SMAPさんの解散について思うこと
みなさんご存知の通り、SMAPさんが、先日(8月14日)に今年いっぱいで解散することを発表しました。
私は、彼らの熱心なファンというわけではありませんが、以前よりテレビ番組などで5人が揃う姿を拝見していますと、何か番組自体が一段引き締まると言いますか、豪華になると言いますか、そういう意味でSMAPさんは一流のエンターテイナーであると感じていましたので、今回の解散という結果についてはとても残念に思っています。
今般の解散についての一連の報道を見ましてもその衝撃の大きさが伝わってくるのですが、仕方ないのかもしれませんが「誰が悪いのか」とか「解散の原因は何か」という話題ばかりに終始している感があります。
ということで、ここではこの問題を別の観点から考えてみたいと思います。
人の心は多面的である
さて、心に思い描いていたことが現実になった時、それを喜んだり満足することができるかどうか?
それはなかなか簡単ではないと思います。
もし仮に、人間関係のトラブルがあったとします。
「もうあいつとは一緒にやれない!辞めてしまいたい!」という気持ちが心に浮かび、それがどんどん大きくなってきたとします。
ただ、人の心は一面的なものではなく多面的なものですので、「本当は辞めたくない」という別の心が存在するかもしれません。
つまり心が揺れている状態です。
このような時に、「じゃあ、辞めましょう」ということで、辞めることが既成事実化してしまったとします。
これは恐らく心理的に困ったことになります。
なぜなら、辞めたいと思った心は満足しているかもしれませんが、辞めたくないと思っていた別の心は激しく反発することになるからです。
これはSMAPさんがそうだと言っているのではなく、じつは誰の心にでも起こり得ることです。
仮に、一時の激情で動いてしまった結果、ある事柄が既成事実になってしまいました。
激情の部分は、思いが叶ったのですからおとなしくなりますが、今度はその裏に隠れていた別の心が騒ぎ出します。
人間の心は複雑です。
何か一つ行動するのにも、それに賛成する心と反対する心は常に同居していると考えた方がいいのかもしれません。
感情とプライドが正しい判断の邪魔をする
何かしらのトラブルを抱えた時に、仮に湧いてくる怒りが抑えられないような状態になった場合、理性的な判断を下すことは著しく困難になります。
これらを上手くコントロールできれば大事には至らないことでも、大抵の人はそれができませんので、結果として仕事や大切な人を失うことになってしまいます。
やはり、ここで大事なことは、理性的な判断ができるだけのメンタルが残っているのか否かということになります。
怒りやその他のいわゆる激情に支配されている場合、医学的には病気ではなくても理性的な判断が下せないと思われる時点で、心理の専門家に頼って欲しいのです。
友達や家族に相談することはできますが、それはあくまで人生相談の範疇であって、カウンセリングではありませんし、守秘義務といった倫理に縛られているわけでもありません。
カウンセラーと言われる専門家は、相談者に対してあれこれアドバイスする存在ではありません。
しかし、カウンセリングを通して、相談者自らが自分を変えていくことができます。
もしも、メンタルの問題があるのでしたら、理性的な判断を下せる段階に自己を戻していくしかありません。
謝ったら済むことなのに、話し合いの中で自分の気持ちと相手の気持ちを理解できれば解決するかもしれないのに、プライドや感情が邪魔をしてそれができない。
それができなければ、結果は壊れるだけです。
もちろんこれは、SMAPさんがそうだといっているわけではなく、誰にでも当てはまることです。
いちばん大切なもの
トラブルに見舞われたときに大切なことは、いったん落ち着いて自分を見つめ直すことです。
間違っても、善悪に支配されてはいけません。
人は誰でも自分が正しいと思っています。物事の正誤や善悪は常に自分の目線から見た結果であるということを冷静に考えてみることです。
当然、感情もプライドも大切ですが、それ以上に大切なものが私にはあるのではないかという視点が大切です。
今回の記事はSMAPさんのことを書いていますので、このことを当てはめてみますと、
自分自身を見つめなおした結果、プライドや感情よりもSMAPが大切ならば、「赦す」しかありません。わだかまりを残したまま物事を継続しても爆発する時を先延ばししているだけです。
それがどうしてもできなければ「忘れる」しかありません。これは主に自身のメンタルのためです。心が壊れてしまっては困るからです。
いずれの道を選んでも、起こってしまったことをあれこれ考え続けても仕方がないということです。
今回、SMAPさんは解散という道を選択しました。
この結論が、「私にはSMAPよりも大切なものがある」という理性的な判断から下されたのであれば、私たちは彼らの決断を尊重し、彼らの今後の活躍を祈るしかありません。