自分は利他的だと勘違いしてはいけない

利他的

 

利他的とは

 

前回、人間は利己的であると書きました。

 

たとえ自分の行動が利己的であったとしても、そこに善も悪もありません。なぜなら、自分が一番大切なのは人間が本来持っている性質だからです。

 

もちろん、すべての人が常に自己の利益だけを追求して、他人を蹴落としているわけではありません。

 

自分の利益を犠牲にして他人の利益を優先しようと行動する場合があります。

 

これを利他的な行動と言います。

 

ボランティア活動や寄付といった行動はとても素晴らしい利他的な行動であると思います。

 

仮にその行為が、「自分の評判を良くしたい」という動機であったとしても、それが自己満足の範囲にとどまるのであれば、それによって他者が助かるのですから、それはそれで良いと思います。

 

しかし、この行為を他人に押し付けたりすると問題になります。

例えば、自己啓発やスピリチュアル系の一部の方が、目標実現のためとか幸せのためとか、そういう類いの理由で利他的行動を説いておられます。

はっきり言って、これは害毒でしかありません。

 

 

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自分は利他的だと思い込むのは錯覚にすぎない

 

なぜならば、前回の記事に書いた通り、人間の本質は『利己的』であり、利他的行動は人間の一つの側面にすぎないからです。利他的行動をしない人は存在するかもしれませんが『利己的』でない人は存在しません。

 

いくら利他的行動を行っても、自分の中にある『利己的』な部分は決して消えることはありません。

 

利他的行動ができるのは、自分に余裕がある範囲に限られます。

 

1億円を寄付する方はそれができる余裕があるからです。年収500万円の人が毎年400万円寄付したら家族が暮らせなくなってしまいます。

 

仮に本気で利他的な人を標榜するのなら、進学先も就職先も人気の商品を買うのも、何から何まで他人に譲らないといけないのです。そんなことができる人はいません。

 

したがいまして、私たちは人間の持つ利己的な本質を知ってそれについて反省し、一歩でも前進するという生き方を地道に続けていくしかありません。

さらに言えば、人は誰でも利己的ですので、いつまで経っても「未熟者」なのです。

 

それを知らないで、少しばかりの利他的行為を行って自分は愛の人などと錯覚しますと、一回限りのこの世での人生を失敗してしまうことになりかねません。