正しい信仰を実践することが霊的不幸を防ぐ第一歩

正しい信仰

 

 

間違った信仰は霊的な不幸を招く

 

信仰心のある人が必ず上の世界に行けるのかといえばそんなに単純ではありません。神を求めるとか信じるということは大前提ではあるのは間違いないのですが、信仰のかたちが間違っていれば残念な結果が待っています。

 

特定の宗教で特定の神を信じることは悪いことではありませんが、問題はその教団にどのような霊魂が支援しているのかということです。宗教に限らず集団や組織にはたいてい霊魂が関与しています。それが上の世界の霊魂ならば何の問題もないどころか他界後に上の世界に行ける可能性が高まるのですが、そうではない場合はいくら熱心に神に祈っていても他界後は下の世界に行くことになってしまいます。

 

仮に死後の世界も神も否定して利他愛の実践を追求している団体があったとします。じつはそんな団体にも霊魂が関与しています。人が集まるところ霊魂ありです。

 

ところがそういう団体には上の世界の霊魂が支援する可能性は低いです。上の世界の霊魂は神のためいは自分が消滅してもいいと思っているくらい神への思いが強いので、神を否定するような団体に関与するわけがありません。

 

ということは、こういう団体に関与する霊魂はいわゆる下の世界の霊魂ということになります。

 

その団体のその教えを熱心に実践していた人が他界して霊魂になりました。自分が霊魂になって死後の世界に暮らしているのでその団体の教えは間違いだったということになるのですが、なぜなのかは知りませんが団体そのものは否定せずに他界後もその団体の教えに固執して、なかには地上の世界に戻ってきてその団体を支援する霊魂がいます。それだけならまだしも、地上の人間に対して利他愛の実践を試みる者まで現れます。

 

「愛こそすべて」を霊魂になってからも実践します。困っている人や泣いている人を助けようとするかもしれません。いじめられている人が不憫なあまり、いじめている人を懲らしめてやろうとするかもしれません。

 

上の世界の霊魂は人間の自由意志を尊重しますが、下の世界の霊魂はその感覚が著しく鈍感で、自分が正しいと思ったことを他者に押し付けることを平気で行ないます。私たちの周囲にも自分が良いと思ったことを他人に押し付けてくる困った人がいますが、そんな人が霊魂になって地上に戻ってくれば生前していたことと同じことをするわけです。

 

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未熟な霊魂の関与は人間側の責任

 

このタイプの霊魂に目を付けられると困ったことになります。なぜなら、彼らは俗にいう悪霊でも邪霊でもないからです。

 

なぜなら、彼らは自分の行動が正しいと思っているだけです。宗教の世界に限らず自分が信じていることが一番だと思っているのは人の常です。これは悪でもなんでありません。自分が一番だと思っていることを他者にしてあげたいと思う気持ちが強すぎて人間の自由意志に対する配慮が欠けているだけです。

 

彼らは下の世界の霊魂に違いないのですが、地上に戻ってこられるレベルですから、幽質の世界でもそんなに下の場所ではありませんし、少し押しが強いという困ったところはありますが、自分の行ないが悪いと思っていません。

 

今はどうか知りませんが、昔は写真を山ほど持って若い人を見つけてはお見合いしろと熱心に口説いていた人がいましたが、この人はこの人なりの善意で行なっているわけで、別に悪人でないのと同じです。

 

宗教で言えば、熱心な信仰を持っている霊魂も、自分の信仰が一番だと思っているだけでそれを他者に広めることが善だと思っています。別に悪霊でも邪霊でもありません。問題なのは、その信仰が間違っているということを本人たちが分かっていないことと、彼らが人間に干渉するとその人の幽体に霊的な障害が起きて他界後に不幸が待っていることを分かっていないということです。

 

人間には守護霊が必ず担当していますが、彼らのような霊魂が人間に干渉することによって正当な守護霊は何もできなくなってしまいます。これは人間の側にも責任があります。正しく神を求めないで現世利益のために神を利用しようとしたり超能力願望を抱いたりして、結果的に正当な守護霊を排除するような形になってしまい、代わりに自称守護霊を名のる未熟な霊魂の関与を許してしまっているのです。

 

救いは 正しい信仰 しかない

 

正当な守護霊がきちんと関与してもらうためには、人間の側が自由意志を行使する必要があります。つまり、自分の意思で守護霊に未熟な霊魂を排除してくれるように祈念すれば、守護霊は人間の自由意志によって確実にこれらの霊魂を排除することができます。

 

しかし、人間の側に少しでも未熟な霊魂の関与を許すようなことがあれば、いつまで経っても彼らは離れていくことはありません。

 

例えば、水波霊魂学では除霊を行なうことができますが、本人が超能力願望や現世利益のために見えざる力を期待する気持ちを捨てきれなければ、何回除霊しても何の意味もありません。

 

テレビの心霊番組で除霊なるものをして、もう二度と邪な霊魂は寄ってきませんなどと言っていますが、実際はそんなに甘い世界ではありません。未熟な霊魂は山のように地上の世界をうろついているわけですから、人間の側が望めば他の霊魂がすぐに寄ってくることになります。

 

最近は宗教団体を名乗ることが憚られる世の中になったこともあってか、どこからみても宗教でしょと思えるような団体が宗教とは関係ないような看板を上げていることもあるようです。

 

しかし、看板はどうであれ、何らかの教えを信じ込んでそれを熱心に信奉すればそれは紛れもなく信仰なのです。

 

間違った信仰は身を滅ぼすことになります。これは宗教の世界に限らず、一つのことに凝り固まって他の思想や考え方を排除することから始まります。

 

人はどこまでいっても未熟な存在です。いっけん完全に見える人であっても必ずミスをします。大切なのは自分が間違えたり他人が間違えたことから何を学ぶかということであって、欠点を探して糾弾することではありません。

 

自分のミスに過剰反応して委縮してしまうことも、他人のミスを鬼の首を取ったがごとくに大騒ぎすることも間違いです。

 

ミスから学ぶという姿勢をしなければ人は進歩することはありませんし、未熟な霊魂の関与を許すことになれば霊的にも進歩どころか苦悩を積み重ねるだけになってしまいます。

 

ミスに対して善悪で反応してはいけないのです。

 

ミスを善悪で判断して、ミスをした人を排除しようとすることは、霊的な視点から見れば質の低い念があちこちに飛び交っている状態です。こういう念を出す人が多ければ多いほど、その地域全体の霊的状態は悪くなっていきます。

 

その結果、その環境に順応できる霊魂が自由に活動できることになり、上の世界の霊魂はどんどん活動する場所がなくなっているのが現状です。

 

そうなってしまえば、街中に下の世界の霊魂が増え続けてしまいます。特に都市部といった人がたくさんいる場所はその傾向が顕著です。

 

まさに悪循環です。

 

この世に降り立った最後のキリストがこの世を去ってから2000年経過しています。もうこれからは地上の世界のことは地上の人間が決めるしかありません。

 

これ以上の霊的環境の悪化を阻止して未熟な霊魂の関与を防ぐするためにできることは、正しい信仰を持つことしかありません。