人生は修行 という言葉のデタラメさについて
人生は修行 ではないし、特別な理由で生まれたわけでもない
今回のタイトルはいささか誤解を招く恐れがあると思われますので、まず最初に説明します。
修行というのは一般的には学問や芸術などに励んで腕を磨いていくことを指すのですが、今回テーマとしたいのはこの意味ではなく、この世に生まれてきた理由を「人生の修行」とか「魂の修行」のためということについてです。
結論から書きますと、人は修行をするためにこの世に生まれてきたのではありません。
前回のブログで書きましたように、人が生まれるのは男女が生殖行為をして受精したからであって、それ以上の理由はありません。
仮に神様や仏様がいたとしても、地上の男女の生殖行為を把握しているわけがありませんので、人が生まれるということについては、地上の人間が選択権を持っているということになります。
<前回の記事>
苦しむ為に生まれてくるわけがない
さて、子どもが生まれました。
ある子どもは戦乱の絶えない地域に生まれたために、常に空爆やテロに怯える生活をしています。
ある子どもは出産の時に母親を亡くしてしまいました。
ある子どもは親から虐待されています。
爆弾が落ちてくることや、自分が生まれたために母親が死んでしまったのではないかと苦悩したり、ましてや虐待されることが、修行であるわけがありません。
仮にある人が悩み事を抱えて苦労していたとします。そんな人に向かって「これも修行だよ」という人は、苦悩している人のことをどれだけ理解しているのでしょうか。
この世に何十年も生きているのならば、この世に修行しに生まれてきたなどと馬鹿げたことを言う前に、彼らの苦悩を考えてみるべきなのです。
たとえこの言葉を権威ある人が言ったとしても、またはこれを美しい言葉と感じたとしても、それに騙されてはいけませんし、霊魂や死後の世界を否定する人が言うのであれば、もはや妄想の類だと言わざるを得ません。
人の誕生は地上の男女が主導権を握っています。
そこに神様や仏様の意思などありませんし、キリストのような特別な魂でもない一般人に生まれた後の役割や目標など与えられているわけがありません。
神様や仏様からみれば、人は勝手に生まれて勝手に死んでいっているのです。
よって、人は修行を行うためにこの世に生まれてきたのではありませんし、今、抱えている苦悩が、修行になることはほとんどありません。
そんな言葉に騙されて、苦悩を一人で抱え込んで心が潰れてしまう前に、適切な支援(家族や友人、心理的な相談や医師による診察)を受けることを考えていただきたいと思います。