『心が荒れている人』 への唯一の解決方法

心が荒れている人

『 心が荒れている人 』が増えている

人は誰でも生まれた地域や環境に少なからず影響を受けて育ちます。

極端な例で言いますと、すぐに喧嘩する人達が集まっている地域と穏やかな人達が集まっている地域があったとして、どちらのほうに争いや対立が多いのかといえば、当然前者となります。

生まれた当初は、肉体の脳は新品です。生まれたばかりの赤ちゃんが罵詈雑言を吐くわけもなく、相手が気にくわないからといってぶん殴ることもありません。

しかし、肉体と重なっている幽体は違います。幽体は過去に何回もこの世での人生を経験していますので、過去の人生で味わった苦悩や苦痛を内在させています。

赤ちゃんの時は、肉体の脳がまだまだ未熟ですし、身体能力も低いのでそれを表現できないのですが、成長していろいろな経験をすることによって、嬉しかったこと、悲しかったこと、悔しかったことを記憶していきます。肉体と重なっている幽体も同じ経験をしていますので出来事を記憶するのですが、問題はこれらの出来事がきっかけで過去の人生の心情が蘇ることがあるということです。

幽体の意識は心の奥深くに沈んでいますが、なにかのきっかけで過去の人生での辛い記憶が蘇りますと心の奥が騒ぎ始めます。

たとえ2歳や3歳の頃の記憶を忘れてしまっていたとしても、自分がその時に感じた思いは確実に存在しています。親に物凄く怒られて悔しかった思いは表面の記憶からは消えてしまっても、何かのきっかけで蘇ってしまった過去の人生の心情は時間をかけて表面の意識に影響を与えていきます。

争いや対立が多い場所で生きるということは、表面の心も疲弊しますがそれ以上に過去の心情を思い起こさせるきっかけをたくさんもらってしまうということです。

心の奥が不安定になればいずれ表面を含めた心全体が不安定になります。心が比較的安定していて余裕があれば起こらないことが起こります。

感情の制御ができずに相手を徹底的に潰しにかかったり、憎悪むき出しで相手をいたぶるかもしれません。自分が利害関係者ならまだしもまったく接点のない赤の他人の不倫にまで口を出さずにはいられなくなります。

人間社会の秩序を維持する上で、やって良いことと悪いことは存在します。それは法律に書いていなかったとしても、公序良俗に反する行為は慎まなければならないのは当然です。しかし、全く関係のない赤の他人の所業に対して明らかに過剰反応していると言わざるを得ない人が増えれば増えるほど、そしてそれらの人々が拡声器のような武器を持てば持つほど社会全体が荒れていくということも考えなければならないことです。

他人を叩く前に自身の心を見つめ直すことが大切です。

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追求してはいけない欲望がある

人は誰でも大なり小なり欲望があります。食欲は生物の本能ですがこれも欲望です。食べ物に困らなくなれば、綺麗な服を着たいとか立派な家に住みたいとか、高価なアクセサリーを身に付けたいとか、趣味の時間が欲しいとか、人の欲望は無限です。

しかし、物質世界は有限です。誰かが手に入れて笑っていれば誰かが手に入れられなくて泣いています。欲しいものを手に入れるためにお金を稼ぎ、他人と争わなければならないのが現代社会です。

かといって、今流行っている断捨離をすれば良いのかといえば、そもそも断捨離ができるのは、断捨離しない人がいるからです。この国のように非製造業の比率が7割を超えているような国でみんなが断捨離すれば、モノが売れなくなって社会は崩壊してしまいます。

大切なのは欲望を捨てることではありません。欲望は人間の本性であり、欲望があるから科学技術が発展しているわけです。問題は欲望の中身です。

欲望といっても食欲といった人間が生きていくために不可欠なものから、他人を蹴落としたいといった困ったものまであります。この中から社会を荒らすような種類の欲望を抑えることができるのならば、この世から争いや対立は確実に減っていきます。

と言いましても、人の心の中は誰にもわかりませんので、どうやって変えるのかといった問題が残ります。

神伝の法は心を変化させることができる

幽体の意識は心の奥にあります。そしてその中にどのような心情が沈んでいるのかは肉体の意識には分かりません。

そして、心の奥の心情がいつ、どのようなきっかけで騒ぎ出すのかも分かりません。

しかし、確実に言えることは、現代社会は目の前で起こった出来事だけではなく、例えばテレビを観れば自分の知らない地域で起こったことを知ることができますし、映画を観れば自分が経験したことがないことでも経験したような気分になることもできます。ネットを見ればさまざまな情報が溢れています。

