれば「それは私の仕事ではありません」と拒否できますし、そこで追加の契約を行うという手もありますが、メンバーシップ型ではそこにいるメンバーで即時的に処理されて行きますので誰が何をどれくらい処理できたということが明確になりません。
メンバーシップ型の雇用形態では、個人の全般的な職務遂行能力(個々の仕事の処理能力ではない)を「職能給」という形で表現しますので、どうしても年功序列型の賃金体系になりやすく、仕事の内容も限定されないために、仕事を行う場所も時間も限定されない働き方になります。
共同体意識から利他的動機へ
メンバーシップ型の雇用形態を採用している企業の多くは、正社員の共同体の様相を呈してきます。会社の業績については本来は経営に関与している者のみの責任なのですが、共同体の意識が過剰になりますと、業績悪化の責任を末端の社員が負うことに何の疑問も持たないような組織が出来上がる危険があります。
業績が悪化したことの責任を経営者が、部門長になすりつけ、部門長が所属員になすりつけることによって、いつのまにか「会社」そのものが労使ともに欠かすことのできない共同体となっていきます。メンバーシップ型雇用者はこのことに何の疑問も感じないかもしれませんが、欧米のようにジョブ型雇用者は、この会社がなくなれば別の会社で今までやっていた仕事をすればいいと考えますので、このような異様な共同体意識は希薄です。
このような異様な共同体意識の中で働く人たちの心理状態はそうなっているのかといえば、会社への忠誠心と共同体からいつ追い出されるのかわからない恐怖心が入り混じります。経営者は会社の業績に関係なく、労働者に対しこの会社のメンバーにふさわしい人間になるために、日々の研鑽や人格陶冶を求め、仕事の遂行に対しても間違いを許さず、顧客や社内のメンバーに対する徹底した良心を要求します。
労働者は「会社のため」「お客様のため」という名のもとに、長時間労働が課され、心身が疲弊することによって、倫理的な判断能力が低下しますと、周囲への配慮や自社の利益を保護する目的で法を破ってしまうという頻度が増します。
残業をすれば残業代が貰えるのは当たり前なのに、周囲が「私たちは夢を実現するために頑張っているんだ、お金なんて二の次だ」という雰囲気を出していれば、それに同調してしまいます。これは使用者が賃金不払いという違反を犯しているのと同時に、労働者(自分)もそれを黙認しているわけです。やがて自分の後輩が同じ反応をしたとしたら、それは先輩であるあなたも違法行為の再生産に加担しているわけです。
報道によりますと、エイベックスへの是正勧告は社員に違法な長時間労働をさせていたこと、残業代を適正に払っていないこと、実労働時間を管理していないなどを指摘されています。もしもエイベックスの社長が、故意でないとしても部下を圧迫したと受け取られて仕方のない状況であったり、意図的に主導したのであれば真摯に反省するべきですが、経営層が知らないうちに現場で起こった同調圧力によって今回の状況が引き起こされた可能性も否定できません。
最後に
現行の労働基準法については、使用者も労働者も法令順守という意識が希薄なのではないかと感じられる理由を書いてきましたが、そもそも法律は時代の変化に追いついていけません。
ブラック企業という用語はレッテル貼りだという意見には頷ける部分もあります。しかし、過重労働が原因の過労死や精神的苦痛によって自ら命を絶つ人、求人詐欺や若年労働者の使い捨て、中高年労働者への言いがかり的リストラ、各種のハラスメントなどは毎日のように報道されているのは現実であり、現行の労働基準行政は限界にきているという見方もできます。
労働分野においてもある種のイノベーションが必要な時期にきているのかもしれません。同一労働同一賃金、特定高度専門業務・成果型労働制(高度プロフェッショナル制度)の創設につきましても、それはあくまで現行の日本型雇用の延長線にすぎません。
エイベックスの社長のブログでも指摘されていましたが、これらの新制度案では社長の望まれる多様性にきちんと対応した使いやすい制度になる可能性は低いと思います。どちらかといえば、あくまでも過重労働や過労死、ハラスメントの撲滅のために罰則強化の方向に舵を切っていくことになると思われます。
新しい労働基準法規を策定していくためには、現場でもイノベーションが不可欠であり、業界内や有識者を巻き込んで新制度策定に向けて国に働きかけていくのが遠回りに見えて案外近道なのかもしれません。
この時、国は話し合う相手であって、戦う相手ではありません。
<次回の記事>
<参考書籍:やりがい搾取について>