祈祷 、祈願という名の霊術について
祈祷 とは霊的な技術(霊術)の一種
祈祷(または祈願)といいますのはあらゆる宗教にみられる基本的な作法です。わが国でも古来から神社や寺で盛んに行われてきましたし、庶民の間でも祠やお地蔵様に対してごく普通に行われてきました。
もちろん、祈祷を行なって願いがすべて叶うということはありませんでしたが、病気の治療や雨乞いといった私たちの生活に直結し、かつ願いが叶わなければ困るといった種類のものに対しては、祈祷師といわれる『その道のプロ』が儀式を行っていました。
尤も、現代では医学の発達によって病気の治療の第一の選択肢に祈祷を選択する人はほとんどいなくなりました。同様に雨乞いをしている人も見かけなくなりました。個人レベルで祈祷に頼る方はおられるかもしれませんが、雨が降らないからといって税金を使って雨乞いするための祈祷師を雇う自治体など存在しません。
話が少し逸れましたが、祈祷師といわれる方はご本人はどう思っていたのかは知りませんが、自身の力で人の病気を治したり、雨を降らせたりしていたわけではありません。
水波霊魂学では祈祷という言葉は使用しませんが、これも広い意味で霊的な技術(霊術)の一種といえるでしょう。したがいまして、祈祷の内容が叶うか否かは祈祷をした人に霊魂を動かせる力があるのか否かということになります。
霊魂に動いてもらうための条件
祈祷師でも祈願師でも霊術師でも、呼び名はどうでもいいのですが、『その道のプロ』であるためには当然ながら実力がなければいけないのは当たり前のことです。
特別な練習なしに誰にでも行えるのなら、その分野にプロなど必要ありません。
医学的知識がないのに手術はできませんし、気象学の知識がないのに天気の予想はできないのと同様で、霊的な知識もないのに霊的な力を行使できるわけがありません。
霊的な力を行使できなければ何も起きません。そして何かを起こすためには霊魂に動いてもらうことが必要なのですが、以下に霊魂に動いてもらうための条件を書いてみます。
霊魂に情報を伝達できる能力を持っていること
霊的な分野でいいますと、霊魂は肉体の目や耳を持ってませんので地上の様子を正確に読み取ることができません。ましてや、霊的なレベルの高い霊魂は地上との霊的なレベルが違い過ぎて何が何だかほとんど分からないといっても過言ではありません。
したがいまして、プロの祈祷師に必要なのは、霊魂に願いの内容と正確に伝達できる人ということになります。そしてそのためには、正しい霊的な知識を知っていることが前提となります。
倫理観や道徳観を持っていること
いくら困っていることがあって、その原因を排除したいと必死で願っている人がいたとしても、願いの内容が「邪魔者を殺してほしい」とか、実力もないのに「東大に合格させてほしい」では困ります。
独りよがりな願いでないとしても、世の中には理不尽な理由で苦労している人もいます。そういう人に対しては何とか助けてあげたいと思うのは人情です。
しかしながら、正しい霊的知識を身につけて高貴な霊魂にたいして助力を願うのであれば、願いの内容が倫理道徳の観点からみてどうなのかを考慮する必要がありますし、神の前で自分は正しい霊術を行っていると誓えるかどうかを自問自答する必要もあるでしょう。
正しい霊術は高貴な霊魂に助力を願うことが前提です。不道徳な霊魂に助力を願うのであればそれは正しい霊術者ではありませんし、祈祷でも祈願でもなくただの呪いに成り果てるということを知っていなければなりません。
手軽にできる反面、危険も大きい
前述しましたように、祈るという行為は誰にでも簡単にできます。しかし、簡単にできるからといって安全とはいえないところに霊的世界の厳しさがあります。
祈るという行為は、幽体から念が出ますので、自身の霊的身体のレベルに応じた霊魂にしか届くことはありません。仮に神社に行って祈願をしたとしても、神様に願いが届くことはありません。
願いが届かなければ何も起こらないだけですので、そこで終われば賽銭代が無駄になるだけで済むでしょうが、願いの内容がたまたま近くにいた霊魂に届いてしまった場合、その霊魂が願いを叶えてやろうと動き出すと話がややこしくなります。
霊的な修行を何もしていない人は霊的な身体が発達しているわけがありません。これは野球でもサッカーでも会社の仕事と同じです。素人が熟練者と同じことができるわけがありません。
このことを分かっていない人が多すぎて困るのですが、そういう人に限って神社仏閣や最近ではパワースポットといわれる場所にわざわざ足繁く通って、願いという名の「念」を出しまくっています。
念は霊魂に届くことがあります。ターミナル駅や繁華街にタクシーが客待ちするのは需要があるからですが、神社仏閣やパワースポットにも客待ちをしている霊魂がいます。もちろん、タクシーの運転手さんを悪く言っているのではありません。私が言いたいのは需要がある場所には、それを利用したい者が集まるということです。
霊的な修行や知識を学んだことがない人は、神はおろか高貴な霊魂に繋がることなど不可能です。高貴な霊魂は『高慢』を最も嫌います。自分のことを神は見てくれているとか願いは神に届いているなどと本気で思っていますと、『高慢』だと思われて見向きもされないだけではなく、自称神様を騙る不道徳な霊魂に干渉されるのがオチなのです。