皆が 欲望 を捨てると社会が崩壊する
平和を求め、そして争う
総務省統計局が発表した人口推計(平成28年11月1日現在の概算値)によりますと、我が国の総人口は1億2695万人だそうです。
今後は少子高齢化によって人口は減っていくそうですが、それでも今現在、これだけ多数の人が我が国で暮らしています。
我が国では先の大戦以降、約70年間にわたり戦争がありませんでしたが、これは「他国の人に一度にたくさん殺されることがなかった」だけで、テレビのニュースを見れば毎日のように誰かが殺されたり傷つけられたりしています。
人間は戦争に懲りているはずなのに、平和が大切なはずなのに、争いをやめることはありません。
なぜなら、人間は食べないと生きていけないからです。
「食べること」が 欲望 の根幹
私たちは世界的に見ても、食物にかなり恵まれている地域に住んでいますので、「食べるため」と言われてもあまりピンとこない方もおられるかもしれませんが、生物は食べないと生きていけないのは当たり前のことですので、人間の欲望は食べるということが根幹にあります。
最近は地方格差が叫ばれていますが、かといって「食べられないから1日1食にしています」という地域はさすがに見当たりません。
仮に我が国の中で、ある地域は1日3食の食事量が確保できるけれども、ある地域は1日1食の食事量しか確保できないような事態が生まれたとしたら、いかに平和を愛する民族であったとして紛争が起こるでしょう。
自分は1日1食なのに、1日3食の食事をしている人に対して何も思わないわけがありません。
いったん争いが起これば、人々は互いに対立し互いに傷つきます。
そして、争いには勝ち負けがありますので、負けたほうは勝ったほうを恨みます。
人類はこういった争いを幾度となく繰り返してきました。
我が国は他国と比べて平和なのは確かだと思いますが、かといってどれだけの人々がこの国の現状に満足しているのでしょうか。
有限な物を無限に求める
この国は食料に関しては、だいたい行き渡っていると思われますので、食料の奪い合いは起こりませんが、「あいつより大きい家に住みたい」「あいつよりいいクルマに乗りたい」「こいつらよりもきれいなものを身につけたい」と他の欲望を追っています。
欲望を追求すれば、必ず争いが生まれます。
米や麦や魚や牛は、無限ではありません。
同様に、石油も水もそうですし、身近なところで言えば、保育園の入園枠も大学の入学枠も課長のイスの数も無限ではありません。
物というものは常に有限です。
それに対して、人の欲望は無限なのです。
無限の欲望を持つ人間という生命体が、有限である物を求めれば争いが起きて当たり前といえば当たり前なのです。
欲望がなくなると社会が崩壊する
さて、人の欲望は無限なのですが、だからといってこれを「善悪という基準」で計るべきではありません。
なぜなら、無限の欲望があればこそ人間社会は発展してきたわけですし、「もっと便利に」「もっと良いものを」という気持ちがありませんと、社会は逆に停滞してしまいます。
「あいつが自分より大きな家を買った」から、あいつより大きい家を買えるように頑張るわけです。
「あいつが先に課長になった」から、今度は自分が先に部長になろうと頑張るわけです。
人権思想において人は生まれながらにして自由かつ平等であることが前提なのは当然なのですが、あまりに簡単に欲望というものが公平・平等に実現してしまいますと、人は誰も競争しなくなってしまいます。
仮にこの国の国民全員が、「家なんて雨風凌げればそれでいいです。必要最小限のメンテナンスでこのままこの家に住み続けます。」といえば、住宅を作っている会社の半分以上は倒産することでしょう。
「食べ物もとりあえず食べられたらそれでいいし産地とか味付けとかそんなに気にしません。」という社会になれば高級レストランは軒並み閉店になってしまいます。
人から欲望が消えてしまえば、一時的に争いは少なくなるかもしれませんが、会社が倒産して失業者が溢れ、ご飯が食べられない人がたくさん現れることによって、社会が崩壊してしまいますし、食べ物を求めるという欲望を満たすために結局は争いが起こってしまうことになります。
欲望とうまくつきあう
現代のように社会構造が複雑になり、さらに人々の価値観が多様化することによって、私たちは2000年前の人たちと同じようには生きられなくなりました。
今の社会は、人々の欲望を満たすために作られています。
生産者が何かを作り、それを誰かが売って、それを欲しい人が手に入れることができるようにこの社会はできあがっています。
欲しい人が少なくなれば生産量も減りますが、同時に技術面から見た生産力も落ちていきます。
その結果、同じものを生産している他国に競争で負けることになり、この国は貧乏になっていきます。
人の欲望は、争いの元になる困った面もありますが、これを無視したり軽く見たりしますと社会全体が壊れてしまうことに気が付いていないといけません。
最近は、「断捨離」を実践される方が増えているそうですが、少なくとも21世紀の日本社会において断捨離ができるのは、他の人が断捨離していないからです。
ちなみに私は断捨離そのものを批判しているわけではありませんし、必要のないものをわざわざ買う必要はないと思っています。
しかしながら、何事も極端に走らずに、ほどほどが大切ではないかなと思っているだけです。
自分の欲望を極端に抑え込んだり軽く見たりせずに、自分の心を客観的に観察することによって、本当の意味で何が必要で何が不要かを冷静に判断していくことが大切です。