この世知辛い世の中を生き抜くために
鶏が先か、卵が先か
物事には原因と結果がありますが、それが科学で証明できない分野であれば、あたかも哲学的な問題として語られることとなります。
霊的世界を語る上で、「この世が先かあの世が先か」ということで言えば、大多数の人はあの世のことを死後の世界と呼んでいますので、この世が先であの世が後だと認識しています。
しかし、水波霊魂学の立場は、世間の認識とは正反対です。つまり、「あの世が先でこの世が後」です。
具体的なことは過去の記事にも書きましたので割愛しますが、私たちがあの世とか死後の世界と呼んでいる場所のことを水波霊魂学では幽質の世界と呼んでいます。
対して、私たちの住む世界は物質の世界なのですが、これは幽質の世界が出来たあとに作られた場所です。そこから気の遠くなるような時間をかけて地球上にホモサピエンスと呼ばれる高い知性を持つ動物が出現し、その身体に幽質の世界から霊魂が侵入したのが最初です。
なぜ肉体に霊魂が侵入することになったのかは、これまた別の記事に書いていますので割愛しますが、要は自由すぎる幽質の世界に飽きて不自由を求めたことが一つの原因です。
ざっくり言いますと、霊魂は死にません。しかし、肉体は必ず死にます。霊魂は食事も睡眠も不要ですが肉体はこれがないと生きていけません。
更に言えば、現代のように快適に暮らそうと思えば、お金を稼ぐために身を粉にして働く必要がありますし、家族も養わなければなりません。国家や職場、家を買えば地域社会に縛られ、好き勝手に移動することもできません。
最初に地上に下りた霊魂は、不自由を求めました。そして肉体が死を迎えて再び幽質の世界に帰ってそれで終わりならばただの冒険で済んだのかもしれませんが、現実は地上の男女が生殖行為を行なうたびに、幽質の世界の霊魂の一部が地上に再生することになりました。
これを繰り返しているのが、私たち人類です。
肉体としての人間も親、祖父母、曾祖父母と遡ることができます。これは肉体としての先祖となりますが、同じように霊魂としての人間も遡ることができるわけです。もちろん、家系図のようなものはありませんので実質的には不可能ですが。
何でこの世に生まれて来たのかとか、私はこの世に生まれることを望んではいないとか思われる方もおられるかもしれませんが、私たちは全員、最初に人間に侵入した霊魂から分化した存在ですので、残念ながら、神様から「あなたがたが望んだことだ」と言われれば反論の余地はありません。
この 世知辛い 世の中は『苦悩が前提の場所』だということ
霊的なことが少しずつ分かれば、この世で苦労が何一つない人生を送ることは不可能に近いということを理解することができます。
苦しみや悲しみは、運の悪い人にだけ起こる突発的な出来事ではなく、それが大前提だということです。
しかし、いくら苦悩や悲しみが大前提であったとしても程度があります。それによって心が潰れてしまったり、命を絶ってしまいたいくらいの重いものは、避けられるのであれば避けるべきですし、どうして避けられないものであっても何とかして立ち直ることを考えるしかありません。
ただ、苦しみや悲しみ、そして恐怖といった心理は、重度になればなるほど絶望に繋がることが多く、結果として自ら命を絶つ事態に陥る恐れが強いので注意が必要です。
これらの『死に直結する心理』は、その多くが幽体の意識が影響を与えていることが多いようです。肉体の脳は少々の困難であれば、時間が薬となって心理的な防衛を図ることができても、心の奥にある幽体の意識はいったん蘇ってしまえば、霊的な対策をしない限りどんどん膨れ上がっていきます。
腹の底から突き上げるような強い心情は、肉体の脳がきちんと機能していれば理性の力で抑制することができるかもしれませんが、酒に酔ったり、ボーっとしていたりして表面の心の意識レベルが低下していたり、心の奥の心情そのものが大きくなりすぎますと、ちょっとしたことで一気に爆発することになります。
爆発の仕方はもちろん人によって異なります。なぜなら、肉体と重なっている幽体は何回もこの世に生まれては死ぬを繰り返していますが、その過程においてどのような経験をして何を感じたのかは人によって異なるからです。
本来ならば、幽体の状態が良くなれば幽体の心も安定しますので、心の奥が騒いだために起こる悲劇は防ぐことができるのですが、現代は霊的なことを否定する人が大半ですので、結局はさまざまなきっかけで心の奥に眠っている心情が蘇って、それによってどのように人生が転がっていくのかはまさに運まかせといった状態です。
この世は苦しみや悲しみを経験して当たり前の場所です。それを前提として、どのように生きるのかが問題です。
心の奥に湧き上がった激情を理性で抑え続けても苦しいだけです。仮に何十年抑え続けたことが出来たとしても、肉体の脳はいずれ機能が衰えます。そうなれば理性の力も弱まり、ちょっとしたことで感情が大爆発してしまうことになります。
昨今は、いわゆる暴走老人と言われる方が増えているようですが、これは霊的な側面で見ても興味深い問題であると思われます。
もちろん、肉体の機能に何らかの異常があってそれが原因で暴走する人もいるかもしれませんが、これまで理性で抑えに抑えてきた心の奥の激情が、抑えきれなくなったことも原因の一つかもしれません。
いずれにしましても、この世は苦しみや悲しみといったトラブルは付きものですので、肉体は常にストレスを受けて当たり前なのですが、それだけではなく外部からの刺激が心の奥に眠っているかもしれない『死に直結する心理』や『人生を破滅させるような心理』を蘇らせてしまう危険があるということを知っていただきたいと思います。
その上で、「最近なぜかわからないがイライラする」とか、言いたいことややりたいことを我慢し続けている場合は、それが霊的な原因の場合、早急に対策をしなければ悲劇的な結末を迎えることになるかもしれません。
すべての解決をスピリチュアルに求めない
この世で重い苦悩を抱えている人は、スピリチュアル系に間違った頼り方をして失敗することがままあります。
これは自己分析とか現状分析が出来ていないことに起因します。
自分が置かれている状況を冷静に分析して、どのような時に感情が動くのか、誰に対してどのような感情を抱くのか、そしてそれはなぜなのかといったことをまずは冷静に分析することが大切です。
その上で、人間関係が原因ならば、うまくやるためにできることは何か、もしもそれができないのならばその関係を疎遠にすることができるか、ばっさり断ち切ることができるかといったことを考えるべきですし、心理的な問題が肉体の健康に悪影響を与えているのであれば、まずは病院に行くべきなのです。
理想なのは、これと並行して霊的な原因がないかを調べて対策を打つということです。
なんでもかんでもスピリチュアルで解決できるという幻想を抱きますと、必ず道を踏み外します。
いくら愛の心があってもインフルエンザウイルスは避けてくれません。インフルエンザに罹ったら病院に行くのが正解なのです。
魔法のようにすべての問題が解決する方法などありません。この世を生きるということは苦労の連続だという前提を持って、過度に自己を否定したり逆に増長することもなく、心に柔軟性を持って凝り固まらないようにすれば、この世知辛い世の中も少しは楽に生きることができるかもしれません。