幸福感

人が幸せを感じるという場合、そのほとんどは肉体と心の満足を意味しています。

具体的には、衣食住の満足、自身の健康への満足、職業の満足、人間関係の満足、お子さんがいらしゃれば我が子の成長度の満足、そして自己主張と自己顕示欲の満足などです。

平たく言えば、「いい服を着て美味しい食事が食べられて、自慢の我が家を持って周りの環境も最高だし、病気一つしない丈夫な身体だし、好きな仕事ができて給料も大満足、関わる人はみんな良い人ばかりで、我が子はすくすく育って将来有望、そして言いたいことは何でも言える環境だし、自分を表現できる場もきちんとあります!」みたいな感じでしょうか。

幸福感を感じるという場合は、これらの要素がすべて満たされる状態を言います。ただ、満たされると感じる基準は人それぞれです。ワンルームのマンションでも本人が満足ならば、充足されているということです。

ということは、幸福感を感じない、すなわち自分は不幸だと感じるということは、これらの要素のうち一つでも満たされていないということです。都心の一等地に300坪の家を所有していても、1000坪の家が欲しい人は私は不満ですと言うでしょう。

つまりは、幸福感というのは自己の心の問題になるということです。

例えば、この国よりずっと貧しい国や地域に住んでいる人は、全員不満を持っているのかと言えば決してそんなことはありません。なぜなら、その国全体あるいは地域全体が同じような生活水準であれば、自分だけではなく周囲もみんな同じ環境なので、欠乏感を感じることもなくある程度の満足感を持っている人も多いと思われるからです。

やはり、幸福感とは現状を自身がどのように評価するかで変化しますので、心の問題であると言えます。

それならば、欲を捨てて現状に満足することが幸せに繋がるのかと言えばそうではありません。

欲を捨てて、現状に満足するということは、今以上の進歩を放棄すると言うに等しいのです。

人間に欲望があったから科学技術は発展してきました。遠くへ早く多くの人や物を運びたいと思ったから航空機や船舶、鉄道、自動車が生まれました。夏は涼しく冬は暖かく過ごしたいから冷暖房の機械ができました。

人の欲望を醜いものだと考えてしまうと何とか抑えようという発想になりますが、同時にこれが人としての進歩向上のためになるならば、これを抑えてしまうことはすなわち停滞から衰退への道をたどるということになります。

欲望と言うのは難しいものですが、捨てるというより適切にコントロールするという発想でいるほうが、精神衛生的にも良いかと思います。