カルマ ~因果律で説明できないもの

因果律

 

 

カルマは単純な因果律ではない

 

カルマという言葉を聞いたことがある方もおられるかと思います。世間一般では「前世で犯した悪い行為が現世において悪い結果をもたらす」といった意味で用いられることが多いようです。

 

しかしながら、水波霊魂学でいうカルマはこのような単純な因果律ではありません。カルマとは私たちが考えるよりもはるかに複雑で流動的なものであって、前世で他人を殺したから現世では殺されるといった、まるで定められた運命であるかのようなものではありません。

 

この稿ではカルマについて述べていくのですが、前述したように世間一般のカルマと水波霊魂学でいうカルマの定義や認識が違い過ぎていますので、本当はカルマという用語を使いたくないのです。しかし、独自の用語を作り出したところで読者の方もちんぷんかんぷんでしょうし、なによりブログを読んでいただくためには一般に認識されている用語を使用するしかありません。

 

じつは水波先生の最近の書籍ではカルマという用語はほぼ使用されていないのですが、ここではあえてカルマという用語を使用することにして、まずは水波霊魂学でいうカルマとは何を指すのかというところから始めたいと思います。

 

 

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水波霊魂学でいうカルマとは何か

 

当ブログでも幾度か触れていますが、私たちの肉体には幽体という霊的生命体が重なっています。肉体は両親が作ったものですので両親の遺伝を受け継いでいますが、幽体は母胎内に受精卵ができた頃に引き込まれました。

 

ここで大切なのは引き込まれた幽体は幽質の世界(私たちが死後の世界と言っている場所)から引き込まれたのですが、幽体の全部が移動したのではないということです。引き込まれたのは幽質の世界にいる幽体の一部に過ぎませんので、今この世を生きている人達の幽体の元になった幽体は幽質の世界に今も存在していることになります。

 

簡単に言えば私たちの本体というべき幽体は幽質の世界にそのまま存在して、私たちはその分身と考えれば分かりやすいと思います。

 

そして、私たちに重なっている幽体は肉体の死を迎えれば幽質の世界に移動するのですが、ある一定の条件が揃えば、その一部がまた肉体に引き込まれることになります。つまり今度は私たちが本体となってその分身が地上に行くわけです。

 

これを何回も繰り返していますので、水波霊魂学では生まれ変わりではなく再生と言っています。そしてカルマの問題を考えるには前世だけではなく仮に10回この世に再生しているのであれば10回の人生を考えなければならないということです。したがいまして、水波霊魂学では前世という用語は用いずこれまで経験したこの世での人生を総称して過去世と言う用語を使います。

 

ここでやっと水波霊魂学でいうカルマとは何かというお話になります。それはこの世にいる私たちから見ればこれまでの過去世での行為の集積となります。しかしそれだけではありません。なぜなら一つ前までの過去世を背負った存在、二つ前の過去世を背負った存在といったように自分の本体を遡れば何人も幽質の世界の住人として実在しています。単純に言えば仮にある人が10回再生してこの世にいるのだとすれば、自分の本体と呼ぶべき9人の霊魂が幽質の世界に存在するということです。

 

カルマが非常に複雑な一因は、自分の幽体には本体がいるということなのですが、この部分は私自身も訳が分からない難解なところですのでこれ以上触れません。今回の稿はあくまでこの世に生きている私たちとカルマの関係性に絞っていきたいと思います。

 

 

過去世がなぜ今に影響を及ぼすのか

 

仮に肉体に幽体なるものが重なっているとして、なんでその幽体が過去世の行為を集積させていて、それが現世の自分に影響を及ぼすなどという変なことが起こるのは、幽体は肉体の死と無関係だからです。肉体と幽体は重なっていますので経験したことを共有しています。幽体は死んでいないので記憶も消えません。幽体はこの世へ再生するたびに経験したことを集積させていくわけです。

 

ですから、あまりに細かいことは時間とともに忘れていくのですが、それでもずっと消えない記憶も溜まり続けます。例えば、ある人生で経験した辛くて悔しい思い、またある人生で殺されたのならその時の強い恐怖、逆に殺したのならその時に抱いた感情、誰かをずっと憎んできた、長い間病気で苦しんできた、といったことですがこれは個人差が大きいですし、自分の幽体がどんな記憶を持っているかを独力で調べることは不可能です。

 

とにかく、人間が肉体だけの存在ならば、死んだ時点ですべての記憶が消滅してしまいますが、幽体という存在がいるために記憶は断絶することなくその後もずっと続いていきます。肉体にとっては一回きりの人生ですが幽体にとっては複数回あり、それが時に今回の人生を送る上でかなりの(甚大な?)影響を及ぼしてしまいます。

 

カルマとは幽体の過去世での行為の集積であるということは、幽体自身の意識と表現することもできます。幽体は肉体と重なっていますが意識は別個だからです。

 

肉体には意識(主に表面意識といわれるもの)があります。幽体にも独立した意識がありますが肉体と重なっている間は肉体の意識の奥に隠れています。しかし隠れているからといっても寝ているわけではなく、肉体の意識と同じように活動しており、時には肉体の意識に対して強い自己主張をすることもあります。

 

私たちがこの世を生きる上で行っている一つ一つの判断には、常に複数の意識(肉体、幽体)が絡んでいます(ここでは詳しく触れませんが思春期の頃にはカルマとは無縁の「霊体」という3つめの意識も現れます。水波一郎著「幽体の悲劇」に詳述されています)。

 

 

幽体は人生を何回も経験していますが、肉体は各々の人生で新しく作られた1回だけしか使用しません。霊体という意識は霊的カルマとは無関係の意識です。肉体がこの世(物質界)で生活しているとき、幽体の意識は肉体の意識の奥に隠れています。これは心の奥から表面の意識に影響を及ぼします。

 

幽体の意識は、過去世で好き嫌いや成功あるいは失敗、その時に感じた心情が集積されています。どのようなカルマを背負っているのかは人それぞれですが、何回もこの世を生きていれば殺したり殺されたりした過去世があっても何の不思議もありません。ですから、カルマの問題はすべての人がこれを解消したり和らげたりする努力をするべきことだといえます。

 

それがこの世に生まれてしまった理由であり、この世を生き抜く理由でもあるのです。

 

 

(続く)