足を引っ張る人 の心理とは?

足を引っ張る人

なぜ他人の 足を引っ張る人 がいるのか

 

「足を引っ張る」を辞書で調べますと、2つの意味があります。

 

足を引っ張る

 

他人の成功や前進を意図的に妨げる。また、ある行為が進行の妨げとなる。

<引用元:明鏡国語辞典より>

 

私たちは何らかの地域コミュニティに属しています。会社も学校も町内会も一つのコミュニティであり、そこには集団が存在します。

 

その集団(組織)の中で、足を引っ張る人というのは、辞書にあるような意味であれば、

  • 実力不足によってチーム全体の進行の妨げとなる人
  • 意図的に他人の成功や前進を妨げる人

ということになります。

 

今回のテーマは、後者の「意図的に」あるいは「悪意を持って」、他人の足を引っ張る人についてです。

 

 

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あなたが誰かの足を引っ張るとしたらどんな人を選びますか?

 

さて、仮にあなたが誰かの足を引っ張るとするのなら、どんな人を選ぶでしょうか?

 

病気で寝込んでいる人を選びますか?

 

不幸に見舞われてふさぎ込んでいる人を選びますか?

 

もしも特定の人物(ターゲット)がいるのでしたら、病気であろうが不幸であろうが、確実にとどめを刺すということで容赦しないこともあるかもしれません。

 

ただ、ここで問題としたいのは、誰でもいいとすればどんな人を選ぶのかということです。

 

つまり、意中の人物ではなく無作為に選ぶとしたら、ということです。私たちは誰でも特別な人間関係がゼロの状態でこの世に生まれてきます。その後、学校や会社に通うようになって人間関係が広がっていくわけです。したがいまして、大抵の人は当初は足を引っ張る対象がいなくても、何かのきっかけで「特定の人や集団」が自分にとって目障りになったり、自身の成功のために邪魔になるわけです。

 

こうして誰かの足を引っ張ろうとする時、その対象は自分より『下』だと思っている人でないのは確かです。

 

何が自分より『下』かという基準は、人それぞれですが、例えば、自分より「収入が少ない」とか「社会的地位が低い」とか「周囲の好感度が自分より低い」とかいろいろ考えられます。

 

ということは、足を引っ張る対象になるのは、自分より『上』だと思っている人や自分が脅威に感じている人です。

 

具体的には、収入や社会的地位や名声が自分より優れている人や恵まれている人、あるいは成功に向かって突き進んでいる人、自分の脅威となり得る直接的なライバルということになります。

 

 

足を引っ張られる人が持つ共通の特徴とは?

 

これまで『足を引っ張る側』について述べましたが、今度は『足を引っ張られる側』に立って考えてみます。

 

じつは、足を引っ張られる側の人には、共通することがあります。

 

それは彼らは総じて『心が強い』ということです

 

彼らは、どんな苦難や障害があっても、持ち前の『心の強さ』で克服していきます。

 

「心の強さ」をストレス耐性という観点で見た場合は、それは生得的側面も確かにありますが、環境的側面も大きな影響を与えます。

 

環境的側面の一つとして、すでに成功した人や成功への道を邁進している人は、総じて『心が強く折れにくい』状態にあると言えます。イケイケどんどんの状態にある人は心理的に安定しているだけではなく、少々の困難にたじろぐことはありません。

 

さらに忘れてはいけないことは、競争社会は『他人への愛』とか『正義』で動いているのではなく、『自己の欲望』と『他者との利害』で動いているということです。

 

簡単に言えば、みんな自己の欲望を満たすために動いているわけですので、他人の利益が自分の損になることも多々あります。

 

人から足を引っ張られる人は、弱いのではなく強いから引っ張られるのです。

 

自分が得をするために誰かを引き摺り下ろしたり排除しないといけないのが競争社会だということです。

 

自分に実力さえあればなんとかなるいう単純な図式ではありません。

 

自分よりも実力が「上」な人を差し置いて自分が課長になりたいのであれば、実力以外の方法を使うのが当然なのです。

 

 

「何もしていないのに恨みや妬みを買う」ことがある

 

足を引っ張る人というのは、その人を破滅させたいと思い詰めていることは少ないです。

 

ふつうは、足を引っ張った結果、落ちてくれればそれでいいわけで、例えば課長レースでライバルの足を引っ張って自分が課長になり、相手は失意のあまり転職でもしてくれれば、相手から報復でもされない限りはそのまま視界から消えてしまいます。

 

この手法で成功した人は、何かあれば他人の足を引っ張ることで事態を打開しようとする人は、何かあるたびに邪魔な人の足を引っ張ろうとします。

 

しかし、ここで考えないといけないことがあります。

 

それは、足を引っ張られた側は「なぜ足を引っ張られたのか?」ということです。
たとえ自分に何の非がなくても、他人から恨みや妬みを買った可能性があるということです。それがそんなに理不尽な理由であっても、たとえ誤解であったとしても何の関係もありません。

 

人は誰でも相手に何の非がなくても、一方的な判断で勝手に恨んだり妬んだりできます。

 

なぜなら、人は自分の目線でしか物事を判断できませんし、ましてや他人の心など理解できないからです。

 

親子ですらお互いの腹の内は分からないのですから、それは仕方のないことなのです。

 

ということは、他人の心が分からない私たちは、もしかしたら自分が思ってもみない人から恨まれていることがあるということです。
特に順風満帆な状態にある人は、「まさかこの人が」という人から妬まれている可能性があると思っていたほうがいいかもしれません。

 

「私は善人だ」と本人は思っていたとしても、他人はどう思っているのかは分かりませんし、善人や悪人という基準で足を引っ張られるわけではないのですから、私たちは常に誰かから恨まれる可能性があって、特に物事が順調に進んでいるときが危ないということは知っておいて損はありません。

 

良い大学に入学した、良い会社に就職した、イケメンや美女を伴侶にした、マイホームを建てた・・・。

 

「こちらは誰にも迷惑をかけていない」と思っていても、妬む人は勝手に妬むのです。