足を引っ張られる前に 考えておくこと

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以前、足を引っ張る人の心理という内容の記事を書きました。この世の中は受験も出世もみんな競争ですので、誰かかから足を引っ張られる可能性は常に考えておかなければなりません。
今回の記事は、足を引っ張られる側になったときに考えておくべきことを書いていきます。なお、この記事でいう「足を引っ張る人」とは、他人の成功や前進を意図的に妨げる人のことです。

 

<関連記事:足を引っ張る人の心理とは>

 

 

罠に嵌ってしまったらもはや手遅れ

 

まずは以下の例をご覧ください。

 

『あなたはある運動会のパン食い競走に出場したとします。走るコースをくじを引いて決め、競走が始まりましたがあなたのコースのパンと洗濯ばさみは接着剤でくっついていました。あなたは気づかずにパンをくわえて四苦八苦しましたがパンが外れることはなく結局ビリになってしまいました。』

 

この例ではあなたを嵌めようとしている誰かがいるのは確かなのですが、それを特定することは困難です。

 

そもそも、あなたが洗濯ばさみとパンが接着剤でくっ付いていることに気づけるかどうかが問題となります。気づけなければ、ふつうに「負けた」として処理されて終わりです。

 

仮に、あなたが細工に気が付いた場合はどうでしょうか。
抗議すれば、もしかしたら判定は覆るかもしれません。ただし、「今回のレースに限っては」です。
走るコースをくじで決めたのにもかかわらず、あなたが走ったコースのパンに細工がされていたのなら、くじ引きそのものが罠だということです。
決まったコースを走らせるためにくじに細工をして、パンが取れないようにさらに細工をしてあなたが必ず負けるように仕向けている誰かがいるわけです。

 

さて、ここで問題です。
「あなたに罠を仕掛けたのは誰でしょう?」

 

洗濯ばさみとパンを細工されていたことで、あなたの足を引っ張ろうとする人をはじめて知ったのに、どうやって犯人を見つけますか?
さらに言えば、あなたは抗議して運動会の進行を止めることはできません。次の種目に出る人がゲートの前にすでに集まっています。時間はありません。あまりに騒ぎすぎると周囲の目も冷たくなってくるかもしれません。

 

 

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足を引っ張る人から見れば、あなたはただの邪魔者

 

洗濯ばさみとパンが接着剤でくっ付いているのなら分かりやすいのですが、実際の人間関係でこんなに単純明快なことはまずありません。
特に何らかの競争の場に身を置いている人の場合は、相手の仕掛ける罠もはるかに巧妙です。

 

仮にあなたの足を引っ張った人を特定できてペナルティを与えることができたとしても、その人はいわば刺客にすぎず本当の黒幕が別に居たとしたら、あなたが負けるまで別の刺客がやってくることになります。

 

あなたが刺客その人には何の恨みがなかったとしても、刺客は親分の邪魔者であるあなたを恨んでいるかもしれません。

 

何かしらの競争をしている立場の人が考えないといけないことは、自分は正しいと思っているのと同様に相手も自分が正しいと思っているということです。人は自分の目線からしか物事を判断できませんし、自分の欲望を満たすために行動しています。同じ環境にいたとしても自分が見ている景色と相手が見ている景色が同じとは限らないのです。

 

したがいまして、自分から見れば相手は私の足を引っ張る悪い人かもしれませんが、相手からみればあなたはただの邪魔者であり、「それを排除して何が悪い?」と思っているかもしれません。

 

 

足を引っ張られる前に 知っておくべきこと

 

人は誰でも足を引っ張られる可能性も引っ張る可能性もあります。意図的に他人の足を引っ張ることもたいていは大義名分があり正義の名のもとに行なわれることが多いのです。したがいまして、足を引っ張られることは避けたいですし精神的ダメージも大きいですので、足を引っ張る人はいますよ、ということを前提に以下の点を生きていたほうが精神衛生上にも良いのではないかと思います。

 