つまり、心の奥が騒ぐきっかけとなるものがたくさんあるということです。現代人は必ずと言っていいほど何かのきっかけで心の奥の心情が騒ぐきっかけを経験して、その影響を受けて生きています。

心の奥にある心情はさまざまなものがありますが、真っ先に騒ぐのはたいていの場合は過去の人生で経験した苦悩や苦痛といった類いのものです。これが表面の意識に影響を与えれば今回の人生を不幸の方向に引っ張ってしまうのです。

例えば過去の人生で理不尽なことで人生の挫折を経験したことがあったとして、心の奥に理不尽に対する強い怒りの心情があったとします。これが今回の人生で強い影響を与えますと、ずるい人や理不尽な出来事に対して過剰に反応してしまう可能性があります。

自分では正義感が強いと自負しているのかもしれませんが、ちょっとしたことで過剰反応することで他人と対立したり過激な行動をとるようになりますと、結果的に犯罪行為に結びつくことがあります。

口で言えば済むことなのに殴ってしまったとか、相手を追い込みすぎて逆恨みされて足を引っ張られたりしてしまっては、今回の人生も挫折してしまう可能性があります。

心の奥の心情が騒いで、それが爆発しないと心が晴れないような状態になって、そのまま爆発してしまっては人生を壊してしまいます。

そうならないためには、騒いでいる心の奥の心情を和らげるしかありません。肉体の脳ならば薬物で沈静化できますが、心の奥は現代科学の力ではどうにもならない領域です。

争いはやめましょうとか、愛が大切ですとか、平和を守りましょうとか、それはそれで大切なことなのですが、それは心全体を理性で抑えようとしているのにすぎません。

しかし、心の奥、つまり幽体の意識は理性で抑えることは難しいです。たとえ、心の奥から湧いてくる心情を理性で抑えつけていたとしても、そんな状態を数十年と続けていくのは至難の技ですし、仮に理性が効かなくなって爆発してしまえば、それまで抑えに抑えてきた分、その反動も大きなものとなります。

酒に酔って暴力をふるって怪我をさせてしまったとか、何故だかむしゃくしゃして気が付いたら知らない人を刺していたとか、爆発の仕方は人それぞれです。こういうニュースを見て他人事だと思っている人が大半だと思いますが、数十年後自分がそうならない保証はありません。

なぜなら、赤ちゃんの頃から人を殺すことで頭がいっぱいの人は誰もいないからです。成長していく途上で何かのきっかけで過去の心情が蘇って、それがどんどん大きくなってやがて表面の心に影響を及ぼし、結果的に人を殺しただけです。

そうなる前に心の奥を和らげていれば良かったのです。その人の守護霊がもしその場にいたとしたらこう言ったかもしれません。

「なぜそこまで抑えに抑えたのか?なぜ心の奥を和らげることを考えなかったのか?」

実際は守護霊のほとんどは開店休業状態ですので、自分の担当する人間が何もしなければいずれ人を殺すことが分かっていたとしても打つ手が何もありませんのでどうしようもありません。

人は欲望の塊ですので、それをいくら抑えてもいつか爆発するだけです。

ですから、欲望を否定するのではなく、欲望の質を変化させることを考えるべきなのです。敵対的な欲望が浮かんでくるよりも友好的な欲が浮かんできたほうが心は安定しますし、社会もそのぶんだけ安定します。

水波霊魂学で行なっている神伝の法は肉体の心ではなく、その奥にある幽体の心を変化させることができます。幽体という霊的身体を成長させることができれば幽体の心も安定してくるのです。

そうして、幽体の心に蓄積している過去の人生で味わった心情を和らげることによって、内側から表面の心を荒らす要因を減らすことができます。

しかしながら、これらのことは科学では実証することは不可能ですので、信じるか信じないかしかありません。

神伝の法は霊魂の存在が前提の技法です。霊魂の実在を信じ、神への信仰心があり、地上の世界の法則と霊的世界の法則は全く違うということを肯定して霊魂学を学ぼういう自由意志を行使できる人にのみ門戸は開かれています。

自由意志を行使して正しい道をぶれることなく歩み続けた者のみが救われる。

これが「信じる者は救われる」の意味なのだと思います。