人の祓い と霊術の違い ~生き物への霊的な処置
人の祓い と霊術(ペットも含む)
祓いとは簡単に言えば霊的な穢れを取り去ることです。私たちの日常で例えれば肉体の汚れをお風呂に入って落とすようなものです。
対して、霊術というのは肉体と重なっている幽体の強化を行ないます。具体的には幽体の栄養分ともいえる質の高い幽気を幽体が吸収したり、肉体を幽体を接着している間気という気を増やしたり、これらの気がある部位に偏らないように幽体内部を循環するようにしたりします。
これは人間でも他の動物でも同様です。犬や猫も肉体と幽体が重なっていますので、幽体の状態が悪くなれば、巡り巡って肉体に悪影響が出ることがあります。微生物といった特殊な生き物は別として、人間が飼っている動物については飼い主と同じ空間で生きているわけですので、定期的な祓いをできればそれに越したことはありません。
水波霊魂学でいう祓いとは、このように霊的な穢れを取り去るという目的で行ないます。対象は人間をはじめとする生命体、クルマやアクセサリーといった物品、生活空間(家、部屋、土地)など多岐にわたりますが、その方法はそれぞれ異なります。対象が異なれば祓いの方法が変わるのは当たり前のことで、人間とクルマの祓いが同じなわけがありません。
そして、水波霊魂学でいう霊術とは、霊的身体(幽体)を強化するための手法です。前述しましたように幽気と間気という気を補給したり強化したりします。その他にも不道徳な霊魂を排除したり、幽体の損傷を修復したり、霊力の強化など、こちらも多岐にわたります。そして当然のことながら、その一つ一つについて手法は異なります。
少なくとも、何が対象であってもまったく同じように、白い紙のついた棒をバサバサ振り回すだけの単純なものではありません。
祓いと霊術はこの世を生き抜くためにも役に立つ
祓いや霊術を行なう目的は、他界後に使用する幽体という霊的な身体を健全化することによって、死後に辛い思いをしないようにすることなのですが、この世にいる間は何の恩恵もないのかといえばそうではありません。
この世を生きる上で大切なことの一つは、心が潰れないようにすることです。どのように生きても苦悩や苦労は断続的にやってくるのが人生です。その時に心が潰れてしまっては困ります。
人間は表面の心だけでは生きていません。肉体に心があるように幽体にも心があります。そしてそれは別々に機能しています。表面の心は教育によって理性を身につけ、この世を上手く生きるためのさまざまな方法を学んでいきますが、肉体の陰に隠れている幽体の心はいわば放置されたままです。
そして、幽体の心の奥には過去にこの世に生まれて死んでいった過去の人生で経験したさまざまな心情が眠っています。これが何かのきっかけで騒ぎ出しだしますと、いずれ肉体の心にも影響を与えるようになります。
「むしゃくしゃしてました」、「なぜだか分かりませんがイライラしていました」
こういう理由で他人を傷つけたり殺めたりする人がいます。これらの人達の何割かは幽体の心が肉体の心に悪影響を与えたことが原因である可能性があります。
幽体の心がいくら騒いでもその内容は、肉体の心には分かりません。つまり、心の奥が何となくざわついたように思っていても、それが断続的なイライラに変化し、外部からの刺激によってそれが怒りや恨みに変化し、それが日常的になりますと理由は分かりませんが、心がむしゃくしゃする状況に変化していきます。
そうなりますと、何かのきっかけで心が爆発してしまいますと、思いもよらない行動をとってしまい、我に返った時には既に取り返しのつかないことになっています。
祓いや霊術を行なうことによって、霊的な穢れを落としたり、幽体を強化するための質の高い気(幽気)を幽体が吸収することにより、幽体の心理が安定していきます。そうなれば、幽体の心が原因で起こる悲劇を回避することが可能になります。
現代のように霊的環境が悪化している状況では、一人一人が正しい霊的知識を身につけて自己責任で対処せざるを得ない時代です。昔のように神社仏閣に通えば自然に質の高い気を吸収出来た時代はとっくに過ぎ去っています。
霊魂を信じない方や無神論の方には何を言っても通じませんので、こちらから何か言うことはないのですが、信じておられる方は正しい霊的知識を身につける努力をして頂きたいと切に願っています。