死を迎える時 ~肉体の脳で考えると間違える

死を迎える時

 

 

『 死を迎える時 』に大切なこと

 

人は誰でも必ず「死」を迎えます。これは何人も抗うことができない法則です。

 

ただ、霊的な側面で言えば、肉体の死とは物質の世界を卒業して幽質の世界に移るだけのことなのですが、肉体の意識からみれば、それは自分自身が消滅するという恐怖でしかありませんので、死期を覚った時に正しい霊的な知識を持っていませんと、肉体の意識を必要以上に混乱させてしまうことになります。

 

私は水波霊魂学を学んでいる者ではありますが、それでも自分の死を意識した時に心理的に平静でいられるかどうかは分かりません。例え話で言いますと、誰も来ないような山の中に放置されている出口の見えないトンネルがあったとして、そこに「ひとりぼっちで入れ」と言われるようなもので、当然ながら気持ち悪いですし、不安や恐怖を抱くと思います。

 

しかし、私はトンネルの先に何があるのかを学んでいます。そして、出口の見えないトンネルに入らなければならない時はいつかはやってきますが、それは無神論者や信仰心のない人が抱くような自分が消滅するという種類の恐怖ではないことは確かです。

 

誰でも肉体の死は怖くて当たり前なのですが、無用に心理的混乱を起こしますと他界後に苦労することもありますので、できるだけ混乱は最小限にしたいのですがその際に大切なことがあります。

 

それは、この世にいる間に霊的な真実を見抜く力を養うということです。

 

 

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肉体の脳は『 霊的な真実 』を知ることはできない

 

 

「霊的な真実」とは、言葉にすればたった一言で済むのですが、これを養うことは並大抵なことではありません。当然ながら、私もできていません。

 

この世の価値と霊的な価値はイコールではありません。しかし、肉体の脳はそれを全くと言っていいほど理解できていません。

 

どうしてかと言いますと、この世の価値のある物とは何かといえば、それはたいていの場合、経済的な価値が高いものを指します。例えば、200万円のクルマよりも2000万円のクルマのほうが価値ある物ですし、ガラス玉と天然の水晶玉では水晶玉のほうが価値が高いわけです。

 

高そうな服やアクセサリーを身につけている人を見れば人生の成功者のように感じますし、炊き出しの列に並んでいる人を見れば人生の失敗者のように感じます。

 

肉体の脳が抱く価値観とは、しょせんこの程度のものなのです。

 

仮にガラス玉と天然の水晶玉があって、霊的に高い気がガラス玉に下りているのであれば、ガラス玉のほうが霊的に価値がある物品になります。

 

何か祈念したいことがあったとして、綺麗で立派な神社と崩れかけた小屋のようなボロボロの神社があったとして、どちらに参拝に行くのかといえば、大抵の人は前者を選びます。何か霊的な相談をしたいことがあって、片方は立派な装束を着てキンキラキンの宝飾を身につけて如何にも立派な先生に見える人で、もう片方はTシャツにジーパン、履きものはトイレ掃除に使うようなサンダルだった時、お金を払ってまで後者に相談する人など誰もいません。

 

それでも霊的に高い気を下ろせるのがTシャツの人ならば、そちらを選ばなくては失敗します。

 

 

物に拘っては間違い、問題は霊的に価値があるのか否か

 

肉体の脳は、見た目で判断してしまいます。これは性質ですので仕方がありません。美しいと思えるものやきちんとしているものに価値を感じることは間違いではありませんが、そこだけに囚われてしまいますと、日常生活では役に立っても「死」という非日常な場面に直面した時に困ったことになる恐れがあります。

 

非日常なこと、常識的に解決困難な場面に直面した時に、肉体の脳は大きく混乱します。これまでの経験則やいろいろな情報を頼りに何とかならないかと考えますが、「死」のような類いの問題はそもそも解決できないのです。そして、いくら考えても無理だと覚った時に普段では考えられないような行動をとってしまうことがあります。

 

「助かりたい」の一心で、詐欺的なものに騙されたりするのがその典型例なのですが、騙されても騙されても肉体の脳は価値のあるものを見抜くことはありません。

 

現実的には、死ぬ間際になってから大騒ぎしても手遅れの場合がほとんどなのですが、それでも先ほどの例で言えば、霊的に何の価値もない高価な水晶玉を置くくらいなら、高い気が下りているガラス玉を置いたほうが良いに決まっています。

 

物はしょせん物にすぎません。問題は霊的に価値があるか否かです。経済的価値がないガラス玉であっても、そこに霊的に高い気が下りていていればそこから気を受け取れる可能性があるわけです。

 

霊的に高い気が下りているガラス玉を身につけていれば霊的に良い効果が期待できますが、反対に低い気を引き寄せてしまうダイヤの指輪を身につけていると困ったことが起こる可能性があります。

 

霊的な本質を見抜くことは肉体の脳にはできません。それができるのは霊的な身体のみですが、残念ながら霊的な身体も高い気に感応できるくらいに成長していませんと、それを感じることができません。しかも、たとえ感じられたとしても心の奥に隠れているわけですから、それを肉体の意識(表面の心)が感知することは非常に難しいと言わざるを得ません。

 

霊的な真実は直感を磨くことが大切なのですが、ここで言う直感とは簡単に言えば「成長した霊的身体が発する思い」のことです。肉体の脳がこれまでの経験則から導きだした、いわゆるピンと来たといった種類のものではありません。

 

霊的な真実とは、肉体の脳では決して理解できるものではないのですから、本屋やネットでいくら知識を得ようとしても無駄であるということを知ることが大切です。

 

霊的な世界の法則は、物質世界の法則とはまったく関係なく存在しているわけですから、肉体の脳でいくら考えても仕方がないのです。そのことを分かっていないから詐欺的なものに騙されてしまうのです。

 

もしも、科学で解明できない分野を知りたいのであれば、見た目や経験則で判断してはいけないということを理解することが、霊的に進歩するための前提なのです。