足を引っ張る人は必ずいる

競争社会に身を置く以上、正々堂々と実力で勝負すると思っている人もいれば、どんな手段を使っても勝てれば良いと思っている人もいます。したがいまして、自分の周囲には足を引っ張る人がいて当たり前だと知っておくことです。

 

そして、常日頃から自分に対する現状を冷静に分析する習慣を身につけておくとよいと思います。例えば自分の持っているスキルは何か(世間で通用するものか否か、何が足りないか等)、生活する上での優先順位は何か(今の会社で働き続けることに拘るか否か、仕事優先か家族優先か等)を考えていくことが大切です。

 

足を引っ張る人を見つけようとか、予防しようと思っても、人は他人の心を知ることはできません。他人のことをあれこれ考えるよりも自分自身を見つめることを優先したほうが建設的です。

 

心が折れてしまわないようにする

足を引っ張られた結果、出世競争に負けてしまったり閑職に追いやられたりすると誰でもショックを受けて当然なのですが、ここで自暴自棄になりますとたった一度の人生を棒に振ってしまいかねません。

 

関連記事でも触れましたが、足を引っ張られるということはあなたが相手から見て強い存在だということです。
前述したように、自分に対する現状分析ができていれば少なくとも自暴自棄になって破滅的行動をとる可能性は低くなりますし、心が折れないように注意していればもともと力があるのですからやり直しはいくらでも可能です。

 

自分を嵌めた人を恨むのはある程度は仕方がありませんが、その感情に支配されるのはやめておくべきです。憎しみを原動力にして這い上がった人が最後に恨みを晴らすといった筋書きは確かに痛快ですが、恨みや憎しみという強い心情は、それを抱く人の心身をも蝕むものです。できることならば、強い心情に引きずられることなく現状分析に沿った冷静な行動が望ましいです。

 

孤立しない

学生時代の友人とずっと仲良くするのはとても素晴らしいことですが、「私には学生時代の友達がいるから会社に友達は要らない」というのは考えものです。

 

なぜなら、こちらが親しくするつもりがないと考えてそのように行動していれば、周囲の人もあなたと親しくする必要がないからです。組織で孤立するということは、いざという時に助けてくれる人がいないということです。

 

とはいえ、会社の帰りに毎晩同僚や上司のお付き合いをするのは大変です。そこまで自分を殺す必要はありませんが、お誘いがあれば3回に1回くらいはお付き合いするくらいの譲歩は必要です。

 

これは、自分という存在を相手に知ってもらう手段でもあります。「居るのか居ないのかわからない存在」では、その組織にとっても重要な人ではないという評価になってしまいます。

 

「足を引っ張る」場面は、何も社長のイスを争うような時にだけ起こるのではありません。人の価値を知らない会社は安易にリストラに走ります。その際に真っ先にターゲットになるのは、「周囲に迷惑をかけている人」かもしれませんが、「居ても居なくても困らない人」と思われることも同じくらい危険なのです。

 

自分の所属する部署の人となるべく良好な関係を保つ努力は欠かせませんし、できれば他の部署にも親しい人を作る努力をすることも大切です。そして、「自分の存在感を周囲に示す」ということも併せて行うことです。「何を考えている人」よりもどんなことでもいいので、あの人はこういう趣味があるとかこういう特技があるということを知ってもらうことは、存在感を示すことに繋がります。

 

 

まとめ

 

足を引っ張られることはショックなことですし、それが思ってもいない人からの仕打ちだった場合、本当に心が折れてしまいそうになります。しかし、それを支えられるのは自分自身しかいません。競争しているのだから足を引っ張る人がいても当然ですし、仮にそうなっても私にはこういう行動がとれるというようにあらかじめ考えておくことが、心が折れてしまうという最悪の事態が避けられる最も大切なことなのです。

 

といいましても、そのような態度を一朝一夕で身につけることは無理ですので、常日頃から意識して訓練することが必要です。

 

「自分が人生を送るうえで大切なものは何か」

 

自分なりの優先順位を意識することで、たとえ困難が起こったとしても起こったなりに優先順位を意識した行動ができるようにすることが最善です。